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カテゴリ:小説
僕は鬱病になった。と言っても軽いもので、生来抱えていた被害妄想的な性格と対人恐怖症に抑うつ症状が加わっただけのことだ。数ヵ月後。僕は設計事務所で働いていた。
空調や衛生設備を設計している事務所だった。 僕はCADオペレーターとして入ったのだが、実を言うとパソコンに触ったことすらなかった度素人だった。 それでも仕事は嫌いではなかった。誰ともかかわらずに一日中パソコンに向かっているのは、その時の僕には好都合だった。 もちろん仕事は難しく。他人の10倍の時間を掛けて1枚の図面を書くのが、精一杯だった。恐らく会社にとっては仕事にならなかっただろう。 時折、得意先にデータを届けに行ったりもした。 そんなときのことだった。池袋に行ったときだ。届け物を済ませて、帰りの道すがら駅前のコンビニエンスストアに寄ってコーヒーを一本買った。 「いらっしゃいませ。」 その声には聴き覚えがあった。彼女の声だ。僕はレジに立つ女の子の顔を見た。 まぎれもなく彼女その人だった。なぜこんな所にいるのかと言う疑問よりも、逢えた嬉しさが勝った。声を掛けようとしたが、店はとても込んでいて彼女は素早くコーヒーにシールを張ると僕につり銭と一緒に渡し 「ありがとうございました。」 と言って次の客に「いらっしゃいませー。」と声を掛けていた。 僕は彼女に声を掛けるのを諦めて店を出た。彼女の町から池袋までは、JRと私鉄を3度乗り換えて1時間と少しかかる。なぜこんな所まできて働いているのだろう。考えても判るはずは無かった。だが意外にも、こんなに早く彼女を見つけられたことが、僕はとても嬉かった。 ここに来れば少なくとも彼女に会えるのだ。僕は偶然の神様に感謝した。 もし手を差し出されたら、その手の甲にキスをしたに違いない。 その夜僕は彼女の携帯電話に掛けてみた。 「おかけになった電話番号は現在使われておりません。」とアナウンスが流れた。 彼女は僕を忘れてしまったのだろうか?それとも忘れようとしていたのだろうか? ともかく彼女は電話を変え、僕から連絡を取ることはできない事がはっきりした。 もっとも彼女が僕の前から消えてしまったときに、それは予想していた事だったのだけれど。ともかくあの店に彼女は居たのだ。それは間違い無い。僕は33歳になり季節は8月も終わりかけていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004/11/24 11:23:05 PM
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