波瀾万丈 MY LIFE生きてる人間が多いのでねぇ・・・ 藤あやこさんと 同じ誕生日に うまれちったんですヨ 逆子で足が出て来るまで 先生が気がつかなったそうです。 母は気を失いかけたらしいし、10時間以上の難産で・・・母子ともに死にかけました。 足は股関節脱臼・首は筋性斜頚・・・祖母と母の努力で手術もせずに 五体満足の今があります。が・・・ 神様は 生まれて来るなって言ってたのかなぁ・・・ いつもニコニコ、皆さんにかわいがられたそうです。 その時のご近所に東山魁夷画伯がおられて、お散歩でお会いすると「いいこだねぇ」と頭をなでなでしてもらっていたそうです。 そんな事は露知らず、私は物心つくと画伯のファンになっていたのですが、生前の画伯には同じ市内に住みながらお会いしていないのです。日本画を勉強したい、画伯につきたいなどと恩師に相談したところ、実は恩師が画伯の弟子デシタ。画伯は公には弟子はとっていないという事になっているのですが、恩師は画伯から学んでいたのですねぇ。思い立ったのが遅かったので 私は写真を勉強する事にしたのでした。 1歳~2歳で ヨチヨチ歩きの時に 母が気がつくと「いない!」ってことがあったそうです。行動力はその頃からあったのですねぇ・・・ どこにって? 手摺につかまって 外見てたそうです。ちょっと間違うと落っこちる。昔の窓の手摺って 子供の身体の2/3くらいしかなかったですからネ。 家を捜していない時は・・・ ちょっと歩くと その時は 木下街道って結構車の通りの激しい通りがある場所に住んでまして。市川から14号以外に中山競馬場に行ける道なんですヨ。(東山画伯の家もアトリエもその通り沿いにありました。その道の俗称は「おけら街道」。みんな おけらで帰るから。中山って駅は そんな訳で昔は泥棒が多かったそうです。) その通りにあるお店まで お買い物かご(その頃は籐製のような。うちのは 青いビニールのだったと思います。)を下げて・・・いぇ、下げられないんです。チビだから。ズルズル引きずって お店にお買い物に出かけていたそうです。話せないのに(笑) 何を買うかって? アイス らしいです お金持ってたかどうかは 母も覚えてないので不明です。持ってたら私って天才!と思えるんですけれど。何アイスが好きだったんでしょうねェ。 2歳になって風邪をひきました。なかなか治らない。誤診です。小児結核でした。 最初の病院から転院して判りました。当時 高いペニシリンで なんとか治ったようです。遠い道のりを母は病院に通ったようです。この病院は今は私の住んでいる近くにあり、かかりつけでもあります。つい昨年、かわいがってくださっていた元婦長さんが亡くなりました。40過ぎた私に「さっちゃん」と言って今だにかわいがって下さっていた方です。寂しくなりました。 首の方はまた別の所に。これは上野にあったマッサージの先生の所らしいです。もうどちらにおられるのか解りません。お会いできたらお礼が言いたいのですが・・・ 弟とは1歳半しか違いませんから その頃もういたのでしょうねェ。 波乱万丈は その後から 混迷を呈していきます・・・ そのうち 続く・・・ 混迷期(学生時代) 混迷期(奥さん時代) いろいろあり。。。 染み付いたゲージツ ルーツ 父(植木等 似) ルーツ 母(別名トド) |