259987 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

Anemaziro~アネマジロ的考察~

Anemaziro~アネマジロ的考察~

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Freepage List

Photo ダレダヨ???


迷犬 ピッピ殿


ピッピ殿 武勇伝 他


Photoヽ(。_゜)ノ?何デショ?


不思議シリーズ


怖かったシリーズ


Photo テスト・・・


アネマジロ秘密のネタ帳メモ


リンク集 工事中


音楽家


アマチュア団体さんナド


NPO・ボランティア・福祉等


ガムラン・バリ大好き


旅行したい時のお気に入り情報


とりわけ パキスタン


I LOVE MUSIC工事中


QUEEN


アネマジロ的コンクール


Sir Paul Mccartny


シカゴ


ローリング・ストーンズ


ガムラン大好き


ハープ大好き 工事中


なにげにHard Rocker アネマジロ


Saxophonist彦坂眞一郎工事中 


HP利用の注意点


彦坂が昭和を辞めた訳


スランプについて


レーベル マイスター・ミュージック


四国 香川県 高松市 川島東町 工事中


四国回想


戦争のお話


彦坂眞一郎的四国-ほたる


旅行大好き 海外変!


ギリシア


パキスタン・タイ


シンガポール


インドネシア、バリ


旅行大好き国内(`ヘ´) ヘン!!工事中


箱根 2002.7.27


高松 2003.3 まだ途中


東京案内


映画 工事中


エンターティンメント 工事中


SWAN LAKE (トニー賞受賞作品)


読書 CD DVD


波瀾万丈 MY LIFE


変わり者養成期


混迷期(学生時代)


混迷期(奥さん時代)


いろいろあり。。。


染み付いたゲージツ


ルーツ 父(植木等 似)


ルーツ 母(別名トド)


小さな命


各種 ボランティア活動 リンク


ペットを無くしてしまった時


もしも100人の村だったら


日本語


English


グルメ情報(!?)


柚月(東京・お台場近く)


平和 考察


生きる(生命)考察


生きる


のんじゃんる。。。


お勧め


March 18, 2004
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類

数日前の日記の続編。

その叔母は 父方のたった一人の父の妹デシタ。
父母ともに 兄弟姉妹は多いのですが、叔母は 男の中で一人育った強力なオバタリアンデシタ。

叔母の死をしらせる電話は アネマジロが生まれて初めて 「監査業務」を一人で行うために 先日の話で出た 大相撲初場所のマス席を手配してくださった社長の所に出向いていた時の事デシタ。

朝の段階で 睡眠薬をのんだ という知らせは入っていましたので 「だめだったかぁ・・・」と落ち込ミマシタ。
それでも 仕事を済ませ、通常どおりで 退勤後、車で両親の跡を追いました。


手先が痺れるほどの寒さの中、部屋をあまり温かくする事もできません。
そんな 寒さの中で 叔母は 白い布を顔にかけられ、布団に横たわっていました。
小さい頃から可愛がってくれた叔母、その頃になると 叔母は私のよき喧嘩相手となっていました。甘えるのは叔母で 私がいつも叱るという関係でした。
普段と変わらぬその顔。亡くなってから何時間も立つというのに 死斑は目立ちません。
顔を見て何も言えませんでしたが、何でうちに電話してこなかったのか と漏らしたところ、母が「ゆうべ かかってきてたのよ」と泣きながら話始めました。

その頃 私は 仕事のこともありましたが、家族を省みない父と口論が絶えませんでした。叔母は いろいろな事で悩んでいたようで 良く電話をしてきていました。この事件の前には 家に泊まりに来た事もありましたが、酔っ払うと暴れるので 私が怒って泊まらせないようにさせたのでした。

その時の電話は 話がしたい というものだったようです。母とひとしきり話をしたあと、私と話たいと。その時私はもう寝ていて、神経がピリピリしている状態でしたので 母は 断ったのだそうです。
その時、私に余裕があったのなら、一言「自殺なんぞ したらあかんで。それで負けになるで」と言っていたなら 負けず嫌いの叔母は その日に命を絶つような事はなかったかもしれません。
とりあえず 私に喧嘩をふっかけに来たことでしょう。

自分の不調を呪いました。
そして 電話を受け 何もできなかった母は もっと辛かっただろうと。

叔母の足元には がっくりと肩を落とし 一点を見つめている父がいました。
「私が死んでも こんな顔はしないだろうな」
そんな思いで 見た記憶があります。

叔母は 埼玉の和戸という所に住んでいました。
今は 東武動物公園がすぐ近くにありますが、以前は何もなく、遊びに行った時は 近くにあるひばりの巣を探しに走り回ったり、畑
できゅうりをとったり。のんびりとした所でしたが、叔父の実家のすぐ側でしたし、古い土地柄でしたので 気苦労は多かったと思います。

明治の頃だったか その土地に キリスト教が定着し、住民のほとんどがキリスト教です。

布団を上げられた叔母は ドラキュラのような棺に収められました。黒いベルベットのようなかけ地に白の十字。
葬式は近くの教会で行われ、献花。彼女を送るために 皆 賛美歌を歌いました。

最後のお別れ(これは一般の方とですが)で 花をちぎって棺に入れるのですが、これは 叔母の強力なオバタリアン仲間に阻まれ、家族すら近寄れない状態に・・・

わしの おばじゃ~~ べたべた さわるなぁ!!

と言いたかったものの 仕方なく我慢。

火葬場にて 本当に最後のお別れとなるのですが、顔をみて そして棺に釘を打ちます。皆 軽く一回くらいなのですが、力いっぱい3回くらいやったような気が・・・
何ができるって もうそれしかできないのですから・・・

近代的な火葬場は あまりに綺麗で。。。
釜の前には 叔父と従兄弟しか行けず、私達は ガラス越しにそれを見守っているわけですが、コンベアーに乗った叔母の棺は いとも簡単に スルスルッ と その穴倉に入ってシマイマシタ。
皆 泣いています。母は 立っていられなくなってしまいました。
父は その場を離れマシタ・・・

一時間もすると焼き上がりデス。
さます時間も必要なのですが、その日は忙しかったのか まだ熱いうちに骨拾いとなりました。伯父、叔母たちの骨は もう何度か見た後でしたので なんとなく ぼーっと見ていました。「あついから 気をつけてね」って言葉。
拾い終わったら 沢山 小さな骨が残っています。
皆が行くのもかまわず それがどうなるのか 見ていました。
がさがさ っと集められて 容器にバサッ・・・
「その骨 全部 わしにくれ!」そう言いたくなるような粗雑な扱い・・・
葬式の矛盾??やるせない気持ちになりました。

叔母は 教会式の墓に入りましたが、父は分骨して 京都の墓に入れました。分骨ですから 名前も刻まれていません。キリスト教徒ですから戒名もありません。
叔母は 成仏できたのでしょうか・・・

亡くなった理由は いろいろとありますが、家族、親族のことであろうと思います。ここでは詳しく書けませんが。

強い叔母デシタ。ただ 酔っ払い状態の時は 愚痴だらけで暴れるので手がつけられませんでしたが。
強い人間ほど 弱いのですよね。
なかなか 人は理解できないでしょうが、強くしている分 弱みを出せなくなってしまいます。

ちょうど 叔母が母に甘えたくなっていた時に 私が調子が悪かった。そんな事は あまり無いのですが、今思えば そこまで親に当り散らしていたのも その時だけだったような気がします。
私が もう少し 状態が良ければ 叔母は 今でも生きていたのではないだろうか?
今でも 考えるとき 叔母にごめんと手を合わせています。


小さい頃、弟と叔母の家には 良く行きました。といっても数えるほどなのですが。

自分から悪さをしない弟が 外で従兄弟か近所の子と遊んでいてガラスを割りました。意図的にそのような事をできる子ではありませんから ちょっとしくじったのでしょう。
いずれにしても まだ幼稚園の彼、ガラスの片付けなどできるワケがありません。
その時は 私は たまたま 叔母の家の掃除を手伝わされていたところだったかもしれません。その掃除は ガラス掃除に切り替わりました。それにしたった1年生ですが、叔母は容赦ありませんでした。そして その後 また掃除。
弟をおこられまいと 一生懸命でしたが まあ 理不尽な人でもないので 叔母にしては 軽い仕打ちで済んだような気がします。

小学生の時には 叔母と叔父で 私を借りにきました。どうやら子供ができない時に 子供をはさんで寝ると 授かることがあるという習いに従おうとしたらしい。
ところが あいにく その日は 土砂降りで しかもずっと雷が鳴っている。頑固者アネマジロは 嫌なものは嫌なので 叔母達の家でパジャマに着替えているにも関わらず 「帰る~~~~!!!」攻撃で 土砂降りの中を送ってモラッタノデシタ。
後で聞いた話によると 母はとっても嬉しかったそうな・・・

思えば 叔母は 男6人で私の父が長男だという気の毒な家に育っていますから、子供が家の事をするなど 当たり前だったと思います。祖父は 友禅職人ですが 宵越しの金を持たない傾向の方だったらしい。祖母は 子供を育てながら 気が向くと 一人で映画を見にいったりしてしまった人だったようです。
その家には 曾祖母もいたとか。その曾祖母の面倒をみていたのが叔母らしい。
祖母の葬式の時には 例のごとく酔っ払った勢いで 祖母の棺を引き摺り下ろそうとして・・・
止めに入った私を父が止めました。
妹をかばった父を 私は 「この人は 父ではない」と認識しました。複雑な家庭の中にあって 考えてみれば かなり遅い認識でした。
今でも この認識は変わっていません。

今は 飲めないお酒を飲んでみたり、タバコを吸ってみたりしているとき、 叔母が何か言いたいのではないか?
そんな気がしています。

最近 そういう事が多くて。夢にでも出てきて はっきり言ってくれれば わかりやすいのですが・・・
ラップ音が 派手になりだしたので そろそろ出てくるのかもしれませんね。

私が大学の進学の話が無くなった時の話です。医者になるなら学費を出してあげるからと言ってくれた叔母でした。
その頃人間嫌いの私は 医者は嫌だ、そして父がいるのに嫌だと断りました。
亡くなる数年前には 「1000マン あげるからな」などと言っていた叔母でした。冗談だか本気だか わかりませんが、私は本気だったと思っています。
もらいそこねちゃったね~ おばちゃん!





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  March 25, 2004 05:15:29 PM
コメント(0) | コメントを書く


Archives

・May , 2024
・April , 2024
・March , 2024
・February , 2024
・January , 2024
・December , 2023
・November , 2023
・October , 2023
・September , 2023
・August , 2023

Comments

gusin@ Re:幽霊騒動 その3(05/03) おたよりありがとうございました。 最近で…
gusin@ Re:困ったな〜(04/28) お元気ですか?・・・

Favorite Blog

リンクや健康やカラ… New! alex99さん

What I've been look… Diego5963さん
口先HOUSE pooh-tontonさん

Recent Posts

Calendar


© Rakuten Group, Inc.