キ・セ・キ ジュヴレ・シャンベルタン ヴィエイユ・ヴィーニュ 2002 ドニ・バシュレ 2006/12/16 その1
どうしてこのワインを購入する気になったのか? よくわからない。確かに、2002年のブルゴーニュの赤は、僕の中では、プライオリティはかなり高い。瓶熟を待たずにいつ飲んでも美味しく、エキサイティング、とH.ジョンソンは言っているし、事実、今まで飲んだ’02の赤に期待はずれはなかったから。しかし、ジュヴレとなると・・・。村名格のジュヴレは、品質的にそれに匹敵しないものが他のアペラシオンより多いことがあると聞く。というのも、ジュヴレの畑は国道47号線の東側にまで広がっていて、そこのジュヴレがよくない、というのだ。ジュヴレ以外のほとんどのアペラシオンでは、国道の東側には畑は広がっていない。というのも、東側は斜面になっている西側に比べて立地条件が劣るからなのだ。そういうわけで村名格のジュヴレを選ぶ時は注意が必要、というわけらしいのだが・・・。 いや、正直に言えば、村名格のジュヴレに注意が必要ということをはっきり自覚したのは、このワインを購入したからのことだ。また、このワインの畑がどこにあるのかなんて、僕はまったく知らない。 ドニ・バシュレ。 日本ではそれほどメジャーな生産者ではないだろうか。セレナ・サトクリフの『ブルゴーニュ・ワイン』に紹介されているものの、ジュヴレの項と生産者便覧の項にそれぞれ数行。読みとれるのは、樽の使用率と、低収量、老樹で、素晴らしいワインを生産する、ということ。とくに、シャルムがすごいらしい・・・たったこれくらいだ。 楽天で「バシュレ」を検索し、該当しないものを除くと、三十件足らず・・・。そう、購入するかどうか決める時他のネット・ショップのコメントなども参考にするのだが、そのなかに「ジュヴレの隠し玉」というのがあった。何か気になる・・・。他のショップには’02の何かがなんかの賞を取ってブレイク、とあるが、こういう宣伝には飽き飽きしているのでほとんど食指がうごかない。所詮、ショップのコメントは買い煽りだし。 次に、よく参考にするあるブログに行ってみる。そこのブログ主は結構お高いワインをたくさん飲んでいる(飲み過ぎたせいか、体を悪くして休止中・・・永久に? とりあえず、リストの中にはたとえば、’58年のラトゥールだの、’64,年のラフィットだの、’60年のマルゴーだの、’29年のロマネ・コンティだの・・・僕にはまったく縁のなさそうなのがずらずらと)。その彼が、’94のジュヴレを飲んで虜になった、安くて美味しいから好き、とコメント。・・・う~ん。。。 数日間、購入するかどうか迷ったすえ、購入。たかたが村名格で4500円越えはちょっとお高い感じもする。が、なんか気になる。どうしてこうも気になるのかわからないけど、気になるものは気になるし、飲まないで後悔するよりも飲んで後悔する方がましだろう・・・。なんてネガティブな感じだけど、一方では、’02のジュヴレということでかなり楽しみも楽しみ。しかし、ジュヴレというだけで今までの’02とさほど変わらないだろう。確かに、’02年ものはエクセレントでエキサイティングかもしれないが、ブルゴーニュには違いない。いや、それどころか、もしかすると、ジュヴレということで結局は割高なだけかも・・・。 11月に飲む予定だったのが、いろいろあって、12月になってしまった。いつまでも飲まずに置いておくわけにもいかないので、そろそろ飲もうかな。 栓を抜き・・・グラスに注いで、まず、びっくりした。 なんていう色! こんな美しい色のブルゴーニュ・ルージュを見るのは初めてだった。美しく、若々しい、透きとおったクリア赤紫色。とくに、今までのブルゴーニュ・ルージュと明らかに違っているのは、その明るさと輝き。透きとおっていても、グラスの中心部に行くと、どこか暗かったり、くすんでいたり、翳りがあったりということがブルゴーニュの赤にはありがちだったが、そういうものがいっさい見あたらない。「麗しい」と奥さんは言ったが、まさに、そんな赤紫色だ。 瓶の口から、ほのかに漂う芳香・・・。もっとよく確かめようとグラスに鼻を近づけると・・・これも、なんとも言い難い芳香。あえてざっと印象を言うなら、赤色果実と黒色果実の間くらいの果実の香り・・・というより、むしろ、みずみずしい薔薇のような花の匂い。しかも、何ともかぐわしく、しっとりした品がある。思わず、ひどく月並みだが「香水」のような・・・という言葉を使いたくなってくる。もちろん、香水といっても、どぎつさや過剰さはまったくない。 グラスを揺すると、ケモノ香も出てくる。が、そのフルーティなケモノ香がまた、透明感があってクリア、品がある。あるいは、薔薇。とにかくこの香りだけで十分満足できてしまいそうなほど。 口に含むと・・・薔薇。洗練され、品のある、クリアな、心地よい薔薇の花。口当たりは・・・なんというか・・・柔らかく、しなやかな、肥えたシルク、とでもいうか。とにかくそんなシルクの感触を溶かし込んだよう。 なんて、大雑把に風味の印象を書き綴っているけど、はっきり言って、こういうコメントがバカバカしくなってくる。薔薇の香りや風味がしようが、赤色果実の味がしようが、絹のような口当たりだろうが、そんなことはどうだっていい。こんなことをことさらに書き並べることが、ほとんど無意味な作業としか思えない。このワインにとって重要なことはそんなことじゃない。 素晴らしいワイン。 どんな言葉を並べようと、おそらく、僕のこの乏しい言葉では、このワインの素晴らしさに追いつくことは不可能だろう。だから、このワインの素晴らしさを表現しようなどという野心は最初から放棄して諦めたところで、ただこのワインの素晴らしさを少しでも長く、深く記憶に刻みつけるためだけに、僕はこれから様々な表現を試してみようと思う。それが僕にできる精一杯のことだから。 とにかく、僕が知っているブルゴーニュ・ルージュの中では、格が違う。格上のワイン。村名というのが驚き。だが、それ以上に僕がそのラベルを前にして何度も何度も目を凝らして確かめなければならなかったのは、その「Gevery Chambertin」という文字ではなく、まさに、ここにそれが存在している、という事実。ここにそれが存在している、そのこと自体が、僕には信じられない。こんなワイン?が存在している?ことが。 まさに、ブルゴーニュ・ルージュの真髄。真髄であり神髄。さっきはワイン、といったが、これはワインを越えている。この世のものならぬもの。・・・・などというと「なんて大げさな」と思う人もいるだろう。もちろん、そう思う人は思えばいい。だが、わかる人にはわかるのでは? 僕がこのワインから感じたこと、そして拙い言葉で、何を言おうとしているのか、何が言いたいのか。 キ・セ・キ、と何度もつぶやかずにはいられない。奇跡。 新進気鋭の作り手のものは、個性がはっきりしていて、逆にそれが鼻につくこともある。が、このワインは個性がないわけではないが、まったく鼻につかない。というか、そういう地上の価値、人の世の価値で善し悪しを測ることができるものではない、という気がする。個性がどうこうといったところで、個性なんて、所詮、地上の人間の言い分に過ぎない。これは、そういうものとは無縁な代物だ。 人の世のものではないような、そんななにか。 かぐわしい香りをかぐだけで、どこからか透きとおった音色の音楽が聞こえてくる・・・口に含むと、その香りと音楽がふわっと僕の感覚をつつみこみ、よく肥えてしなやかでやわらかい絹のような感触が僕の口蓋や舌を夢見心地に撫でていき、やがて飲み込むと、天井の高みへと僕の意識は軽やかに解き放たれる・・・・そう、一口、ひとくち、飲み込むたびに・・・たかみへと・・・。 何故これがワインなのか、ワインという形でこの世界に存在しているのか、と問われれば、たとえばこんなふうに答えたくなる、それは、人というものは五感でしかものをとらえることができない動物だから、その五感でとらえられるようにこれはワインという形でこの世界に存在しているのだ、と。 このワインは確かに、天上へと、天の高みへと僕を解き放つ。が、それは、荘厳とか厳かというものとはちがうし、また、肉感的なものでもない。地上的でないと同時に、神というものとも袂を分かっている。地上的、肉感的ではない、エクスタシー。ピノ・エクスタシー。 これは素晴らしいワインであるが、他のワインを否定するわけではない。むしろ、他のワインの多様なあり方を肯定する。 それにしても・・・ブルゴーニュのピノという品種は、なんという圧倒的な、破天荒なやり方で人を魅了するのだろう? とにかく、今まで飲んできたブル・ピノはいったい何だったんだろう? とまで思えてくる。赤色果実の風味があって、熟成した複雑さがあって・・・とはいっても、いくら素敵な赤色果実の風味がして、テロワールの個性を映し出していて、かつ、熟成による複雑さが備わっていようと、それらは地上のピノ。いや、だからこそ、地上のピノ。これはそういうものとはまったく違っている。むしろ、そういうものを、軽々と超越してしまったところに、あるいは、ほとんど無頓着に無視してしまったところに、このワインは位置している。ストロベリーやチェリーやフランボワーズ? 一体、何だ、それって? クリマやテロワールに裏打ちされた個性? そんなもの知ったことか。熟成による複雑さ? ま、そういうこともなきにしもあらずってとこだろう・・・・ こういうピノのことを、僕はまったく知らないわけではなかった。だが、それは本を読んで知っていただけのことで、実際に出会ったのは、これが初めてだ。ある意味、僕は、こういうブル・ピノを求め、探していた。今まで出会ったピノが「地上のピノ」であるたびに(かといってそれらのピノは、くどいようだが、それぞれに個性もあり、風味の複雑さや魅力を持っているよいピノなのだが、ただ、それはあくまでも地上的な魅力なのだが)、「ピノの素晴らしさは、こんなもんじゃないだろう」といつも微かな不満を感じていたものだ。その不満が今回、ついに・・・。 その2へ