自然の脅威と文明の脅威
東北地方太平洋沖地震・・・ 信じられない津波の威力に驚くばかりの情報じゃ。 各地の公共交通機関、道路網の分断はもちろんだけど、情報の分断、不通、不足の状況を見ていて、いかに正確で適確で迅速な情報が重要なのかが実感できる。 今は携帯電話、パソコンなどからメール、あらゆるWeb系情報ツールにより誰もが簡単に情報を発信することができる。 でも、その情報の裏付けや確証は不明なモノが圧倒的な量だと思う。 今回の災害の場合は、目で見る映像、画像は真実に近いと思うが、文字は発信する人次第だからどこまで信じていいかわからない。 悪意、中傷、遊びのつもりで偽情報や不確定情報を流している人もたくさんいるのだろう。 匿名やハンドルネームで発信できればなおさらじゃ。 地震津波情報や天気、被害情報、避難状況、支援情報などの公共的な情報や安否確認は人の命や運命がかかっている。 だからこそ、それをもてあそぶことは許されない。 今回の災害を契機にさらに誰もが簡単に情報を発するツールや仕組みが進むだろう。 だが、それとともにモラルの向上や情報被害の防止、犯罪としての扱いが必要になると思うのじゃ。 話がそれてきそうなので・・・ 今回の自然の脅威は地球規模の環境を強く感じさせられた。 地球の成り立ち、大陸と海の状態、地震と津波のシステム・・・ 東北沖の地震が遠くチリやアメリカにも届いていく。 環太平洋・・・ 放射能汚染がロシヤと中国に影響することを懸念する・・・ 地球は一つ、地球規模で考えることばかり・・・ そして、もう一つは文明の脅威 原子炉のトラブル これはあきらかに人類が化学から生みだしたもの・・・ 構造物の崩壊、道路、鉄道、空港の崩壊 コンビナートなどの大火災 人類が自ら抑制しきれないレベルまで技術が進んできてしまっている でも、今更、近代以前の生活レベルにはもどれない 新しい技術、特に自然や命に影響を与えるものは人類全体の責任で共有し、開発、制御すべきなんだろう 長くなってきたので・・・話を少し変えて・・・ 今日、オレの近所で一人で暮らしている知り合いのおばあさんがサギまがいの販売のトラブルに巻き込まれそうになった。 周囲の情報を聞いて、そのことが予感できたので、オレはその家に出向いておばあさんに会いに行き、そこにいた複数の業者と話し、おばあさんの家族を電話で呼んだ。 人あたりの妙によさそうな代表者は、家族とトラブルになりそうだとわかるとあっさりと諦め、おどろくほど迅速にまた丁寧に家族に陳謝し、何もなかったように、見た目は感じよく低姿勢で撤収していったが、すぐ近くのほかのおばあさんが一人で留守番していた家に移動し、販売行為を始めた。 すると、業者がおばあさんから聞き出していた帰宅時間よりも早く、何も知らない息子さんが帰宅し、我が家に入って人がいっぱいいる状態を見て驚いた息子さんに業者は一括されて早々に退去した。 そのため、今回の業者は所期の目的を果たせずに、逆にいえば、誰かがカモになる寸前で助かったともいえるのじゃ。 両方とも昼間は一人暮らしでボケ始めて判断が弱くなっているやさしいおばあさんが狙われた。 田舎で人を疑うこともなく、生きてきて、少しボケはじめたので、余計に人を信じやすくなっている。 オレと家族が話しても、おばあさんは何がいけなかったのか、何が危なかったのか、最後まで分からなかったのじゃ。 家族や地域が二人のおばあさんを守ったことになるんだけど、今回の災害でもこれは同じだと思った。 自助、互助、共助、公助 簡単ではないけど、やはり常日頃から地域のしくみ、パワーとして欠かせないものだと思う。 災害の状況を見ていて、いろいろ感じているTackeyでした。