大正生まれのおじいちゃんの蛍雪日記
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女満別空港も満員 東京羽田 1時間30分位 娘 との旅も もう 出来ないのでは と考えて おる 体が キツイ 歩く 足は痛い 年だね でも 頑張らなくては 知床 間もなく 寒くなっ て 雪が降って 流氷 がやつてきて 熊 鹿 達は 白い山の何処かで
2006年09月10日
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ウトロ は温泉が出た お陰で 客は増えて感謝だとか 知床が 自然遺産と 名所となり観光客を乗せた バス は どんどん 入って来る 半島の海の方から 望む 観光船は 引っ切り無し 嬉しいことだ 海の取れた魚 は 美味しい 料理で安い
2006年09月09日
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ウトロ此処に アイヌの家がある 20年も前から 私は 流氷に乗りに来て 民宿 アイヌの宿に世 話になった玄関に置いてある 一メートルもある 熊の彫刻は アイヌの彫った 作家は死んで居な いが立派な作品である
2006年09月08日
阿寒バスに 乗る 釧路湿原を走る 摩周湖 展望台 美帆峠ボウダイな景色 女満別空港 網走監獄 小清水原生花園 オシンコシンの 滝 知床五湖 ウトロ
2006年09月07日
9月6日釧路に移動釧路ブラザーホテル 町に出て 鹿肉 鯨 かに などを食
2006年09月06日
4日ー5日登別温泉 滝本第一 滝本イン 体が弱って彼方此方痛む 温泉に温まり 治療の為 温泉の数 30以上の湯船が あり デカイ温泉である 地獄谷があり 赤はだは 山一面に ガスの煙で 見事
2006年09月05日
北海道旅行 8時56分東京発 八戸 乗り換え12時16分 函館着15時16分ホテル駅前 泊まる 娘 と私 9400円
2006年09月03日
お盆の入り 12日 永平寺から毎年来ておりましたが 最近は違うらしい 迎え火をたく お坊さんが来る お経10分ぐらい 汗ビッショリ 冷たい 飲み物 かお 拭き 50件 回るそうだ
2006年08月13日
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朝 お風呂の掃除 蓋を 白の カシュ 小さな缶をかつて有った 昼までかかって 我ながら 満足 2時半頃から 物凄い 雷 一時間も 鳴り響く 近くらしい お盆の仕度
2006年08月12日
私は 敗戦で韓国 支那の国には 負けたと思っていない 只アメリカの 原子爆弾に 天皇の 降参宣言で負けました これは仕方なく 認めます 支那 朝鮮には 負けていない 終戦後十年 二十年考えても居ない 事を持ち上げてくる日本の議員は ただ おろおろ してどうしよう 靖国 にお参りするのは やめろ こんな事 で 収めようとして 丸く治めようと している 日本の 進む道を平気に 混乱させて自分の姿をアップさせ様 としておる それを 押しのけて日本の道を押し進む 理論も持たず 他愛も無い 議論をだして議論を続ける 日本の為 天皇の為 と 気軽く 進み 日本の日の丸を掲げて死んでいった 兵隊は 遺族は戦友は 一帯 何を 考え て 進めば良いのか あまりにも 情けない どん底の 靖国を 心の安息所としていた 場所は中国 韓国のいちゃもん を平気に 罵られ 戦に 傷ついた傷痍軍人は傷の痛さに泣き ガマンしていた痛さは もち 何処すら はいしされ 村 町 市 県すべて の 医療の 機関手当てを 見事に打ち切ってしまった 戦争を知らない 議員等の仕業だ 痛い 苦しい 助けてくれ まだ 生きて居る 戦に倒れた兵隊が居るのだ 天皇に 申し上げる 終戦後 61年苦しい敗戦でした天皇は国民より なお 大変であられました事でありませう 世界が様々な 難癖を日本に付けて かく乱 を図っております 天皇陛下の靖国神社と 私は考えて居ります 天皇陛下 靖国神社に戦死した 兵隊達におあいになる お気持ち は ありませんか 宮城を出まして 靖国神社の英霊との儀式は 四-五十 分で済みます 宜しく その様な 企画を 作ってください 私の考え 国会議員が 靖国神社に 参る 他国が騒ぐ 余計なこと 天皇が 靖国に参る 国会議員の 縄張り争いが無くなる 他国の野次馬 どもが 天皇の 靖国神社参りを 批判した場合 もし 切羽詰って 戦まで 発展したら さて アメリカ さんは 長くなりました 逐次 感想を書きます 90歳
2006年08月11日
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1分の所に サテイ デパートがある 映画館 が6軒も並んでおる 太鼓 パチンコ ゲーム5-60の機会が並んでおる 回転寿司 ラー メン屋6軒 四国の手打ちうどん 角に 30人位座れる 喫茶店 広い 通路もう 1軒は 占い師の店 3200円である 特別五分間 1200円 手のひらだけ綺麗な50歳過ぎた 女性 気軽に話して居ると 手を出 せと ユウので右手を出した まあ凄い どんな 苦難も 切り開く人だ 本とに そうだから 私はうす笑いした 貴方は長生きする 90歳だか ら 筋が此処まで来ているからまあ 96歳位かね ここまで 来ていると 100歳まで生きますよ 私は 思わぬ 96歳 もう満足です と 請求もしなかったが 払って 引き上げた 24時間営業 マーケツト 一般売り場は 9時 近くの老人達は 涼しい サテイ を 散歩 道にしておる
2006年08月10日
私の健康 132-78 体重 67キロ 血圧 尿 狭心症 寝る前 通じ 膏薬 コンナクスリを 病院で 歯医者 食べる 食事 朝パン オカズ多し 昼 麺類多し 夜 兎に角 刺身 肉 大分残 す
2006年08月09日
----- Original Message ----- From: > To: ??????@jcom.home.ne.jp> Sent: Wednesday, August 09, 2006 12:24 PM Subject: 9日の日記
我が家の実のなる 植物 表から 1 柿 七センチ 位い 20個 2 ぐみ 3000コ 位い 五ミリ ブランデー に付ける 3 みかん 20個 位い 5センチ まだ 青い 4 ゆず 20個 3センチ 青い 5 オモト 50本 4ミリ 赤い 沢山 6 長いも 10本 20-30センチ 7 栗 1本 20個 7センチ 1-2個 落ちて行く 8 千両 5本 見るだけ 9 巨砲葡萄 1本 25ふさ 14-25センチ 黒になる 10 梅 2本 4キロ位 梅干 焼酎付け 当 今 自由 娘の趣味で庭作り
2006年08月08日
熱海 方面で 聞いた 話 戦争 戦犯の処刑の遺骨は 密かに それぞれ の落ち着く所に安置した 日本人の 心ある者が集まり 遺骨を 伊豆山に集結 宮 寺 祠 の何れ かは 分らない が 小さい乍らも 日本の 英霊として 祭り 感謝を込め て祈って居った ところが 驚いた事に 熱海の市民の語 りでは 何時の日か 突然 大 きな 音と ともに 火のてが 上がり 宮 寺 かは焼けてしまつた こんな 物騒 な事 御免だ と 古い熱海の住民は語った 犯人は 左翼 か 政治 宗教の関係とか 何回も 起こった とか 私は考える 戦犯 処刑者の 政府の税金を使って 記念塔 宮 寺 等 を建て ても 返って ぶっ壊すのが 遣りよいのでは 現在祭られておる 靖国神社の方が 安全で 安らかで安心
2006年08月06日
富田 メモ 記録 覚え書き 天皇が 書いたモノではない 富田氏が 感え 思っ た 天皇は 靖国神社に祭られておる 兵士 日本の為に尽くした人を 少しでも 批判 する事は 無い 戦犯と懐け 刑にした 原爆勝利者達は 間違いだらけ 昭和天皇は 身代わり に なった 戦犯処刑の事は よく ご存知の筈 ですから 靖国神社 の 富田メモ なるもの は 富田氏の感じ だけのもの 昭和天皇 靖国神社に眠る 兵士には 静かに 静かに して行くのが 日本人
2006年08月05日
毎日 靖国神社のニース が 出てくる まるで 犬が喧嘩して 小便たれた 尊い神社を 背景に 英霊に 手を合わせる 話ではなく マスコミ の 作り 上げた テーマ を 偉そうな人間 ども が 調子に乗って 顔 点数 をか せごう と 醜い 姿を見せる 可愛そうな 人間ども
2006年08月04日
小泉総理は 9月まで よく頑張り 日本の靖国神社にお参りして頂いて 敗戦の日本を 引っ張って 来ました 他国の靖国問題を 取り上げて 議員の点数稼ぎ心の決まらない 貧弱 議員さんは 消えて頂きたい日 本の 弱みを 見せておる 様で 嫌ですね
2006年08月03日
靖国は 日本の国の為に戦った 英霊であり とやかく 言われる 事は して居りません 静かに 眠らせて 下さい 傷痍軍人である 私は 戦争 は 恐い 悲しい しかし 戦いを しなけ れば ならなかった 日本に生まれたから 小さい国を 守る為に
2006年08月02日
茅ヶ崎市の名所 海岸から1000メートルの所に 烏帽子岩がある日本が 戦争に負けてアメリカ軍が辻堂の 通信部隊を占領した大事にしていた 烏帽子岩に向かって 砲弾 射撃をした茅ヶ崎の住民は 怒り 米軍に 止めろと抗議した今残っておる烏帽子岩の白い岩肌はその砲弾の破裂した 悲しい後なのです 残念でたまりません
2006年07月31日
梅の花が咲く頃熱海の温泉に行きました花は満開で 赤 白綺麗で感動しました 娘との旅です 90歳の私手を引かれる坂道を登り 赤い橋の上で記念写真を撮りました
傷痍軍人 見事に戦の傷跡を残し傷の手当てをしなければならない 病院は完全に無くなってしまった民間の病院で治療をする 完全の治療わできない 金を出せば できる 年数がたち老人 の傷は痛い 戦争の事は 昔のことだから 議会に掛けて 金の かかることは 廃止 議員は戦争を知らないから 余計な すんだ 戦の事なんか より 現在の問題を取り上げた方が 人気がでる 傷痍軍人は 国の為だから我慢してきた 傷は痛い 死ぬまで 障害で苦しむ 若者達 議員達は 戦争を知らない 日本国のた為に 弾丸の中 突進する 負傷 戦士死する 負傷すれば 一生 かたわ で苦しむ 戦死 しても 安堵する 靖国神社で祭り上げても 関係もない屁理屈を 抜かす 天皇のお側付きは 天皇の せいに して 靖国神社をかく乱 するし 野次馬達は 勝手な 宣伝もんくで 日本を 貶し 誠に 残念無念 外国の韓国 支那 は 靖国神社に参る 総理 大臣 とは 話し合い はしないと 威張っておる 靖国神社に参らない様にする と おっしゃる 議員が居る とぼけ 戦死者 傷痍軍人は天皇の味方 どうか 天皇陛下様 日本の為に 是非 靖国神社に お花を あげて 下さい
2006年07月29日
白い大きい 百合の花 私の好きな 百合の花 匂いも 優しく百合の花
2006年07月24日
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みかん 確かこのみかん 一度も 実をつけたことがありません 今年は どうしたものか 大きくなりそうな 実が 沢山なっており ます 秋になって 黄色くなるのを 今から 楽しみにしております
葡萄大きな 房となってきました 秋になると 黒くなりまして つやも良く出て 巨砲の貫禄十分です
2006年07月23日
富田メモ 問題になっておる靖国神社に持ってきて しまいました 天皇陛下の思いを 創造で描いた メモ を 取り上げて 政治に 利用し様としておる 天皇陛下 は 日本の国の 一番 偉い人でありますから 国民も 国をつかさどり 戦の負けは ご自分にある と 覚悟しておられた 当然 死刑を覚悟して居りました しかし 勝利こくは A 級戦犯を 選び 死刑にした 簡単明瞭に述べるならば 天皇の身代わりとな って 靖国神社に祭られた いろいろ 問題があるが 国民である 私達は 私は良く考えることにした
2006年07月22日
日本の 総理大臣が間もなく 期限が来て 交代する 勿論選挙で決める 長く政権を 守ってきた ご苦労さん 富田宮内庁 長官 のメモ 何十年も前の事 天皇が富田長官に 記録さ せたモノではない 富田長官の 私的考え 創造で 何時の日か書いて 手帳に 貼り付けた 長官は 死んでおり 時代は終わり 平成の時代に 入っておる 誰が手帳を 発見して 陛下が A級戦犯を靖国神社に祭つ た事を ケシカラン と ゆつていた この メモ によって マスコミに売っ たのか 国会議員に売った のか あまりにも 天皇陛下を問題の多い 日本の渦巻き の 場に 引き出した ことを 九十歳になる私は 疑問 だらけである 天皇陛下 富田長官 の 話は はっきりと 宮内庁 内 において 蹴りを 付けるべき 問題でわないか
2006年07月21日
新潟の山岳会員の方から 頂いた百合の花です 今年は 真っ白の匂い良い大きな花が 沢山咲きました
2006年07月20日
古い写真が出てきました 七十年も前になります 大陸で 負傷して 九江 南京上海 と 野戦病院を 渡り歩き 赤十字船に乗り 広島の港に上陸しました負傷兵は 途中で何十名も 亡くなって行き 看護婦たち 涙と共に 木棺いれられました 広島出発 東京へ 第一陸軍病院 第二陸軍病院 この病院で 天皇陛下の慰問を受け杯を頂菊の御紋の付いた お菓子 など 沢山いただきました傷か塞がりました 相模原 に 第三陸軍病院に移り 本格的な社会復帰の訓練に入りました
2006年07月19日
我が家の百合の花が数十年前に 新潟で 手に入れた花今年は沢山ある百合の花は大きく 見事に咲きました。しかし日本を襲った 台風と 大雨の為其の上物凄い風の為みんな倒れてしまいましたお陰で 家の中は 白い大きな百合で彼方此方の部屋は百合の花と匂いで いっぱいです
2006年07月18日
茅ヶ崎の浜降り祭り 神輿が50台近くも出て 海に入り 練り歩く 壮観な お祭りである 90歳にもなると 海岸まで行くのが 遠くなる 足の関節の痛みも あるから
2006年07月17日
大分前の 椿の写真が出てきましたのでグロブに乗せる事にしました日本山岳会で 新潟の会員の案内で 登山しまして帰りに 会員の作った椿の苗を7十名に頂いて帰りました ご覧の様に毎年咲いててくれます
2006年07月16日
靖国神社日本は戦の多い国である 十年に一度は 戦がおこる そんな感じであつた 戦えば 怪我も起こるし 死者もでる 遺族 になると 爺ちゃん祖母ちゃん 孫 其の 父母 親戚 大勢の悲しむ遺族が出来る 戦士した本人は 死んだら靖国神社へ死ぬ 前から何となく考えていて 難しい 理論を引っ張り出して かき回さない 他国の国から 靖国神社を粗末な言いがかり をつけて 宗教論を持ち出し 日本を 下郎扱いにして 建設的な 話し合いを避ける おろおろ した 日本の議員さん わが国を 宗教で ユサブルのは 見っとも無い 戦争犯罪者 戦犯 誰が付けたのですか 私は そんな名前をつけられ て居るのは 成り上がりの 戦勝国であつて 日本を苛めに掛けている 悪い子である 悪い子 には負けたくない 中国 朝鮮半島 ロシヤ これらの 国に 負けたとは お もっては居らない アメリカ の 原始爆弾に 遣られた 負けた 広島 長崎 残 念 アメリカは 勝者である 日本を助ける とんでもない 助けないに決まっておる 日本の人間が 拉致され 家族は苦しみ 泣いておる こんな事真っ先に 立って動 く のが 同名国では ないか アメリカ は 自分の 徳に鳴ることしかうごかん
2006年07月15日
百合の花が 咲きはじめた 山百合で新潟の 山で取れた白い大きな花が綺麗に 日本山岳会 で山菜山行 となずけて じもとの名の元に 五十人位の会員でバス に乗り 新宿西口を出発 して地元の会員の迎えを受けて 山に登る もう 大分 昔の話になってしまったが 今は 自然保護の 為に 山菜を取ることは 禁じられ ている
2006年07月13日
イラク に 出兵した 自衛隊 開放されて 日本に帰ってくる 良かった ご苦労 さん 最後の 最後まで 頑張って テロ 等の犠牲にならない 事を祈る 日本の傷痍軍人は 安心して 傷を 見てくれぬ 病院は なくなり 痛さは強く 泣き の涙で 苦しんでおる 傷痍軍人は多いです だから 負傷しては 成らないのです 増しては 戦死になると どう成るのかね 靖国問題も 韓国 中国の かく乱に あって いちゃ門つけられ 日本の一部の議員は 戦争を知らない議員は 全く はがゆい 程 日本精神を 叩き込みたくなる アメリカ の 原始爆弾を投下され めちゃめ ちゃ の日本であるが 立派に 日本国となって 居るではないですか
2006年07月12日
お爺ちゃんの考え 近くの国が ミサイル 原爆を 作るなら 日本も作って ご覧に入れたら 北朝鮮の爆弾七発 恐いから アメリカ さん早く 爆弾を 発射する 場所に 沢山持っておる ミサイル 爆弾で ぶっ壊して 下さい
2006年07月11日
拉致 こんな 話 戦国次第だとばかり 考えて居りましたが 北朝鮮は コウセント 遣っていたのですね 小泉総理は どの 総理もできなかった のに ポン と拉致された家族を 見事に奪回した まだ大勢居るが 家族 おおえん者は 活発なかっどうを続けて居るが 北朝鮮 は 同民韓国 中国 ソビエット 亜細亜の共産国 と 組 中々良い方向に行かない アメリカ は 日本を助け る と おっしゃつて 居るが まともな 味方とは思えない 拉致家族が 年を取りジリ貧を待っておる それでは 困ります
2006年07月10日
須磨子の葡萄 私は 褒めてやりたい 巨砲名の通り黒くてパチンコの玉より大きい 秋になれば存分に食べさしてもらえる お父さん取れましたよと黒い大きな 巨砲を 私の前に出すのです これが一番楽しみにして居る 訳であります
2006年07月09日
盧溝橋の川の水は濁っていた 連隊指揮班の命により タンカ に乗せた 兵隊を 本部の 連隊旗のたつておる 十メートル 下に下ろした 連隊長を囲んだ 少尉 中尉 大尉 の軍団会議 小高い稜線に立って 真剣な姿勢であった 迎えに来た トラック に タンカに乗せた 戦死兵 を 涙して 乗せた 七十年前の悲しい思い出の 日が 可ならず一年に 一回は来る 靖国神社 の問題 北朝鮮のミサイル七個発射 日本は 何も出来ない ルロウ の 孤児 解放の日は 遠い 台風は沖縄 九州 犠牲 多し
北朝鮮 小さい貧しい 国だと 私は子どもの頃から ピョンヤン の 小学校に通う時から思っていた だのに 日本を 越えてアメリカ までも 弾丸が飛ぶ 驚くほど の砲撃を日本海に飛ばした 広島 長崎は まだ大きく 人々 は 100万とも アメリカ は 日本を 守る とゆうが 日本海に 7発も落ちて居るのに 果たして 突貫 して 戦ってくれるのかね 日本に 落ちてからでは 困るね
2006年07月08日
厚くて 汗が吹き出てきます 7月7日 70年もの長い思い出です 静かに 考えます 盧溝橋の事を
2006年07月07日
茅ヶ崎市烏帽子岩 先日美術館に置いて 油絵の教室で20人の生徒がそれぞれ 思っ た絵を描きはじめました 私は 烏帽子岩を 書き始めました 私の絵を覗きに来る 生徒が何人もおり 岩の白い ところ 何故白いの 私は 戦争でまけ アメリカ 軍が 辻堂の 通信隊を 占領 して 砲弾で岩を 射撃したことを話して居ると 生徒たちは私を囲んでおり 其処に 先生が来て終戦 の話から岩が白くなった 歴史を 話生徒達は 納得して居りました
2006年07月06日
北朝鮮が七発のミサイルを 発射 した 日本 アメリカ は どう動く 攻撃出来 ない日本 守ると ゆう アメリカ 危険 国は 自国の 人間が守る のでわ
2006年07月05日
何故 中国が 尊い 日本の靖国神社 を 参拝しては いけない と イチャ門つ けるのか 共産国だから 日本にも共産党員は居ります しかし 中国のゆっておる様な 馬鹿 は居ら ない みんな 日本を愛して居る者ばかりだ あまり 勝手なこと 申して居ると 日本の神は 天罰を与えます だから 仲良く 紳士 と なって 亜細亜 の 平和の為に 穏やかに 建設的に 話し合いをしてください 中国と 戦は避けたい 仕掛けてくれば これは仕方が無いから 考えなくちゃー
2006年07月04日
韓国が なぜ 靖国神社を参っては いけない 大事な話し合いは しない 結局は 頭を 下げて来い と言っておる 国会議員の中にも靖国神社に参るのは辞めろ 話し合い が旨く 行かん から 日本を本当に愛して居るのか 日本の為 天皇の為と死んで 行っ た 人間を 家族を 捨てろ 死に損ないの 傷痍軍人なんか 関係 ない 全く 驚く 悔しい 国会議員でなければ 出来ないことだから 不利な事は 撥ね付けろ 我慢続きは こまる アメリカ の 属国なのかね 90才になると 何も 分からない はっきり 教えて 貰いたい
2006年07月03日
北朝鮮 平壌の思い出 私が12才の頃 私の家から200メートルさきに 大きな 銀杏の木があって 家も大きく庭は広く 農家で働く人は十数人 畑は見渡す限り 白菜 大根 漬物 キムチ などの 野菜 そこに 10才位の少女が居り 色の鮮やかな着物を着て 私に 家に来て くれ と ひっばる様にして 誘ってくれた ご馳走は 部屋一ぱい 進め られたご馳走を 腹一倍 少女の 姉達は大きな木にブランコがぶら下 がり 二人が乗って高く揺さ振り 綺麗な少女は アリランの 歌など 歌い お土産 など貰い 私は家に帰った 北の朝鮮人 私は 彼等を憎めない 共産主義の国 ドウも 困った 拉致 神に祈る 拉致の開放を
2006年07月02日
日記は 毎日同じ事ばかり で単純すぎて 旨く 特に パソコンに 書いて 90才の爺さん 困る訳 しかし 困るといえば 拉致を 取り返せと 運動しておる人達 ご苦労さん 北朝鮮 の つわもの 達 戦争を知らない二つに分けられた 民族 早く 一つに 纏まって 楽しい国を建設して 完全な 朝鮮半島作れば このまま では 日本は面白くない
2006年07月01日
私が心配していたのは イラク に 行って 戦に近い 仕事をしておる 自衛隊の方たちであった 引き上げると聞いて ほっとしておる テロをおさえる為 実のところ アメリカの為 である 私は 傷痍軍人 であるから 怪我をしたら 一生 痛さに苦しみ 病院も なくなり 九 十に なっても手当ての機関は無くなり 戦で日本の為 陛下のため と 全ての痛さを我慢してきたが 訴えても 過ぎ去った戦は経験のな い国会議員等は 破棄捨てられた 日本の約束事は 関係ない と言 っておる それでは 日本の為と命を 捨てても 他国から 攻撃 され た 場合に 安全な所に逃げろと 何処かに隠れる事になる 仕方が ない 何れにしても 最後の撤退に 怪我など 死ぬなと の無い様に 日本に帰ってもらいたい
2006年06月30日
拉致 家族達は 命の限り帰せの 頑張りをしておる 拉致をした北朝鮮は戦いを仕掛けてきた 日本は 戦いはいけない アメリカ 事実 何もしない守る それは 嘘なんだ 日本を守るならば 拉致 を 救い出す 事こそ 信用できるのではないか 日本を守ってくれないならば 費用の掛かるアメリカ兵 家族達は帰ってもらいたい 私が 九十歳になっても 日本の国の彼方此方に居る 困る アメリカさんは 飛行場を 新たに作れと 高をくぐっておる が まだ 日本に居る 事かね アメリカに 掛かる ひようを 老人貧困者に 回していただきたい
2006年06月28日
今年も 葡萄の巨砲 パチンコの玉より大きい 葡萄黒くつやの良い 30センチに近 いものもある 三十 房位は 取れるだろう 娘の植えた葡萄である
2006年06月27日