葛藤
逃げていた。解っては居たつもり。こんなこと、自分で言うのはちょっと変だけど、身に降りかかる大体の事は、今までの知識や経験でこなせる。初対面の人と会う事や友達との会話、仕事上のトラブル、誰かからの相談、日常のトラブル等々。頭で考える前に躊躇無く対応出来る。こんな事を繰り返すうちにどんどん刹那的な思考になってくる。「計画」なんてのを立てなくても決断さえしてしまえば事は進むし、道を誤っても「計画」なんて無いんだから、そこがゴールだと思えば何て事はない。そもそも誤るなんて言葉自体、変だ。毎日が昨日や過去の繰り返し。争う事もあがらう事も無く、ただ一日を消化。楽。すごく。そんな毎日を過ごしている内に、眠りに落ちる前の時間、目をつむると、もう何もうつらなくなっていた。今日の出来事が何も思い出せない。印象に残るものは些細な世の中の矛盾。主人公も居ない主観の無い抗議。主語の無い憤り。そんな事を考えている内に深い眠りにつく。目をあければまたその日をそつ無くこなす。逃げていたのは問題からじゃない。自分から。「自分」と「自分らしさ」の差が開く事で葛藤が大きくなっていく。ふと気付けば自分が居なくても絶対、何も変わらない世界が目の前にあった。何が悪い。今までもさほど変わらない状況だったじゃない。何が悪い。あくせく知らない事を一生懸命努力して、周りに迷惑かける奴等よりも余程スマートじゃない。あぁ。子供の時にあれほど嫌がった、現実に目を向け現実逃避する、大人が使うたちの悪い言い訳の使い方がいつの間にか自然に身についた。鏡を見て、恐くなる。見慣れた顔がひどく他人行儀に睨んでる気がする。相手にならない程、弱く脆い存在に見えるのに、ひどく強気。知っている、この顔。一番相手にしたくない顔。こいつは知っている、俺を打ち負かせる言葉を。追いかける。ただひたすらに理解より先に。ニュースから流れる事件のほとんどは、突き詰めていくと結局は、オカネ。物質を求め、物質に振り回された結果の歪み。情けないと単純に思う。物質は感情を引き出す道具だと思う。感情が乏しいから、たくさんの物が要るんだろう。例えるなら夏の暑い日、木漏れ陽のあたる石の階段に腰を降ろした時の涼しさ、冬の寒い日、子供たちが騒ぐ公園の中の木のべンチに腰を降ろした時の暖かさ、に満足出来る感情があれば、クーラーや暖房の中に豊かさは無いと気付けるのに。親の何気ない一言に感謝感激し、友人の何気ない一言に絆を感じ、恋人の何気ない仕草にときめく。お前は夢見がちだなんて友達は言うが、じゃあ現実を現実のまま眺める事に何の意味があるのか。毎日ありきたりな生活の中で、現実から引きずり出される感情を鈍らせて、能面のような顔で生きている人を見ると悲しくなる。生きていくのに必要な手段だと自分を騙して肯定し、ただひたすら毎日を過ぎ去らせてる人に言ってやりたい。今のあなたは何の為に生きているんですかってね。