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カテゴリ:音楽ソフト
音楽制作に限らず、コンピュータを使ったすべての作業は、入力ディバイス、つまりキーボードとマウスによって制限されている。
ブログはその良い例、ここに書き込むことは、キーボードとマウスがあればできる。 しかし、それだけに表現できることに限界がある。それは、誰もが知っている。 コンピュータを使った音楽制作には鍵盤で入力することが便利である。 でも、すべての楽器をこの鍵盤で表現するのは限界がある。 しかし、作業に夢中になっているとしばしそんな単純なことも忘れてしまったりする。 というより、他の楽器も使えるのに、あえて鍵盤を利用しようとしていたりするのである。 そもそもその最大の理由はMIDI。鍵盤で演奏された情報はMIDIにするときわめてシンプルに表現されて、後から加工しやすい。修正が楽だ。 人間ついつい楽な方に偏ってしまう。 それがすべての元凶。 今月号のサンレコの中で、ブライアン イーノも同じようなことを言ってました。 しかし、本来、楽をしたいからコンピュータを使うのであって、もし音楽作るのにすべての楽器の演奏を始めたら、それは本末転倒。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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僕はたまにDAWソフトに音楽を作る過程やら何やらを支配されているような気になります。PCで音楽を作り始めた時はあらゆることが簡単に(自分の手の内で)出来るので自由や選択肢を手にしたような気がしていたんですけど、さて、実は使っているDAWソフトにとって一番効率の良いやり方でしか作業出来ていないのではないかなぁとか。それは楽で効率が良い反面、凄く発想を制限されているような気もするのです。
(2005/07/19 12:40:48 AM)
随分前の話なんですけど、ある作家さんが、音楽つくるのに、シーケンサー使ってるんですが、テンポとか、分解能とかグリッドとか、そういうの一切無視して、単に録音装置として使っているのを見たことがあります。それで好く作れるなあと思ったりしました。
当然、演奏をミスると、録り直しを繰り返すので、時間が掛かります。(基本的にはエディットはしないのです。) まあ、DAW使うって言うのも、諸々の手間と引き替えに制限を妥協しているということだと思うのですが。僕としては、PCやDAWの問題というより、人間の能力の問題(限界)と、考えているんです。むしろ方法は、たくさんあるのに、手段を選んでいるのは人間だと思うので。 (2005/07/19 09:29:10 AM)
人間の能力(や積み込める知識)に限界があるから何かしらの道筋をつけないとどこへも進めないのはその通りだと思いますし、それによってある程度の手間が省けるのもそうなのですけれど、それはそういうことをしたいと思った場合に凄く便利な反面、逆に発想の自由性を無意識に束縛されてしまっているような気もするのです(上記の書き込みと繰り返しになってしまいますけれど)。
例えば、PCで完結する音楽制作で「うーん」と思ってしまうのは、制作の自由度や発想がその使っている道具(ソフト)の機能や特性に凄く左右されているような感覚を、自分でやっていてもそうですし誰かと話していてもそう感じるということでしょうか(ここまでテクノロジーと音楽というものが両輪として動いている時代は、音楽が生まれてからというもの、たぶん初めてのような気がします)。人間が集まって作り出そうとしていた(ある種の原始的な音楽の)時代では、予期せぬハプニングやヒューマンエラーによって驚きや新しい発想の断片を得らることも多かったでしょうし、それによって何かしら新しい音楽が生まれていたような気がするのですけど、DAW環境ではそういう音楽の原始的であるが故に本質的でもあった面白さが減って来てしまっている気がするのです(その代わり、全てを自分でコントロール出来るので、選択肢が増えたような感覚も得られたりするわけですけれど)。その辺りをもっと是正というか改善出来れば、DAWの面白さはもっと広がるような気がしていたりします。まあ、元々DAW(やDTM)というものが生まれた理由や目的がそれとは違うということも解ってはいるのですけど・・・(笑)。 長文失礼しました。 (2005/07/22 03:44:19 PM) |
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