想い
子供を失くした親は、いつも不幸なわけではありません。涙がこぼれることもあるし、寂しいこともあるけれど、楽しいことだってあるのです。美味しいものを食べ、楽しいことをして笑う…そういうことに罪悪感を抱く時期も長く続いたけれど、今は、美味しいものを食べて、楽しいことをして、それを許せるのです。○ちゃんが生きていたら、どうかなーと思うことはあります。とっても会いたくなることだってあります。けれど、どうしようもないこと。嘆いても、悲しんでも、変えることのできない事実。取り戻すことのできない時間。ダメージは大きくて、一生想っていくのだろうけど、それは○ちゃんの親だからで、○ちゃんが天使になったからではないのです。いつだって私が○ちゃんを想うのは、○ちゃんが、そこにいても、いなくても同じなのです。いつだって○ちゃんを想う私は○ちゃんの親だからです。神様も仏様も、○ちゃんを救ってはくれませんでした。だから、神様にも、仏様にも、私は何もお願いしません。ただ、ただ、○ちゃんがいる場所があるなら、そこで楽しくいて欲しいと心の中で祈るだけです。私は、○ちゃんにもう会えなくてもいいと思っています。私の中にいつもいつも○ちゃんはいます。私とダンナの中に○ちゃんがいます。だから、万が一会えたら、もうけもの…。でも、会えなくてもいいのです。だって、○ちゃんとの時間はまだまだ続くのですから。私の感じていることは、もしかしたら変なのかもしれません。けれど、人のことはわからないものなのです。私だって、人の気持ちを推し量ることはできても、わかりません。○ちゃんと過ごした時間を持った私には、いつまでもいつまでも、○ちゃんとの時間が続くのです。それは時に涙が流れる時間だけれど、でも、涙は止まるし、笑える日もあるのです。どうか、そっとしておいてください。私たちの娘、○ちゃんをそっとしておいてください。○ちゃんを想う時、○ちゃんと一緒に今していることを楽しいんでいると思ってください。楽しいことをしている時、○ちゃんを想ってくださったら、その時、○ちゃんは一緒に楽しんでいるのです。おいしいものを食べた時、○ちゃんを想ってくださったら、その時、○ちゃんは初めてかもしれないおいしいものを食べるのです。どうか、そっとしておいてください。○ちゃんは、皆さんがそっと想ってくださった時、その想いの中で経験します。だから、○ちゃんを呼ばないでください。私たちの、そして皆さんの想いの中で無邪気に遊ぶ○ちゃんを呼ばないでください。○ちゃんは、何もできません。もう生きていません。どこにもいません。いつでも、そばにいるのです。だから呼ばないでください。生きている人間が出来ることは、そっと想うことだけなのです。