独白:異常性について
ボクは異常な人間だ。感情・精神・欲望…そういう自覚がある。ボクがアップしている写真の多くは、自然などの美しいモノが多いが、しかし、実際に撮るモノは、逆に美しくないモノが多い。いや、といいより汚れた、破壊された、朽ちたもの。ボクは昔から、そういう異常な感覚が発達していた。美しいモノもまぁ好きだが、でも汚穢・破壊・腐朽の方がもっと好き。グロテスク・不自然なものがもっと好き。(この前、蜘蛛の写真をアップしたよね。)破壊衝動や攻撃衝動もあった。サディスティックな感情も…。人の笑顔や微笑みも好きだが、困った表情や嫌がる表情の方が好き。こういう正常ではない感覚は、なかなか世間では受け入れられない。ましてや清く正しく美しくの教会内部では決して受け入れられることのない欲求だ。ボクは、長年、この異常性について苦悩してきた。自分が、いわば異端児のように感じてきた。教会内にいてはいけない、排他されるべき存在のように思っていた。こういうボクの異常性はもちろん、誰かに打ち明けられるモノではなく、また、ボクのそういう真実を知るためにボクの心をそっと開こうとしてくれた人もいない。別に隠そうとしてきたワケじゃないけど、でも、結果的にはそうだったのかも知れない。そういうわけで、牧師時代、ボクは人の心を知る努力をしてきた。聖書の述べるとおり、「して欲しいと思うことを人にもして」きたのだ。ボクの異常な欲望を理解して欲しい…そのためには、ボクが他の人のコトを理解しなければ…そう思ってきたのだ。結果的に、ボクは誰にも好かれる、八方美人の人となり、いつの間にか、牧師の任命も受けて、清く正しい生き方を人に勧める、心優しい人と評価されるようになった。それでも、誰もボクの心を覗こうとはしてくれなかった…。この、悩みについて神は何の助けも解決も与えてくれなかった。ボクの心から異常性が取り除かれることもなく、むしろ、教会にとどまればとどまるほど、自分の苦悩は増し加わっていった。ボクの異常な欲求と神や周囲の求める正常性との乖離が激しくなるのだ。神のご命令とそれと相反するモノを望む自分の感情…自分を責めるようになっていった…牧師時代、ボクは結婚を考えたこともあった。それは牧師としての仕事がら、妻の存在の必要性を痛感させられることが多々あったからだ。同時に、精神的な疲れに対する癒しも求めていた。でも、結婚には踏み切れなかった。それはふさわしい人がいなかったからではなく、前述のボクの異常な感情を妻となりうる人が理解してくれるはずがなかったからだ。こうしてボクは意識を停止せざるを得なくなり、牧師を辞め、教会に行くのも辞めた。未だに、ボクはとてつもなく異常だ。動物や昆虫の死骸の写真を撮ったり、グロテスクな虫を撮ったり、破壊された・朽ち果てた人工物を撮ったりする。実際に壊したり、殺したりはしていないが、それでも、そうしたことをしたいという欲求もある。誰かを汚したいという欲求も強いし、自らを汚したいという欲求も強い。今でも、ボクは求めている。こういうボクの異常性すべてを受け入れてくれる人。ボクと同じような異常性を持つ人。でも異常とは普通じゃないってコトだから、普通、いないよね、そんな人。普通じゃないんだから。普通にしている人たちすべては、ボクと違う人たちなんだ。ボクの日記を読んでくれている友達たちは、もしかしたら、このことを知って、ガッカリするかもしれない。でも、これは事実なんだ。ボクは、あなた達とは異なり、異常な人間なんだ。ボクが孤独を感じるのは、文字通り、周囲に人がいないからだけではなく、こういう精神・感情・欲望の点で異常なつまり、ボクと同じ臭いのする人との交流やコミュニケーションが全くないから…。なんとなくボクは生涯、孤独なような気がする。自分の異常性は決して満たされることもないだろう。そんな生活には、満足も幸福もないだろう。ましてや、生にも意味がない…そう感じざるを得ないんだ…