自殺者の増加…
15:40記「自殺者の増加…」2003年の自殺者に関する警察庁のまとめによると、3万4,427人で一昨年より7.1%の増加だったそうだ(以下、読売新聞社の記事より引用)。報告を見ていると、どの世代でも増加している。記事では中高年の男性の自殺者増加が際立たせてあり、理由として「経済・生活問題」が急増していると書かれていた。(ちなみに、「急増したのが、初めて4,000人を超えた30歳代の自殺。一昨年を17.0%(668人)上回る4,603人だった。」と触れられている。ボクも30代だ…)同時に気になったのは、子供たちの自殺。記事では「一方、小中学生の自殺者は93人で、前年より57.6%(34人)増。高校生も前年比29.3%増の225人だった。」とも述べられており、ストレスが学校や家庭内でも蔓延してることを想起させる。3割から5割り増しというのはとんでもない数字。カミュは「たとえ絶望にすっかりとりつかれても、あたかも希望を抱いているかのように振舞わなければならない。さもなければ自殺しなければならなくなる。苦悩にはなんの権利もない」と述べているが、希望を抱いているかのように振る舞うこと自体に疲れてしまうんだろうなぁ。その気持ちはすごくよく分かるし、ボクは今、希望があるフリなんてもう疲れてできない。「絶望は死にいたる病である」と述べたのはキルケゴールだが、彼は、自殺する時点で当人はまだ死を選ぶ自由が残されており、死ぬことが希望となるので、それゆえに実は真の絶望には至ってはいないと考えたという(絶望は「最後の希望である死さえ来ないほどに希望が絶たれているのである」、また「絶望とは死にいたる病である」に引き続いて「自己の内なるこの病は、永遠に死ぬことであり、死ぬべくして死ねないことである。それは死を死ぬことである。」と述べている。)つまり、彼が述べたのは単に肉体的な意味での死ではなく、精神的な意味での死、意欲も意義も希望もない、つまり存在の理由のない状態、それが絶望であると…。真の絶望か…。死さえ当人から遠ざかるような絶望…。ボクはすごく共感した。クリスチャンとしての立場から言えば、自殺は自分に対する殺人。でも、実は聖書には自殺者に対する葬儀をりっぱな行ないとして誉めている文面もある。ボクは最近、どんどん増し加わる自己消滅欲ゆえに自殺について考えることも多いし、あえて危険な行動を取ることもあるけど、未だ答えが出ない。死ぬことが最善の方法なのか、死なないことが最善の方法なのか…。いや、偶然の死を願っているとはいえ、死そのものを希望と見なしていないがゆえに、ボクは真の絶望に至っているのかもしれない…。ただ、ボクは自殺された皆さんの行動を否定したくはない。彼らの行動をすぐに「悪だ」といって断罪したくはない。さきに触れた聖書の言葉ゆえでもあるが、同時に、人の心の複雑な作用を身近に体験し、また自分自身も経験しているからなんだけど…。