INNOCENCE、更新のお知らせ
14:05記「INNOCENCE」最近、押井守監督のアニメーション映画「INNOCENCE」を見た。ボクは基本的に映画とかアニメーションは見ない方で。よっぽど「これっ!」って言うのだけ見てる。(そんなのは数えるほどしかないけど)で、「これっ!」っていうのがあたりかはずれかは見てみないと分からない訳だけどね。「INNOCENCE」はどうだったかというと、大正解だった。まぁかなり哲学的な要素が数多く含まれている作品だったワケなんだけど、生命の定義というか、人格のある生命活動が果たして幸福へとつながるのか、そういうようなテーマのようにボクは感じた。(どんな分野の芸術作品でもよく言われることだけど、作者が何を伝えたかったかは、ボクにとっては二の次。一番大事なのは、自分がどう感じたか、なのだ。)生命活動のない存在、つまり「人形」が主要なテーマだったのだ。近未来の話、人形に人格や生命を吹き込む作業がなされる。それに伴って起こった一つの事件…てな感じの話かな。生命の定義…。かなり深遠なテーマだと思う。ボクも繰り返し、このことを思索しているわけだけど、生命とはなんぞや?と言うことについては、いまだ答えを見いだし得ない。辞書の説明を見ても釈然としない。「生物を、無生物ではなく生物として存在させる本源」(「大辞林 第二版」三省堂より)これって、生物と無生物の定義に依存していない?んで同じ辞書で生物の項目を見てみると、「生活現象を行うもの。生命を有し、栄養を取り入れ生長・活動し繁殖を営むもの」となってて「生命を有し」なんて言葉が入ってる。無生物に到っては「生命がなく、生活機能をもたないもの」などと「生命がない」なんて定義。堂々巡り…。さて、この定義の中に「生活」という表現が入っているこの語には幾つかの意味があるが、この場合「暮らし」「生きて活動すること」というようなことだろう(引用元は先と同じ)では、脳死状態にある人などは「生活現象」「生活機能」を有していると言えるのだろうか?(失礼な表現かもしれません。すいません)否、そうした人も生命を有しているはずだ。このテーマについては、ボクはまだ何も調べてないので、これ以上の探求は今のところ不可能だけど、改めて、じっくりと考えてみたいテーマであることには違いない。そしてできることなら、生命の定義を見いだすことによって、自分の生命の意義も見つめ直したいものだ。この「INNOCENCE」という映画は、そういう気持ちにボクを到らせてくれた…ちなみにCGの技術も、音楽も実にすばらしいもので。ただ難解な内容なので一度見ただけでは全てが理解出来ないかも…ボクも今、前作を見ようか見まいか、考え中です~-*-*-*-*-*-*-更新のお知らせWordのNegativeに大量に追加しました。