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カテゴリ:街を歩いて見かけたもの
慶応3年(1867年)10月に「大政奉還」、12月には「王政復古の大号令」が出ました。慶応4年(1868年)1月、鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が敗退し、大坂城にいた徳川慶喜は江戸に逃れます。そして3月に天皇が自ら大坂に向かい、八幡で一泊、そして守口の難宗寺(なんしゅうじ)で一泊しました。 難宗寺 難宗寺は浄土真宗本願寺派(いわゆる西本願寺派)のお寺です。門の左側には「明治天皇守口行在所」と書かれた石碑があります。 盛泉寺 これに対して浄土真宗大谷派(いわゆる東本願寺派)のお寺が盛泉寺(じょうせんじ)で、京街道に沿ってすぐ近くにあります。 門の左側には「明治天皇聖蹟」、右には「史蹟 内侍所奉安所阯」と書かれた石碑があります。内侍所(ないしどころ)は賢所(かしこどころ)とも言われ、三種の神器のひとつ、神鏡(八咫鏡=やたのかがみ)が置かれている場所です。つまり、慶応4年に明治天皇が守口の難宗寺に泊まったとき、この盛泉寺に八咫鏡が置かれたということを意味します。 もっとも、宮中行事でも本物は使わない(無いという説もある)ということですし、このときも実際にはレプリカだったと思われます。いずれにしても、三種の神器を持って天皇が大坂に向かったというところに意味があります。 前年(1867年)の大政奉還にあたり、大久保利通は大坂遷都を進言しています。天皇の大坂行きは、表向きは御親征(天皇が軍を率いて遠征すること)となっていますが、遷都の意図もあったのではないかと言われています。 1868年4月、江戸城の無血開城があり、江戸遷都が実現し、大坂遷都はまぼろしで終わりました。 一晩のこととはいえ、守口が「都」になったわけです。
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