本願寺 御影堂(国宝)
本願寺 阿弥陀堂(国宝)
龍谷山 本願寺(西本願寺)
京都市下京区堀川通花屋町下ル
JR京都駅から北西へ徒歩約15分
一般に「西本願寺」と言われ、「お西さん」と呼ばれることもありますが、正式には「本願寺」です。浄土真宗本願寺派の本山で、山号は「龍谷山」です。
最寄りのバス停は「西本願寺前」です。近くには東本願寺(真宗本廟)もありますので、通称のほうがいいでしょうね。
宗祖・親鸞聖人像が安置されている御影堂(ごえいどう)、本尊・阿弥陀如来像が安置されている阿弥陀堂とも、国宝に指定されています。御影堂のほうが大きいのは、もともと本願寺は親鸞聖人の廟堂として建てられたからだそうです。
入口で靴を脱いで上がり、お堂の中に入らせていただきました。天井が高くうす暗いお堂の中で畳に座ってみると、厳かな気持ちになります。
渡廊下
御影堂と阿弥陀堂を結ぶ渡廊下です。
唐門(からもん)(国宝)
南側に位置する唐門です。桃山時代の伏見城の遺構と言われています。
阿弥陀堂門(重要文化財)
堀川通に面した門の一つです。阿弥陀堂の正面に位置します。
浄土真宗(真宗)は、宗祖を親鸞とする教えで、室町時代後期には、一向宗、門徒宗とも呼ばれ、山科本願寺(京都)や石山本願寺(大坂)を拠点とし、顕如(けんにょ)の時代には、織田信長に敵対する武装勢力になったことはご存じのとおりです。
天正8年(1580年)、和議により本願寺側が武装解除し、顕如は石山を明け渡しました。その後、天正19年(1591年)、豊臣秀吉によって現在の場所に土地を与えられ、本願寺が再興されました。
しかしその後、顕如の長男と三男の間で、石山明け渡しの是非を巡って対立します。この対立を利用したのが徳川家康で、長男側は本願寺の東側に寺領を得て、分立することになります。
東西に本願寺ができたのは、最大勢力だった浄土真宗の内紛を温存させるという、徳川家康の策略によるものだったようです。