江戸時代の刺青 その3
そして明治時代になると、入れ墨のような野蛮なものは文明開化に相応しくないとして、一層厳しく取り締まられることとなった。特に彫師は非合法な存在として、取り締まりを恐れて住居を転々と移した。しかし日本伝統刺青の噂は、外国船の船乗りを通じて世界に広く知られていて、英国王室の皇太子が来日の際、日本側の童貞にあいながらも、ある彫師を呼び出し彫らせたという話や、皇太子時代のニコライ2世も長崎で彫り物を入れたことが知られている。アイヌ民族や南西諸島住民(旧琉球王国領域地方)にも入れ墨が見られた。南西諸島の場合は女性だけである。明治22年10月21日に沖縄県にハジチ(イレズミ)禁止令がだされた。沖縄本島にもあるが、宮古島の無料メル友は11, 13歳に施し成女儀礼であったと笹森儀助が書いている。またそれがないと、後生(死後の世界)に行けないとあり、かなり強制力があったようである。高齢になり平成の初めまでみられたが、宮古島の場合は手背や前腕に彫り、文様が多彩で、米のご飯をたべる女性に育って欲しいという文様もある。