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建築業が斜陽になったので、叔父は10年ほどギフトショップを経営した。その店(左)と倉庫。
![]() ![]() ![]() 玄関用の床の間 ![]() 12月11日、日曜日。 午後3時30分~5時00分。毎日放送で放映。 私と王選手との関わりは、小学校2年の時から。 私は野球が好きではなかった。幼少期の私と野球との関わりは次の3つぐらい。 1.私が親からグラブを買って貰ったのが、多分小学校2年ぐらい。 一度だけ、近所の子達がやっている野球に参加したことがある。 最近ブログに書いた記事で、「建物だけで2億円の豪邸」を建てた大叔父の邸地は、当時は他人所有の空き地だった。周りを高いブロックで囲んであった。 そこは子ども達の遊び地であり、小学校高学年の時の私の秘密基地の一つだった。 その空き地で、ある日野球をやっていた。私はライトを守っていた。暇だったので、グラブの網の隙間から太陽を覗いていた。 すると、どうしたことだ。偶然ボールの方から飛び込んできた。 「ナイスキャッチ!」 友達からほめられた。しかし、「太陽を見ていた」などとは言わなかった。 2.私が小学校の頃は、男はソフトボールのチームに入っていることが多かった。私は入っていなかった。弟は入っていた。 ある時、小学校まで弟の応援に行った時のこと。 小学校時代、とても仲の悪かった同学年の男が同じ登校班に居た。 「○○、お前、カルピス飲みたいから応援に来たんやろ」 実際そうだった。薄かったが、応援に行くとカルピスを飲むことが出来た。 「アホッ、そんなもん、いるか!!!」 カルピスを飲まずに帰った。 それ以来、応援に行っていない。 それ以上に、野球が嫌いになった。 3.中3の時。授業中にソフトボールの試合があった。私が内野フライを打ち上げた。 当時の私は、「内野フライは全てアウト」だと思っていた。 野手がボールを落とした。勢いよく走っていなかった私はファーストでアウトになり、担任に怒られた。 そんな、野球とは無縁の男だったが、巨人の試合はよく見ていた。父が熱狂的な巨人ファンだったから。 父、そして多分、兄も弟も長島のファンだった。 でも、私は「左利き」ということ、それからホームランがとても興奮するものだということ、この2つが影響して「王貞治」のファンになった。 年月を重ねるに従い、その思いは強くなった。 「オレが頑張ったら、王選手はホームランを打ってくれる」 「今日、王選手がホームランを打たなかったのは、オレがだらしない一日を過ごしたからだ」 生来傲慢な私は、幼い頃から「天下の王」と自分とを一体化して毎日を送っていたようだ。 物心がついてから、王選手に関心を持ち、それが尊敬から敬愛する存在へと昇華していって50年になろうとしている。 イチロー選手は、自分が最高のプレーヤーだという意識を持っていることを周りに感じさせる人だ。そのイチロー選手をもってしても「王選手の意識の片隅にでも、イチローという存在があるなら、それだけでも光栄です」のようなことを語っていた。 王貞治の人物の偉大さを語るエピソードである。 自分の人生の大半を「王貞治氏」を一途に応援してきた自分を光栄に思う。 末永く、健康で、そして野球と親しんでいて欲しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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