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のんびり・ゆっくりダイエット

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2022/12/04
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保寧山 瑠璃光寺

中門には保寧山と山号が大きく掲げられています・・
中門の両側には袖回廊が巡っています・・





中門の左手前に大内弘世の銅像が建っています・・
大内氏の始まりは百済国聖明王の第3皇子・琳聖太子と伝えられ
推古天皇19年周防国(今の防府市)に着岸し聖徳太子より周防国大内県を賜り
多々良を氏としたといわれています・・
「大内」と称し始めたのは平安時代で16代盛房の頃で
本拠地が「大内」という地名だったことが由来とされています・・
長門・周防国の守護に任じられた24代大内弘世は
1360年頃・政庁を山口に移し京に模した街づくりを始めたといわれています・・

中央に本拠を置き
街を縦横に区画・街路名を大路・小路と京風にしました・・
一の坂川は京の鴨川に見立てられました・・
第31代大内義隆は
キリスト教宣教師サビエルに日本で最初に布教の許可を与えましたが
重臣陶氏の反乱で自刃に追い込まれ大内氏は断絶・・
山口市内には大内氏ゆかりの神社仏閣が数多く残り
大内文化が色濃く香る街とされますが
その大内文化の始まりが大内弘世ということです・・





こちらの右側には最初にご紹介した国宝である五重塔・・





中門のすぐ右手前に瑠璃光寺の鎮守石殿があります・・
瑠璃光寺は古く吉敷郡仁保の地にあリましたが
元禄3年(1690)にこの地へ移ってきました・・
この石殿は当寺が仁保にあった頃
当山16世重堂専宗和尚が寺の鎮守として
慶安3年(1650)に造立したと刻銘からわかります・・





石殿の右手に梵鐘の案内があります・・





回廊の奥に鐘楼があり
そこに吊るされている梵鐘は当寺が仁保から移転する前に
瑠璃光寺の末寺であった光明禅寺が廃寺になったときに移ってきたもので
天文元年(1532)に鋳造されています・・
撞座の蓮華座の中房に花弁を造る作風は珍しいといわれています・・





本堂の廊下のところにおいてあった鐘・・
これなのかな?





生前の罪過を懺悔し・世の為・人の為・善行を尽くすことを約束し
「後生ですから、極楽浄土の道へお導き下さい」と後生車を回します・・
1回廻す毎に罪過が浄化されるといわれています・・





身代わり地蔵・・

身代わり地蔵は本人に代わり
悪縁・病気・縁談・不幸等に対して御身体を3つに切って身代わりになってくれるという
あり難いお地蔵さんです・・

さっさと上に上がっていっちゃうクマさんに

クマさ~~~ん・・
身代わり地蔵様に足の痛みをお願いすればぁ~~~


クマさん
降りてきて
身代わり地蔵様の足を擦ってお願いしていました

あら不思議・・
クマさんの足の痛みがなくなった!!

なんてことにはなりませんでしたが・・
ひどい痛みにならなかったことには感謝ですね・・





水かけ地蔵

水掛地蔵は水をかけながら
心願をお願いすると叶うということで
お地蔵さんに水をかけながらお願いをします・・





クマさんはぼけないように頭を擦ってお願いしていました





本堂

本堂入り口の正面に向かって左には「布袋和尚」
右には「寶頭廬善者(びんずろぜんじゃ)」像が出迎えてくれます・・





本尊は薬師如来・・





知足の手水鉢

「吾唯足知」は釈迦の最後の説法の中で言われたことばです・・

真ん中が口という文字ですがこれは「吾唯足知」でお経の中にある言葉です・・
今の自分はこれ以上我欲を求めないで足ることを知るという意味で
むやみな贅沢を戒めてます・・

我欲を求めない・・
足ることを知る・・
心に響く言葉です・・

以前ブロ友さんが書いてらした言葉を思い出しました

私は人を羨まない・・
決して人を羨まない・・


その方はガンで亡くなってしまったのですが
最後まで素晴らしい生き方をなさってました・・
その言葉が頭の中に浮かんできて
気がつくと手を合わせていました・・

続く・・

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Last updated  2022/12/04 06:59:07 PM
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