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バベルの図書館-或る物書きの狂恋夢

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テーマ:お勧めの本(7254)
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塩野七生著『ローマ人の物語』(24)
       賢帝の世紀(上)(新潮文庫)

読破ゲージ:
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久々の大型皇帝登場。45歳、男盛りで皇帝トライアヌス誕生。曰く「用いる言葉にこめられた真実味、強く毅然とした声音、威厳に満ちた顔、率直で誠実な眼の光」の持ち主。初めての属州出身の皇帝。トライアヌスに求められた君主像はとは、小プリニウスによれば「帝国の自由と繁栄と安全の保障」。アウグストゥス(「ライン河、ドナウ河、ユーフラテス河、サハラ砂漠までを領土とし、これ以上拡大しないこと」)に背き、ドミティアヌスさえなし得なかった領土拡大に乗り出す。当面の敵は、「リメス・ゲルマニクス」に挑むダキア族。自身もカエサルに倣って『ダキア戦記』を執筆したトライアヌス、しかしその激戦および帝国史上初の領土拡大の模様は、全長200メートルに及ぶ「トライアヌスの円柱(コロンナ・トライアーナ)」にすべてリアルで精緻なレリーフで巻物よろしく記されているという。優秀な指導者デケバロスに率いられた“「王」の野心と抵抗”は激しかったが、第一次ダキア戦役は一年と数ヶ月で、講和により決着。当面はその勢いを押さえ込むことに成功。ダマスカスの天才建築家アポロドロスとコンビネーションの良さは、ダキア問題解決後は皇帝恒例の公共事業でも発揮されるが、出色はやはりダキアを完全に屈服させる“喉元のナイフ”たるドナウ河の中流に石橋をわたす大事業。川幅1キロメートルオーバー、前例なし。ローマの橋とは“道路と同じ高さの橋”(なので、このルールに外れる橋はローマ帝国滅亡後の作と分かる)ゆえに、河岸から河岸にかけたのでは目的を果たせない。内陸から始まる長い距離と、足下を流れる水を考慮した高さを備えた石造りの橋の、着工から一年余りでの完成は奇跡的。この「トライアヌス橋」は、19世紀半ばには、ドナウ河を有効利用したいオーストリア・ハンガリー帝国により爆破される。ところで、この橋を有効活用したいトライアヌス、先に手を出して来たダキア相手に第二次ダキア戦役開始。橋を渡ってなだれ込むローマ軍に、デケバロス自刃、ダキア王国の夢は潰える。晴れて凱旋のトライアヌス。ドミティアヌスの命取りになった、捕虜買取の講和も過去の話に。ここまでは属州出身であるためか謙虚を旨としてきたトライアヌス、ダキア戦役以降はそのスケールの大きさを隠すことを止める。戦後処理も徹底。ドナウ北岸に勢威をふるう危険な存在の抹殺を企図。もはや、ダキアは問題のタネとなってはならないとばかりに。ドナウ防衛っっから割くことができるようになったエネルギーと、ダキア戦役で潤った財源は公共事業に。筆者曰く「公共事業に対しても、戦争をするのと同じ気概で臨んだのか」と。ところで、現在に見られる遺跡は、風雪に晒された結果ではなく、キリスト教支配の結果。異境の象徴に使われた、使いやすく切り出された建材は、そっくりはずされて宗教建築に使われた。遺跡は建設資材の採掘場となり、古代ローマの大理石を見たければ、遺跡でなく教会へ行け、と。今も残るトライアヌスの公共事業の傑作は、スペインのアルカンタラの橋。皇帝トライアヌス治世下で小プリニウス、小爆発。その業績は、『小プリニウスとトライアヌス帝との往復書簡』として後世に遺る。同世代で親友のタキトゥスと正反対の円満な人には“毒”が足りず、一方“毒”のあったタキトゥスは「ローマ帝政期最高の歴史家」に。『往復書簡』では、小プリニウスはよく書いたが、トライアヌスもよく返事を書いた。勤勉皇帝の面目躍如。面倒見のよさ(トライアヌス、次世代育成のため「育英資金制度=アリメンタ」も法制化)もあってトライアヌス時代は皇帝と元老院の関係も良好。公私混同せず、公明正大な点も評価され、元老院も安心してこの皇帝を信頼した。ゆえに元老院より、史上初「至高の皇帝」の称号を贈られる。この時代より、ユダヤ教とは一線を画すキリスト教は、アンダーグラウンド的活動により潜行して布教活動開始。結社化へのローマ帝国の脅威へとつながる。またも、というべきか。先帝の誰もが治め得なかったパルティア問題浮上。東への遠征を決意。先人の努力による微妙な友好関係は、またもパルティアの王位継承問題をきっかえとして、パルティアより破られる。抜本的解決は軍事力以外になし、とトライアヌス。が、正面突破敢行に60歳で立ち向かうには成功を重ね過ぎていた、この人は。その一つは、子飼の武将の次世代をうまく活用することが出来なかったこと。にもかかわらず、ローマ軍は軍功を競って善戦、ルシウス・クィエートスらの目覚ましい活躍により敵国の重要都市を陥落。早くも「パルティクス(パルティアを制覇した者)」の称号がスタンバイ。これまた前人未到のペルシャ湾に達したトライアヌス、ひとまずアンティオキアまで帰着すると同時に、これを好機とメソポタミア全土が一斉蜂起。パルティア王国の危機とは関わりなく、パルティア全土に厳とした態度を崩さないトライアヌスへの危機感からの蜂起は、無視できぬ勢いに。よしんばこれを治めても、メソポタミア制覇の高い代価に帝国は耐えられるのか。同時にユダヤ一帯でも反乱勃発。トライアヌス、無念のうちに病に倒れる。総司令官を、かつて自身が皇帝に推された際にいの一番で駆けつけたハドリアヌス(トライアヌスはハドリアヌスの代理父でもあった)に任せ、ローマへと帰途に就くも、病状急変、64歳に満たぬ死、二十年におよぶ治世。これまたローマ869年の歴史でも初の、死者を主人公にした凱旋式で迎えられ、その生涯に幕を下ろす。初の属州出身皇帝ゆえに、人並みはずれて精力的であり続けた男の後は、指名によりハドリアヌスが継承する。(了)


ローマ人の物語(24)

「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。





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Last updated  2008/12/16 11:26:06 PM
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プラダ バッグ@ gpzqtt@gmail.com 匿名なのに、私には誰だか分かる・・・(^_…
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