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バベルの図書館-或る物書きの狂恋夢

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テーマ:お勧めの本(7254)
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塩野七生著『ローマ人の物語』(27)(28)
       すべての道はローマに通ず(上)(下)(新潮文庫)

読破ゲージ:
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この二冊(巻としては一巻)は、筆者が冒頭で何度も断りを記すように、テーマとしては明らかに単体としての扱い。古代ローマにおけるハード、ソフト両面のインフラストラクチャーに特化して記述した巻。ハードなインフラストラクチャーとは、ローマ帝国800年の歴史を文字通り足元から支えたインフラストラクチャー、つまり道路と水道。時の財務官、アッピウス・クラウディウスの、政を執り行う者としての責務として始められた公共事業が、まさか帝政を準備し支え、また100年どころか天下800年の計の礎になろうとは本人も想像だにしなかったことであろう。そもインフラ・ストゥルクトゥーラなる言葉は古代には存在せず。それは「モーレス・ネチェサーリエ」つまり「必要なる大事業」であった。「インフラ=下部」の「ストゥルクトゥーラ=構造」作業、社会資本の充実、後の造語は「人間らしい生活に必要な事業」が本来的な意味だった。全線舗装の街道は紀元前五世紀に、すでにペルシャに存在したが、ネットワーク化までを視野に入れた街道網の発明をした点にローマのオリジナリティがあった。舗装にあたっては、「岩は味方だが水は敵」がモットー。ローマ時代のマイルとは、文字通り「千歩」の意。=1.5キロごとに、マイル塚を設置するなど、旅人にも便利。二千年後のイタリアの国道は、古代ローマの道筋をほぼ流用しアスファルトにした程度。実用性においても、ローマ街道を進む速度を人類が越えたのは、19世紀半ばの鉄道発明と20世紀の自動車普及を俟つというのだから、最速の移動方法は永年ローマ街道の利用だったのだ。ネットワークが劣化していない証左。帝国全域に広がる血管網たる全線舗装の街道は、幹線だけでも375本、全長8万キロ。一方、ローマ人が「街道の弟」と呼ぶところの橋であるが、姉である街道と姉弟仲良く助け合うのが耐久性(フィリミタス)、機能性(ウティリタス)、美観(ヴェヌスタス)を備えた理想。したがって、橋もまた石造り、街道と高さが同じ=水平で街道の延長状、そして舗装、が鉄則。軍団勤務のエンジニア以外には、兵士たちが自ら熟練工夫となったのが、進軍を続けながら治めていくローマ軍団の特徴。インフラを整備し存分に活用しながら進むローマ軍団にとっての兵站=ロジスティクスとは、つまり兵士たちの力が最高に発揮できる環境作りのことであった。軍団の司令官にも、旅人にも地図(イティネラリウム)は情報の集積。当時、「言葉で示した地図(字コンテ)」「図で示した地図(絵コンテ)」の両方が存在。変わり種の旅行用コップ、表面には、宿、馬の交換所や馬車の修理場、飲食施設、それらが存在する都市名とそれらの間の距離が記録。コップ・ナビ、便利そう。なお、絵地図の方でも、筆者曰く“ミシュランの古代版”というべき「タブーラ・ペウティンゲリアーナ」なるものが存在、実用情報のみならず、「ここはモーゼが十戒を授けられたところ」など史跡情報もあったとか。記号やイラスト風に情報があしらわれていた点もユニーク。440年にわたって水汲みに頼っていたローマ人たちに、水道をもたらしたのもまたアッピウス・クラウディウス。アッピア街道とアッピア水道が同じ財務官によって着手された紀元前312年はまさにインフラ元年。安定的に、清潔な水を豊富に利用できるようになっただけでなく、水害は回避され、湿度がもたらす疫病の類いも遠ざけられた、一石で何羽もの鳥を落とすのが、ローマ式合理主義。帝政時代になってさえも、文化の上ではローマより上を自認していたギリシャ人ですら、ローマ人による街道と上下水道の完備には兜を脱いだ。ヒポクラテスの故郷も、衛生面ではローマに譲った。水道法などが定められたあたりもまた法の民・ローマらしく。紀元6世紀まで現役だった水道は、坑道の抜け道としての利用を恐れたビザンチン帝国の将軍によりレンガとセメントで塞がれ、終焉。怖れや疑念が文明を殺した。ソフトなインフラとは、すなわち医療と教育。衛生管理は水道の賜物、特徴的なのは死の迎え方。人間を死すべきものと捉え、遺灰埋葬、地獄の概念もない古代ローマ人は、死と生は共生していた。紀元4世紀、死生観と医療制度は、キリスト教の勝利により変貌する。他の神々を認めない一神教は、病の快癒を司る神々の祠から人々の足を遠ざけるために、医療費無料の診療所を設けるも、名実共に備わった公立病院は4世紀末を待たねばならない。現代では「公」の担当とされる医療も、「私」の領域と考えたカエサルの時代とはコンセプトが違う。「慈愛」「人権」台頭により、医療は「公」中心へと移行した。教育もまた。子弟の教育は家庭教師、「ムセイオン」と「アカデメイア」の精神=「疑いを抱くこと」からスタートする学問も、教育制度が公営化されるキリスト教時代には、信じること以外が禁じられてゆく。とまれ、古代ローマのインフラストラクチャーは、かように徹底した合理主義に基づく緻密にして遠大なものであったので、古今東西を問わず、インフラストラクチャーの何たるかを一考するにあたっては、この巻のみをつまみ読みしても十分に価値がある。また、『ローマ人の物語』のダイジェストを織り交ぜながらの記述なので、他の巻を読まなくても、筆者が器具も杞憂に終わるほど十分に面白く読めるだろう。ただ、やはりそれまでの巻を読んではじめて、この独立した巻の面白さが“完全”に満喫できるようなニクい仕掛けも皆無でないあたり、長い長い物語に付き合ってきた読者への配慮も忘れない。(了)


ローマ人の物語(27)


ローマ人の物語(28)

「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。





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Last updated  2009/01/07 12:16:41 PM
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