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バベルの図書館-或る物書きの狂恋夢

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塩野七生著『ローマ人の物語』(26)
       賢帝の世紀(下)(新潮文庫)

読破ゲージ:
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旅人皇帝ハドリアヌス、最初の大巡業が帝国の西方視察ならば、二度目は東方への旅。長期巡業を予測して、長年固辞してきた「国家の父」の称号を得ていざ出発。ユーフラテス河付近の小都市で、不意打ちの外交に成功。ただ、一帯の王侯全員を招待。ローマ皇帝の不意の号令のもと、一堂に会する中東の王侯の間で、平和が再確認される。ライン河、ドナウ河、ブリタニア、北アフリカ、黒海から紅海を結ぶユーフラテス河防衛線、すべて視察、再構築完了。このローマ軍団を、ユダヤ人、フラヴィウス・ヨセフスは「敵ながら天晴れ、これだけ訓練され、組織化されたローマ軍相手ゆえに、戦う前に冷静になれ」と『ユダヤ戦記』で説くも、ユダヤ人の間では不評。割礼禁止(ばかりか、犯罪者への刑罰に割礼を施す、という侮蔑まで)にシナゴーグの破壊、とユダヤ民族には寛容でなかったハドリアヌス皇帝へのマグマは、ヨセフス・フラヴィウスの忠告に耳を貸す冷静さを失わせるのか。しばしば、扱いにくい指導者、複雑な性格の持ち主と評されるハドリアヌス、「一貫しないことでは一貫していた」と。ただし、筆者は書く。「自らに忠実に振舞ったことでは一貫していた」。自らに忠実な皇帝は、愛情表現もまた自らに忠実。旅また旅の人生で、妻との間は不仲だったが、愛した美少年はいた。そのアンティノー、ナイル川で溺死。本当か。乙女心のアンティノーなら、ハドリアヌスの愛をつなぎとめておくために自死を選んだのではないか、と筆者。アンティノーの死に、ハドリアヌス悲嘆に溺れる。事故の起きた対岸に「アンティノポリス」なる都を作り、各地でアンティノーの像を大量生産する。そして、皇帝をユダヤのマグマが襲う。ユダヤ反乱。もっとも、洞察力の人・ハドリアヌスのこと、割礼禁止など、無神経にするはずはない。アウグストゥス以来、決して破られることのなかった共生路線を頑なに拒絶し、ローマ帝国からの恩恵と譲歩だけは手にしながら、「普遍」への融和を避けて「特殊」をひた走るユダヤ民族との関係に一石投じるための挑発だったのでは。ユダヤ側は指導者二人、「我こそがユダヤの王であり、救世主である!!」。が、過激に走れば不純へ不寛容になる。指導者の一人バール・コクバには、禁令を受け容れた穏健派のユダヤ教徒が許せない(割礼の代わりが水かぶり、つまり洗礼)。ユダヤ反乱指導者により、洗礼をほどこすキリスト教への弾圧も開始。この衝突が、2000年にわたる敵対意識の源流とさえ。ローマ帝国の網は、64年前と同じく、イェルサレムの陥落でユダヤの反乱に幕を引く。結果として、「種子の散布」を語源とするディアスポラは、ほかでもないユダヤ人たち自身の融和への拒絶にキレたハドリアヌスの手によってもたられたこの皮肉(自主的な離散はディアスポラでなく、強制された離散のみがディアスポラなのである)。そして、このハドリアヌスのユダヤ教徒への態度が、キリスト教の台頭に結果として加担したとする研究者も。イェルサレム陥落後は、ハドリアヌスの余生となる。ローマ帰国。加齢と病、それに一種の燃え尽き症候群からくる自制心の緩みから、元来自己中心的だったハドリアヌスの頑迷さや複雑さに拍車。二度と殺さぬと誓ったハドリアヌス、陰謀の咎で義兄とその孫を処刑。なにせ後継者は皇帝の頭にはもうあったのだ。アエリウス・カエサル。美男、優雅、洗練。しかし健康にはすぐれなかった。文句なしの後継者にしたいハドリアヌス、アエリウス・カエサルに無理を強いて、結局アエリウス・カエサル、後継者指名を受けての皇帝への感謝の演説の直前に吐血して死去。その廟は、いまでは「カステル・ザンタンジェロ」。ハドリアヌス、次のカードは、後のマルクス・アウレリウス。当時はマルクス・アンニウス・ヴェルス、哲学好きな「真実大好きっ子アンニウス」、16歳。まだ若い。つなぎが必要と判断した皇帝、旅の留守を任せた元老院議員のアントニヌスを、ヴェルスをその養子にすることを条件に養子に迎え、後継者とする。仕事をすべて終えたハドリアヌス死去、21年の治世、享年62歳。アントニヌス、皇帝即位。人々は彼の時代を幸福な時代と呼ぶ。ハドリアヌスに好意を持たぬ元老院、死後の神格化に反対するも、このアントニヌスの涙ながらの嘆願により、カリグラやネロの轍を回避。人はこの新皇帝をアントニヌス・“慈悲深き”=ピウスと呼ぶ。ニュースなき時代を治めるもまた賢帝の力量なれば、慈悲と質素倹約、黒字国庫でもリストラを恐れず、先帝が整備した帝国の平和を維持することに徹する。美男、長身、一級の教養人。虚栄心なく、晴れやかで穏やかな。広く意見を求め、周囲の意見によく耳を傾けた人格者。天災以外には恵まれた治世。アントニヌス・ピウスのヴィルトゥとは「徳」だったのだ。息子マルクス・アウレリウスは『自省録』に書く。「父は“汗まで管理する”熟慮に基づく人。老いて健康と持続力が衰えれば、穏健さと落ち着きでそれを補う術を知っていた清廉で不屈の精神の持ち主」。父親冥利。23年の治世、75歳で慈悲の皇帝も静かに逝く。最期に「葬式は派手にしないように」と言い遺して。駆けつけたのは養子である皇位継承者二人。40歳のマルクス・アウレリウス29歳のルキウス・ヴェルス。帝国の民は、理想的な「国家の父」の死を惜しんだ。この尊称を一種の名誉と捉えた皇帝たちは、一様に「国家の父」と呼ばれることにデリケートになったが、即位後すぐに尊称を受けたアントニヌス・ピウスは、文字通り「国家の父」であろうと心底から疑いなく思っていたからこそ、神経質にならなかったのだ、と。(了)


ローマ人の物語(26)

「旅から、音楽から、映画から、体験から生死が見える。」 著書です:『何のために生き、死ぬの?』(地湧社)。推薦文に帯津良一・帯津三敬病院名誉院長。





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Last updated  2009/01/07 12:16:23 PM
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プラダ バッグ@ gpzqtt@gmail.com 匿名なのに、私には誰だか分かる・・・(^_…
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