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バベルの図書館-或る物書きの狂恋夢

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テーマ:お勧めの本(7254)
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塩野七生著『ローマ人の物語』(41)
       ローマ世界の終焉(上)(新潮文庫)

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いよいよ、時は来た。ローマ世界の終焉。タイトルそのものがストレート。もう、終止符を打つしかないのだ。読んでいて、やりきれない想いと、それが必然、自然の理、と醒めた想いとが交錯する。いま、「世界の首都」の死を看取る。長きにわたる、この作品との対峙も残り三冊である。
紀元三九五年、皇帝テオドシウス死去。グラティアヌスとの共同統治を経て、後半は事実上ただ一人の皇帝として統治に当たった、最後の「インペラトール」=軍隊を率いて戦う皇帝。キリスト教振興によって、コンスタンティヌスに次いで「大帝(マーニュス)」の尊称を贈られるも、それがゆえに王権神授にしたがって、時期皇帝は、二人の息子、アルカディウスとホノリウスに。これをもって、決して意図したわけではなく、しかしなし崩し的に、帝国は東西に二分される。東ローマ帝国と西ローマ帝国の誕生、つまり帝国の分裂。父帝の願いは従来にもあった分担統治であったのだが、子らはそう受け取らず。
最後のローマ人と呼ばれる、ヴァンダル族出身の蛮族英傑・スティリコ、二人の新皇帝を託されて表舞台に上がる。スティリコ、苦悩の人生スタート。しかし、テオドシウスのもとで、確実な信頼を築くだけの活躍はしてきた。そして、事実上、その後の帝国を誰よりも思って四面楚歌で孤軍奮闘するのが、蛮族の子・スティリコという皮肉。グラティアヌス帝が死んでペルシャが侵攻してきた時に功あったスティリコはまた、ロイヤル・ファミリーにもなっていた。皇帝の甥となったスティリコの昇進を、エウヌコス、つまり宦官が面白く思うはずもなく。スティリコが、嫉妬の中で悪役にされ歴史から抹殺されても、その真実は曲げられていたことを知ることが出来るのは、“現場証人”たる詩人クラウディアヌスの功績。
スティリコを襲った最初の、そして致命的な外敵は西ゴート族(ヴィジゴート)。四世紀以降しばしば帝国に侵攻してきた西ゴート族は、なかなかに“しわい”アラリック。精強なるスティリコのいる西方を避け、東方に齧りつく。まさに晴天の霹靂。あっというまに雪崩れ込んだ蛮族、迎撃の暇も与えず押し寄せる。事態を察して難事にあたるスティリコを、皇帝アルカディウスの、宰相ルフィヌスの下策で出撃中止に。荒らされるだけ荒らされ、準備だけさせられて、臆病者の一声で、迎撃も追撃も出来ず。ルフィヌス、義憤に駆られた兵士によって、閲兵式の最中に暗殺される。
スティリコの策ならず、辛くも背後を衝かれずに済んだアラリック、次のプランを構想中。スティリコがいないバルカン半島へ侵攻。今度は皇帝もスティリコを起動。戦闘はすぐには起きない。ローマ式の決着とは、兵力を逐次投入することを嫌い、敵勢力の多寡に関わらず、一挙に大軍を投入する方法を好むからである。が、合流が約されたコンスタンティノープルからの軍勢はいつまでも来着せず。なにしろ、この頃すでに、帝国の軍隊は、兵力としては激減していたのだ。
足踏みする中、元老院には、同じ蛮族相手に手を抜いたとスティリコを批判する者も。
内部にも敵を抱え、討伐を中止したことでスティリコ、またもアラリックに再起の機会を与える羽目に。
依然として脅威として居座るアラリックの懐柔策は、宦官の進言。サインは皇帝。中身は、アラリックをローマ帝国の「イリリクム地方担当の軍司令官」として正式に迎え入れること。ローマも脅せば屈する、という前例を作ってしまう結果に。
ここで、東西分裂が問題となる。東ローマ帝国が、西ローマ帝国に属すイリリクムを侵攻してきた蛮族に委ねた上に、西の事は知らぬ、と東は東で防衛には無関心。帝国は、この無責任な東の分離から瓦解していくことに。コンスタンティノープルで、オリエント色が強くなっていた皇宮では、あまりにローマ色の強い西ローマ帝国はもはや異質になっていたのだ。
ドナティスト。ドナートス派。信仰の純粋主義。世界の機構としてローマ帝国を認めるのがカトリックなら、ローマであろうとなんであろうと、世俗の組織を認めないのがドナティスト。実力伯仲も、いまは、ニケーア公会議で「異端」になっているが、北アフリカに勢力を持っていたことは、後々大きな火種に。北アフリカを統治したドナティスト・ジルド、反体制勢力として、圧倒的な支持を得て蜂起。“ローマの小麦”が危機に晒される。目的は、カトリックへの反抗と、弱体化につけ込んでの、北アフリカの帝国からの割譲。
事態の収拾はまたもスティリコの双肩に。スティリコ、ジルドに家族を殺された熱心なカトリック信者にして、ジルドの実弟・マシェゼルを討伐の矛に立てる。スティリコの作戦は当たり、マシェゼルも本懐を遂げて、ジルドを成敗。
次々と降りかかる問題を解決できるのは、もはや皇帝の後見人・スティリコ以外になく。帝国のために身を粉にすればするほど嫉妬と憎悪を集め、だからこそ、己の出自・蛮族が気になる。この悪循環。開放的で開明的だった時代に生まれれば、称賛のうちに性を全うしたに違いないスティリコよ、いまや帝国は、王権神授だけが皇位を保証し、実力や才能を称えるより、己の無能に逆ギレして足を引っ張る外野が五月蝿い時代なのだ。「紳士協定」など、セピア色の古典映画みたいなもの。
三世紀の蛮族の侵攻が促した農地の過疎化が遠因となって、四世紀後半に職を求めてUターンした農民たちは、土地を捨てたにも関わらず農民に戻る代わりに、農奴となっていた。自作農中心でないため、伝統的なローマ式の軍事力確保もできなくなっていたことになる。加えて、教会振興によって、非生産者=聖職者の数が増え、帝国は、国力そのものに限界が訪れていたことになる。さらに加えて、元老院はもはや、名ばかりの浮世離れした人々の集まりになっていた。
帝国の衰弱する中、帝国内の外敵・アラリックは、着々と自軍を補強。“招かれざる同僚”の不穏な増強を横目に、スティリコ、東ローマ帝国軍司令官にして右腕・ガイナスを、政略で殺され失う。カトリックの蛮族排斥運動の狂信化により、このゴート族出身の忠臣は殺された。またも、蛮族排斥。
東西帝国の関係が冷え込む中、「神の鞭」、泣く子も黙るフン族が侵攻開始。撃退を喜ぶ間もなく、その男が動いた!!アラリック!!西ゴート族を率い、悠々と、不敵に、まさかのイタリア北部へ侵攻。本来ならアルカディス帝が禁止すべきこの越境行為。しかし、蛮族で、異端のアリウス派であるアラリックが、一族郎党引き連れて、“お隣の西”へ出て行ってくれるならありがたい、との判断。事態は深刻と察したスティリコ、目下もめていたスヴェビ、アラニのニ部族との交渉をまとめてすぐさま北へ向かう。短い準備期間にも関わらず、スティリコ軍は、今度はアラリックをロックオン。真冬のアルプスに立ち塞がれて、さすがのアラリックも対決を避けて逃走を決意。包囲網を狭めてついに、ポレンティアの野で両軍対決。スティリコ軍が機先を制し、アラリックを東へと押し返す。逃げるアラリックをヴェローナに追うも、またもアラリックと西ゴート族は、壊滅だけはまぬかれてまたも逃走に成功する。
度重なる消耗的な侵攻に、スティリコ、ガリア防衛戦略を変更。つまりは、ガリアを捨てることを決定。ユリウス・カエサルが征服したガリアを捨てて、帝国の防衛体制を再編・引き締める方針。
もはや、壊滅への道行きとは知りつつ、打つべき手は打っておいて良かったのだ。紀元四〇五年、今度は、イタリア中を絶望の淵に叩き込む大規模な侵攻がやってくるのだから。東ゴート族(オスロゴート)、リーダーはラダガイソ。ゲルマン民族。その数、四十万。数は膨大。気味が悪く扱いづらいのはさらに、その規律も目的もない、アナーキーな侵攻スタイル。ただ、押し寄せては殺し、奪い、去る。その繰り返し。無軌道、不規則。イナゴの大群。迎え撃つはスティリコ軍、その数、奴隷をかき集めて、三万。
大軍を養うには、それなりのモノがいる。そこに目をつけたスティリコ、“渇え殺し”を先取りした、「食」と「人」を押さえた長期戦で、敵勢力を弱体化。水を求める蛮族のために、あえて包囲網の一角を破壊する陽動作戦でアルノ河に追い込み、一気に背後を衝く。二ヶ月をたっぷり使ったスティリコ、完勝。増長しなかったスティリコも偉かった。この功績を、ガリアを捨ててイタリアを守ったに過ぎないと揶揄する者もあり。
予測どおり、四ヵ月後にはまたもゲルマン系蛮族が集団で侵攻。今回もまた、あのフン族に押し出されて、ライン河を渡ってきたのだ。してみると、フン族が、間接的に帝国を削ってきたようなもの。
一方、襲われるばかりで、守ってはもらえぬ駐屯のブリタニア兵、帝国に嫌気がさして、一介の兵士をコンスタンティヌス三世と名乗らせ皇帝に擁立してガリア侵攻を開始。
皇帝ホノリウスを支えるスティリコにとっては、この帝位簒奪者が危険。居座る北方蛮族に先立って、まずは牽制に成功。これだけの国難にたった三万の帝国軍で立ち向かえたのは、スティリコが、身分の上下なく人材を取り立て、公平で統率力あり、私腹は肥やさず部下の食事に気を配る男であったからに他ならない。(つづく)


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Last updated  2011/10/11 06:53:34 PM
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