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オキナワの中年

オキナワの中年

金城哲夫論序説

校正前の原稿コピペのため、目録等、結構ミスがあります。そのうち直すかも・・・

金城哲夫論序説ー「ウルトラマン」はいかに読まれてきたか
(『沖縄国際大学 日本語日本文学研究』8-1)
大野隆之
     一、はじめに

 本稿は初期ウルトラシリーズ(1)においてチーフライター(2)として主要な位置を占めた沖縄出身のシナリオライター、金城哲夫について考察する準備段階として、彼をめぐる多様な言説を整理することを目的とする。なぜこのような作業が必要なのかといえば、彼が活躍したのが、通常サブカルチャーと呼ばれるジャンルだからである。
 「文学」を必ずしも特権的なジャンルとは考えない「日本文化」という概念が出現して久しい。中にはそれが具体的な大学改革の中、学科再編の理念として用いられている場合すらある。しかし現実に文学研究者が領域を拡大した例は、未だそう多くはないし、しばしばその試みは孤立した実験的なものであった。また数年前からカルチュラルスタディーズという立場が日本にも輸入され、一部に野心的な試みもなされているものの、カルチュラルスタディーズの原理的な性格として、十分なテキストの読み込みを経ずして、短兵急に政治性に結びつくことが多い。このような立場の必要性には十分理解を持ちつつも、もっと違ったタイプの文化研究があってしかるべきだと思われる。
 一方アカデミズムを離れた領域では、「サブカル研究本」というものが、ひとつのジャンルを形成するほど、膨大な情報が満ちあふれているし、特にインターネットの普及以降 、大量の個人が独自の主張、解釈を公開している。それらはまさに玉石混淆であり、中には並の文学研究よりもはるかに鋭い「読み」を提示しているものもある。しかし実際にそれらの「研究」に接した場合、伝統的な「文学研究者」がまずとまどうのは、レファランスについての意識の低さと、体系性の欠如であろう。参考文献や典拠が提示されないのはごく普通であるし、うわさが一人歩きして通説となるようなケースもある。あるいは全くの別人が、同様の見解を、自己の発見として発表するようなケースも多い。代表的なものは一方的に人類を救ってくれるウルトラマン(セブン)を、日米安保条約における米軍になぞらえるという考え方である。
 もう一つの問題点は資料の消失が非常に早いという点である。多くの図書は初版第一刷で絶版となり、またこのジャンルは伝統的な図書館の資料収集の対象とされない場合が多く、マニア向けの古書店などで非常な高値で取り引きされている。さらに「ムック」と呼ばれる雑誌と書籍の中間形態の多いことが、この事態に拍車をかけている。例外的なものとして『ウルトラマン研究序説』(文献9)があるが、この書物については後述する。
 本稿では上記のような事情をふまえ、金城哲夫という希有なシナリオライターが、どのように論じられてきたか、またそれと平行して初期ウルトラシリーズがどのように受容されてきたかを示していく。なお文献レファランスは本稿の主要な目的であるため、出典を明示するだけの注は控え、末尾に提示した文献目録のナンバーを(文献1)の様に提示している。

    二、金城哲夫

 後述するように金城哲夫については、既に三冊の伝記が書かれている(一冊は未刊行)。それゆえここでは細かな伝記的な事実は省略し、簡単な大枠を示すだけにとどめる。
 金城は一九三八年、東京で遊学中であった父、忠栄と母、ツルとの間に生まれた。帰沖後、地上戦を体験し、母は被弾により片足を失い、金城自身は米兵に命を救われた。一九五四年上京し、玉川学園に入学、上原輝男(3)と知る。金城はここで沖縄民俗の豊かさを知ったとされている。一九六三年円谷プロ入社後、数多くのシナリオを書いたが、一九六九年突然退社、帰沖。ラジオキャスターなどの傍ら沖縄芝居を書く。沖縄海洋博のイベントを担当した後、一九七六年自宅で事故死、享年三七才。晩年の金城はアルコール依存症に悩んでいた。

 金城のシナリオ集は四冊発刊されてる。
『金城哲夫シナリオ選集』一九七七年(文献2)
 これは急死の直後、一周忌を目指して、友人・知人らによって編集されたもので、代表は沖縄民政府主席となった屋良朝苗の子息、屋良朝輝がつとめている。限られた紙数の中でなるべく金城の全体像がわかるように工夫が凝らされている。
テレビ・ドラマ編
「こんなに愛して」「翼があれば」「宇宙からの贈り物」「ウルトラ作戦第一号」「蒸発都市」
ラジオ・ドラマ編
「噴煙ー琉球反逆伝シリーズより」「江戸上り異聞」
沖縄芝居編
「風雲!琉球処分前夜」「泊気質・ハーリー異聞」「一人豊見城」
 シナリオ以外に大城立裕、青島幸男らのエッセイが収録されている。いずれも弔辞のような内容だが、最初期の金城論として貴重である。

『ノンマルトの使者』一九八四年(文献3)
ウルトラマン
「まぼろしの雪山」「さらばウルトラマン」
ウルトラセブン
「姿無き挑戦者」「狙われた街」「ウルトラ警備隊西へ」「ノンマルトの使者」「史上最大の侵略」「認識票No.3」(未定稿)
その他
「爆破指令」(マイティージャック)「希望の空へ飛んでいけ!」(戦えマイティージャック)「人食い蛾」(怪奇大作戦)「吸血地獄」(怪奇大作戦)「宇宙人来訪す」(WOO)「富士五湖騒動」(WOO)

『宇宙からの贈りもの』一九八五(文献4)
ウルトラQ
「五郎とゴロー」「宇宙からの贈りもの」「甘い蜜の恐怖」「クモ男爵」「ガラダマ」「ガラモンの逆襲」「空想都市」(「1/8計画」の準備稿)「南海の怒り」「火星のバラ」(未使用シナリオ)
ウルトラマン
「ウルトラマン誕生」(前夜祭)「恐怖のルート87」「禁じられた言葉」「小さな英雄」
その他
「人間泥棒」(ウルトラセブン未使用シナリオ)「フランケン1968」(怪奇大作戦の前身、チャレンジャー準備稿)「来訪者を守り抜け」(戦え!マイティージャック)「毒ガス怪獣の出現」(帰ってきたウルトラマン)
 巻末には抄録ながら円谷の文芸部日誌、円谷一宛書簡あり。活字としてはおそらく初出と推定される。

『金城哲夫の世界 脚本集[沖縄編]』一九九三(文献5)
 沖縄で開催された「金城哲夫の世界」の企画のひとつとして出版された。
映画「吉屋チルー物語」
琉球反逆伝
「噴煙」「真加戸の知恵」「江戸下り異聞」「里之子抹殺」「原家太郎」「船乗蒲寿」「謝名兄弟」
沖縄芝居         
「佐敷のあばれん坊」「一人豊見城」「泊気質・ハーリー異聞」「風雲!琉球処分前夜」「虎!北へ走る」「王女の恋」

三、批評史1、一九九二年以前

 同時代から現在まで、数多くの言説を生み出してきた初期ウルトラシリーズであるが、四〇年近くにわたる批評史は大きく二つの時期にわけられる。その分岐点となるのが、一九九二年である。
 九二年以前、ウルトラシリーズに対して圧倒的な優位を誇っていたのが、円谷プロ監修による記事・書籍群であった。早く言えば批評対象と批評とが同じ内部を構成するという状態である。ここにこの分野の特異性があると思う。
 放映中から始まった、少年雑誌を中心とする解説には、作品そのものには必ずしも表現されていない設定を付け加えるものが多かった。××星人の故郷は、実はこんな状況だった、という類のものである。これらについては現在網羅的に検証することは難しいが、田島淑樹「子供を引きつける興味の連鎖」(文献30所収)において、ある程度当時の雰囲気を知ることが出来る。単に作品のみを見るのではなく、視聴者たる子供たちは、その背後にある知識を競ったのである。怪獣の体長や体重を明示する図鑑類は、それらをまとめたものだといえる。
 これらの情報はいつの時点で設定されたのか不明な場合が多いのだが、そこに円谷プロ監修の意味があった。すなわち版権を有する円谷プロが承認することによって、たとえ事後的であっても、それが制作時の設定として事実化されていく。これらの中には「帰ってきたウルトラマン」の名称は、実は「ウルトラマンジャック」であった、というような、放映後一〇年以上も経ってから付け加えられたために、同時代の視聴者には容易に受け入れられないようなものもある。「セブン上司」という名称のように、放映後名付けられながら、現在では一般化しているものもある。
 金城自身の書いた『怪獣絵物語 ウルトラマン』一九六七(文献1、現在では文献6で読むことが出来る)には、ハヤタ隊員の内面や、放映時には示されなかった設定などが描かれているが、これもまた放映後事後的に生み出されたものと考えるのが妥当であろう。
 視聴者たちが成長していくに従って、円谷プロ監修の書籍はあらたな面を見せ始める。それは本当の意味での初期設定の公開、もしくは初期設定の形成過程の紹介である。これがいつ始まったものか今回特定できなかったが、たとえば『ウルトラセブン』(別冊テレビくん1978・文献7)にはウルトラセブンの準備段階「レッドマン」の企画書や、未使用シナリオのあらすじ紹介がされている。おそらく七〇年の半ばに始まったものであろう。一部の熱心なファンの関心が、虚構内容から、作品形成の現場へと移ったのである。前節で紹介した金城哲夫のシナリオ集のうち、文献3と4は、この流れの中で発行されたものであると考えることが出来る。
 一九八七年、円谷プロはこの種の情報の決定版といえる書籍を出版している。『ウルトラマン大鑑』(文献8)がそれである。怪獣本の多くは「大百科」のような、誇張した名称がつけられるケースが多いのだが、『大鑑』は別格である。Aー4版の大型本の大半(約一八〇ページ分)が、ウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブンの企画資料。近年では良く知られているプレ・ウルトラマン、「WOO」「ベムラー」をはじめ、実現しなかった「戦え!ウルトラセブン」の企画資料まである。まさに研究書である。金城哲夫について考える場合には、円谷プロ文芸部日誌などは実に貴重だと言えよう。そしてこれらの情報の公開が、やがて本格的な批評の下準備をしていったのである。
 また円谷プロ監修の書籍において、おそらくはある程度の制限を受けながらも、単に設定を紹介するのみならず、批評的な文章を書くライター達もいた。竹内博がその代表格である。竹内の文体には一定の格調があり、一九五〇年代半ばに生まれた竹内は、六〇年代生まれの視聴者達を先導していった。
 円谷プロの監修を受けないもののうち、注目すべきなのは、実相寺昭雄の一連の著作であろう。これは後に数多く出版される事になる関係者の証言群の嚆矢であると同時に、必ずしも円谷プロに拘束されない舞台裏を提示した。殊に金城哲夫について考える場合、「ウルトラマンを作った男」一九八二(文献37)は非常に重要である。「ウルトラマン。本籍地、沖縄。/やはり、私は、こう記入したい」と結ばれるこのエッセイは、金城哲夫という存在に光を当て、ウルトラマンと沖縄との関係を強調した最も初期の文献である。ただしこれを元に書かれた『星の林に月の船』一九八七(文献)のほうはあくまでも小説であり、そこに描かれる金城像は、他の文献と比した場合かなり実相寺の思い入れによるデフォルメを受けていると思われるため、注意が必要である。
 実相寺はさらに「ウルトラシリーズの怪獣達」一九八九(文献40)というエッセイを書いている。これは「怪獣」という存在に独自の解釈を施したもので、後の多くの怪獣論、ウルトラシリーズと神話やフォークロアを関連づける緒論に大きな影響を与えている。またその後も実相寺の著作は数多く、文献目録を参照いただければ幸いである。
 実相寺の「ウルトラマンを作った男」は重要な文献であるが、直接的にはより多く引用されるのが、向谷進「ウルトラマンの死」一九八八(文献38)である。大城立裕「金城哲夫の帰郷」一九八八(文献39)も向谷に触発されたものである。これは実相寺のエッセイが『潮』という若干読者を限る雑誌に掲載されたのに対し、向谷のルポが『中央公論』に載った、ということもあるが、八二年と八八年という六年の差も大きいと思われる。向谷のルポは直接的に九二年以後につながっているのだ。
 上記以外にここでふれるべきなのは、大江健三郎「破壊者ウルトラマン」一九七三(文献36)と竹内義和『なんたってウルトラマン』一九八八(文献11)である。
 大江のいうウルトラマンとは、「ミラーマン」(1971,12,5~1972,11,26放映)と併記されていることから、「帰ってきたウルトラマン」を指すと考えられるが、いずれにしても熱心に見て書いたものとは思えない。既にしばしば指摘されるように「帰ってきたウルトラマン」のチーフライター上原正三が、金城同様ウチナーンチュであったということなど、想像の他であろう(文献51など)。『オキナワノート』の枠組みをはずれたウチナーンチュの新たな活動が既に始まっていたのである。大江健三郎という権威以外に、この論を取り上げる意味はほとんど無い。金城哲夫自身はこれにショックを受けたとされるが(文献17)、それは著名な作家の無理解に対してのものであろう。
 竹内の本は、九二年以降二極化する、パロディー的な読み物と、真剣な議論との両方を併せ持った興味深いものであり、全くのアウトサイダーによる批評の先駆けである。しかしこれは当時さほど反響を呼ばなかったようである。「ウルトラ世代」と呼ばれる六〇年代生まれより、わずか五才ほど年長の竹内であるが、少年時代の五年間は大きい。当然ながら六〇年代生まれの視聴者は、ウルトラセブンのアンヌ隊員に性的関心など持たなかったのであり、この感覚のずれが、竹内を孤立させていると思われる。

四、批評史2、一九九二年以後
 一九九一年の年末、『ウルトラマン研究序説』(文献12)という本が出版された。これはいわゆるアカデミックポストに就き、世間からは研究者と認識される若い論者が、専門的な立場からウルトラマンを論じたと自称するものだが、実体は「現行法上怪獣の遺体は誰が処理するのか」とか、「ある怪獣の暴れた後の被害総額を推定する」といった、とるに足らないパロディーにすぎなかった。しかしこの本は推定三〇万部という、この種の本では驚異的なヒットとなり、翌九二年版の『現代用語の基礎知識』には「ウルトラマン世代」という項目が設けられることになる。実際この本の筆者たちは、多少年長者も含まれているものの、基本的には一九六〇年を中心に、その前後に生まれた世代であった。またその装幀と題名が戦略的に成功し、これを本当の研究書と勘違いして所蔵している図書館も多い。
 この本については、ウルトラマン研究とみなさなければ各分野のわかりやすい入門書になっている、という好意的な評もないことはないが、一方では『怪獣学・入門』(文献14)の序文「『ウルトラマン研究序説』を焼き捨てろ!」のように、非常に厳しい批判もある。確かに『怪獣学・入門』は後述するように、各分野の研究者や、若い才能を持ったライター達が、真剣にゴジラやウルトラシリーズをひとつの表現として論じ、あるいは大衆の共同幻想をくみ上げる研究対象として「怪獣」という存在を取り上げるなど、きわめて重要な論文集であって、このような立場からみれば『ウルトラマン研究序説』の存在は腹立たしいものかもしれない。また短い論考であるものの、『研究序説』一冊よりもはるかに意義のある、切通理作の「ウルトラマンと在日朝鮮人」(文献41)は既に発表されていた。しかしその一方『研究序説』の成功が、『怪獣学・入門』をも含む九二年から九三年の「真剣な」論考の出現を促した、という面も否定できない。すでに八〇年代以降の記号論や、ロラン・バルトの受容などによって地ならしされていた、サブカルチャーに対してアカデミズムが関与するのは決しておかしな事では無い、という空気が世間的にも認知されてきたのである。またブームはNHKドラマ「私が愛したウルトラセブン」(1993,2)の放映などにもつながり、関心のすそ野を広げた。
 『怪獣学・入門』には、ほぼ同時期に『異人論序説』(筑摩書房1992、8) を上梓する赤坂憲雄によるゴジラ論や、宗教学者島田裕巳による怪獣論など、興味深い論考が数多いのだが、中でも注目されるのが、直後に『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(文献14)を出版する佐藤健志と、『怪獣使いと少年』(文献17)の切通理作という対極的な二人が、ともにそのダイジェスト版(それぞれの論文名は、佐藤「ウルトラマンはなぜ人類を守るのか」、切通「ウルトラマンにとって正義とは何か」)を発表していることだろう。
 佐藤の論は雑誌『諸君!』に連載されたことからも想像される通り、冷戦崩壊後勃興する若い保守的な政治意識から、戦後民主主義、およびそこから生み出されたサブカルチャーに内在する「甘え」を糾弾するものである。ウルトラマンと人間との関係を在日米軍と日本との関係とのアナロジーでとらえ、そこに金城哲夫の苦悩を重ね合わせた。ウルトラマン(もしくはセブン)を在日米軍のメタファーと考えるのは、必ずしも個性的な立場とは言えないのであるが、後に大澤真幸氏が『戦後の思想空間』(ちくま新書1998.7)で肯定的に引用した事などにより、この立場の代表とされている。詳細な伝記が発行された現在の研究水準からみれば傷も多く、特に「ウルトラセブン」にかなり含まれている、人間は本当に正義なのか?という「正義の相対化」をテーマとする作品群を完全に無視しているところに問題が残る。が、一方金城が、軍(もしくは自衛隊)に対してどのような考えをもっていたのか、については現在でも不透明な部分があり、佐藤の考えは再度検討される余地があろう。
 一方の切通理作は、明瞭に左派的な立場に立ち、ウルトラシリーズのシナリオライター達がもっていた、カウンターカルチャーとしての意識、金城、上原が沖縄出身であることに大きく注目し、佐藤が無視した「正義の相対化」を表現した作品群に光を当てる。実際佐々木守や市川森一は自らの「抵抗」に対してきわめて自覚的であるために、切通の論は非常に説得力のあるものとなっているのだが、故人であったため唯一インタビューをとれなかった金城哲夫を、この枠組みに囲い込むのは妥当なのかどうかという疑問が残る。さらに沖縄に対して思い入れが強すぎ、典型的なオリエンタリズムに陥りかねない危うさをもっていることも否定できない。が、これほど真剣にシナリオライターを論じた論考はこれ以前になく、重要な先行研究であることは論をまたない。
 『怪獣学・入門』所収の文献は、全て重要なものだが、あとひとつ触れるとすれば、會川昇の「金城哲夫を探して」である。実は佐藤と切通との対立は、金城論に関して言うならば、問題作とされる「ノンマルトの使者」をどうとらえるか、という問題に収斂すると思われる。佐藤はこれを無視し、切通は代表作として位置づけた。會川は同じ実作者、シナリオライターという立場から、これを金城の中の例外的な作品と位置づけている。いわば中間的な立場である。會川は金城哲夫の伝記マンガを予告しているが、この企画は日の目を見なかったようである。
 『怪獣学・入門』関連以外では、翌九三年に平松洋の『ヒーローの修辞学』(文献16)が出版されている。その中の「ウルトラマンのメタファーからメタフィジークへ」は、そのあまりにも個性的な題名から八〇年代の文学研究文芸批評のパロディーと思われかねないが、主観的にはまじめに書いたものだと思われる。ウルトラマンの神話的類型、佐藤と同様の在日米軍論、受容状況などが、バシュラールやラカンなどの大量の引用をまじえ語られている。現在読むとバシュラールはともかく、ここでラカンをひく必要が本当にあるのか、といった疑問が先に立ち、肝心の内容がぼやけてしまうのであるが、実は九〇年頃には、やや下火になっていたとはいえ、まだ若い文学研究者達が、これと似たような論文を書いていた。
 九二年前後のトピックとして、どうしてもあげなければならいのは、山田輝子『ウルトラマン昇天』(文献15)の出版である。この本は七年の取材のあとに出版されたものであり、山田輝子は玉川学園時代の金城の先輩であって、九二年刊というのは全くの偶然である。しかしまさに高まりつつあった金城に対する関心に応えるという意味で、非常に画期的な出版であった。この伝記の重要性を強く認めながらも、あえて問題点を指摘するなら、切通に見られるのと同様、沖縄の神話化、単純化であろう。
 翌九三年には、金城への関心が故郷沖縄にも飛び火し、「金城哲夫の世界」という企画が行われた。大城立裕のわずかな回顧を除き、それまで沖縄ではほぼ完全に忘れ去られていた金城哲夫に光を当てたのは、本土出身の映像作家中江裕司である。この企画はかなり大がかりなもので、ウルトラシリーズのみならず、沖縄芝居『一人豊見城』の再演、先に挙げたシナリオ集『金城哲夫の世界 脚本集[沖縄編]』など、沖縄時代の金城の仕事に再度光を当てている点に特色がある。またパンフレットして出された『GARVE 特集・ウルトラマンを作ったウチナーンチュ金城哲夫』(文献18)は、かなり本格的なムックの形式であり、中央では取り上げられないような関係者の証言も納められている。地元紙もこれに平行する記事を載せ、『沖縄タイムス』では玉城優子「沖縄を愛したウルトラマン」(文献44)の連載が始まる。玉城は沖縄出身であるため、山田のような沖縄に対する幻想は薄く、その一方で同時代の沖縄で起こった様々の出来事への言及がより詳しい。また山田が取り上げなかったエピソードも多数含まれている。この連載は翌年増補され出版される予定だったが、頓挫してしまった。やはり『ウルトラマン昇天』との重なりがあまりにも多いこと、そして九四年に入るとブームが急速に沈静化していったためだろう。シナリオ集にしても[沖縄編]と銘打たれている以上[東京編]の様な企画があったと推定されるが、これも実現されなかった。
 伝記はもう一冊、金城の友人だったシナリオライター上原正三によって、九五年に出版されている。タイトルは『金城哲夫 ウルトラマン島唄』(文献25)である。この伝記は金城の一人称として想像された記述などがわずかに含まれているものの、基本的には当時の文献によった非常にストイックなものである。円谷プロに対する批判を含んだ金城の私信の公開や、金城の母親による沖縄戦記の掘り起こしなど、資料的価値はずば抜けて高い。現在の所の決定版といえ、当分の間はこの伝記に対抗する著作は現れないだろう。
 また九〇年前後から、実際に学術論文と分類されるような論考も現れ始めた。ただし「学術論文」とは言っても、単に掲載雑誌の性格、形式上の問題に過ぎず、質的な問題とは無関係である。
 まず筆者自身は専門の学術論文とは一線を画したエッセイのつもりで書いたと推測されるが、津島知明の「“まれびと・ウルトラマン”再考」(文献42) は、おそらく最も注目すべき論考であると思われる。これも九二年という特異な年に、旧稿を総括し、同時期の論考を批判するために書かれたものである。津島は源氏や枕草子など、本格的な古典研究者であり、山田以降やや安易に使われる傾向のある「まれびと」という語についても、『ウルトラマン大鑑』における設定の変化をつぶさにおいながら、慎重に用いている。「WOO」において存在した「故郷消失」のモチーフが、「ウルトラマン」においてはなくなっていることなど、重要な指摘も多い。「怪獣もの」を神話や民俗と重ね合わせるという発想自体はこの時点で既に一般化していたが、その分析の精緻さはぬきんでており、再度検討される必要のある重要な論考といえる。
 ついで岩田功吉は「さまよえるウルトラマン(一)(二)」一九九五年(文献49)、「思想としてのウルトラマン-沖縄からの発信-」二〇〇一年(文献51)という二本の論文を書いているが、これは実質的には同じものであり、文献51は49の増補版である。「思想としてのウルトラマン」はかなり大部の論考であり、その対象領域は広い。そのため参考になる点も少なくないが、ウルトラマンを「沖縄の基底の歴史と文化の表象」と完全に一義化してしまっており、金城がもっていた多義性を損なうきらいがある。また沖縄芝居の脚本は上原の伝記の引用に頼るなど、本格的な沖縄研究の雑誌に掲載された論文としては、やや不満の残る者である。
 飯塚聡 「ウルトラマンの構造分析--プロップの手法の応用による異類婚姻型昔話との比較 」(文献50)はそのタイトル通り、プロップの理論を用いた構造分析である。怪獣退治の神話などではなく、「ツルの恩返し」と比較したところに新味があるが、結論が「現代の物語もそれらが作られるに際しては、神話や昔話などの口承文芸から受け継がれて来た、物語の祖型の支配を受けているのである」ということでは、何のための分析だったのかわからない部分がある。
 その後も雑誌『ユリイカ』が「モンスター」として怪獣特集を組んだり、沖縄特集においては金城にもふれるなど、明らかに「ウルトラマン」研究は一定の認知を受けるようになったと言える。また近年、教材としての「ウルトラマン」研究も行われている。これら多様な記述には部分的には興味深いものがあるが、『怪獣学・入門』が提示した議論の枠組みを大きく変えるようなものは書かれていないようである。
 一方近年、円谷プロの監修を受けた「研究本」に変化の兆しがある。代表的なのは『帰ってきたウルトラマン大全』(文献32)であろう。このシリーズは完全に子供の読者を無視したものであり、『ウルトラマン大鑑』の系譜にあるといえる。ヤマダマサミや白石雅彦ら若いライター達の批評眼は非常に高度である。またインターネットの個人ページにも無視できない高度な議論が行われている。逆に言えばこの領域では、研究者と呼ばれる存在が、未だその専門的優位性をほとんど発揮できていないと言うことになるのだろう。

   五、終わりに

 かなりの駆け足ではあるが、金城哲夫を焦点に、初期ウルトラシリーズの批評史を追ってみた。伝記が三冊分も書かれるなど、文学者でも希であって、金城哲夫についての情報量は非常に豊富なものである。また初期ウルトラシリーズは、他の様々のサブカルチャーに比べ、突出して数多く語られてきた。にもかかわらず、金城哲夫の多様性を考えた場合、まだまだ決して十分なものとは言えない。金城と言えば当然「沖縄」の問題があるのだが、金城と沖縄の距離は決してスタティックなものではなく、また初期ウルトラシリーズを全般的に見れば、沖縄の問題は後景に潜み、むしろ素朴な人間信頼が前面に出されていることが多い。何よりも空前の大ヒットと、沖縄というモチーフには、単純に見た場合、大きな距離があるだろう。個性的なシナリオライターとしての顔と、シリーズの全体性を生み出したチーフライターの顔。底抜けに陽気な青年像と苦悩に満ちた「悲劇の沖縄人」。その他沖縄芝居の作家としての一面についての言及は限られたものであるし、ウルトラのシナリオの中でも、全く黙殺されている作品の方が、むしろ多いのである。
 以下参考文献目録を付すが、この目録は六〇年代、七〇年代の雑誌・ムック等に大きな欠点を抱えていることをあらかじめ注記しておく。これらはグラビア中心の子供向けの場合が多いが、かならず活字部分があり、そこにはまだ見ぬ重要資料があるのかもしれない。また金城が書いた幼児向けの読み物については、文献6巻末にある目録を参照していただきたい。その他もれ落ちも多いことだろう。ただ今後の調査のたたき台程度にはなるのではないか、と考えている。
 インターネットのホームページについては今回、相当参考にしたのだが、この分野は消長が激しく、また各ページについて十分に吟味したとは言い難いため、最も頻繁に利用した、信頼の置けるページを二つだけ紹介している。

参考文献目録

1・シナリオ集他

(1)金城哲夫『怪獣大全集3 怪獣絵物語 ウルトラマン』1967,8
(2)金城哲夫『金城哲夫シナリオ選集』(金城哲夫シナリオ選集を出版する会 代表 屋良朝輝)アディン書房 1977,2,26
(3)金城哲夫『ノンマルトの使者』朝日ソノラマ 1984.9
(4)金城哲夫『宇宙からの贈りもの』朝日ソノラマ1985.8
(5)金城哲夫『金城哲夫の世界 脚本集[沖縄編]』金城哲夫の世界実行委員会編 パナリ本舗 1993,2 
(6)金城哲夫『小説ウルトラマン』筑摩書房2002,9

2・単行本、雑誌特集号

(7)『ウルトラセブン』別冊テレビくん 小学館 1978,11
(8)『ウルトラマン大鑑』 朝日ソノラマ1987
(9)実相寺昭雄『星の林に月の船』大和書房 1987,2
(10)実相寺昭雄『ウルトラマンの出来るまで』筑摩書房1988,1
(11)竹内義和『なんたってウルトラマン』勁文社 1988,8
(12)SUPER STRINGS サーフライダー21『ウルトラマン研究序説』中経出版 1991,12
(13)『怪獣学・入門』 町山智浩編 JICC出版局 1992,7
(14)佐藤健志『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』 文芸春秋社 1992,7
(15)山田輝子『ウルトラマン昇天』 朝日新聞社 1992,8
(16)平松洋『ヒーローの修辞学』青弓社 1993,1
(17)切通理作『怪獣使いと少年』 宝島社 1993,7
(18)『GARVE 特集・ウルトラマンを作ったウチナーンチュ金城哲夫』野田隆司編 パナリ本舗1993,7
(19)樋口尚文『テレビヒーローの創造』 筑摩書房 1993,10
(20)「私が愛したウルトラセブン」『宇宙船』1993年冬 No.63 朝日ソノラマ 
(21)青柳宇井郎・赤星政尚『ウルトラマン特撮 99の謎』二見文庫1994,3
(22)原田実『ウルトラマン幻想譜』風塵社 1998,9
(23)ヤマダマサミ『ウルトラQ伝説』アスキー 1998,4
(24)八木正幸『怪獣神話論』青弓社 1998,12
(25)上原正三『金城哲夫 ウルトラマン島唄』筑摩書房 1999,10 
(26)池田憲章、高橋信之編『ウルトラマン対仮面ライダー』文春文庫plus、2001,1
(27)河崎実『ウルトラマンはなぜシュワッチと叫ぶのか?』角川書店2001,1
(28)ひし美ゆり子『セブンセブンセブン アンヌ再び』小学館文庫2001,1
(29)『ウルトラマン大辞典』中経出版 2001,12
(30)『ウルトラセブンism』辰巳出版2002、11
(31)『僕たちの好きなウルトラマン』宝島社 2002,12
(32)『帰ってきたウルトラマン大全』白石雅彦・荻野友大編 双葉社 2003,1
(33)実相寺 昭雄『ウルトラマンの東京』 筑摩書房 2003,3
(34)桜井浩子『ウルトラマン創世記』小学館 2003,9

3・雑誌新聞記事・論文等
(35)大江健三郎「破壊者ウルトラマン」『世界』1973,5
(36)大城立裕 「心残りの記」(エッセイ)『金城哲夫シナリオ選集』金城哲夫シナリオ選集を出版する会編 アデイン書房刊 1977,2 
(37)実相寺昭雄「ウルトラマンを作った男」『潮』1982,6
(38)向谷進「ウルトラマンの死」『中央公論』1988,5
(39)大城立裕「金城哲夫の帰郷」『琉球新報』1988,5,29 
(40)実相寺昭雄「ウルトラシリーズの怪獣達」『歴史読本』臨時増刊1989,12
(41)切通理作「ウルトラマンと在日朝鮮人」 『異人たちのハリウッド』映画宝島vol.1『別冊宝島』JICC出版局 1991,12
(42)津島知明「“まれびと・ウルトラマン”再考」 『新沖縄文学 第93号』1992,10
(43)小中陽太郎・市川森一「ウルトラセブンと脱走兵」『世界』1993,3
(44)玉城優子「沖縄を愛したウルトラマン」『沖縄タイムス』114回にわたり連載1993,2,1~12,24
(45)大城立裕「金城哲夫が、いま」『日本経済新聞』(夕刊)1993,7,14
(4)大城立裕「金城哲夫の沖縄芝居」『沖縄タイムス』1993,7,21
(47)上原正三「なぜ、今」『沖縄タイムス』1993,7,22
(48)満田禾斉「怪獣ネーミング秘話」『沖縄タイムス』1993,7,23
(49)岩田功吉「さまよえるウルトラマン(一)(二)」東京大学出版会『UP』1995年2・3月号
(50)飯塚 聡 「ウルトラマンの構造分析--プロップの手法の応用による異類婚姻型昔話との比較 」『工学院大学共通課程研究論叢』(通号 36-1) 1998
(51)岩田功吉「思想としてのウルトラマン-沖縄からの発信-」『沖縄文化研究 27』2001
(52)長山靖生「畏怖と憧憬」『ユリイカ』1995,5
(53)ヤマダ・マサミ「怪獣たちの黄昏」『ユリイカ』1995,5
(54)元山掌「ピノキオとしてのウルトラマン」『ユリイカ』1995,5
(55)中江裕司「わたしの沖縄100年」『琉球新報』2000.12.29 
(56)本浜 秀彦 「1972年前後のオキナワ表象--手塚治虫・ゴジラ・ウルトラマン」 『ユリイカ』2001年8月号
(57)「私の思い出・戦争・金城哲夫・ウルトラマン」 上原正三 『うらそえ文芸』第8号 2003,5
 
4・ホームページ
Ultra Mystery Tour
http://homepage3.nifty.com/umt/index.htm
ULTRSEVEN CRAZY FAN BOOK
http://www7.gateway.ne.jp/~okhr/index.htm


(1)「初期ウルトラシリーズ」とは『ウルトラQ』(1966 ,1,2~7,3、第28話のみは1967,12,14に初放映されている)、『ウルトラマン』(1966,7,17~1967,4,9)『ウルトラセブン』(1967,10,1~1968,9,8)の三作品をさす。厳密なシリーズ名は「ウルトラQ、空想特撮シリーズ」であったが、これまでの慣例に従った。
(2)一話完結型の連続テレビドラマにおいては、しばしば複数のライターがシナリオを担当する。チーフライターとは自らの作品のみならず、他人のシナリオにも目を通し、全体的な設定と矛盾していないか等を確認する。金城は『ウルトラマン』『ウルトラセブン』においてチーフライターを担当した。
(3)上原は後に玉川大学の教授になった研究者であり、専門は近世演劇であったが國學院出身ということもあり、古代文学、民俗学の造詣も深かった。上原の国文学研究の論文は 「浄瑠璃--呪縛の共鳴 」『国文学 解釈と教材の研究』1969,8など数多い。また『感情教育論』学陽書房、1983,2 のような教育関係の著書も多数ある。




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