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オキナワの中年
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大城立裕全集の記者会見の時の写真。真ん中が大城立裕氏。手前が筑波大の黒古先生。奥が私。
11月20日生

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沖縄でウエディング…上等沖縄司会屋さん

あいすまん みやじ。さん

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風呂入るのメンドクサイ!(ドライブ好き)
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書評1
魂込め(まぶいぐみ)/目取真俊
沖縄文学の情景/岡本恵徳
果報は海から/ 又吉栄喜
反近代の文学/三田英彬
*神様の失敗/勝連繁雄
面影と連れて/目取真俊
98年沖縄文学 回顧
99年 沖縄文学回顧
00年 沖縄文学回顧
海鳴り/長堂英吉
01年 沖縄文学回顧
大城立裕全集発刊・沖縄に生きた文学
夏化粧/池上永一
鯨岩/又吉栄喜
うらそえ文芸8号
干刈あがたの文学世界
新報文芸
*古波蔵信忠『三重城とボーカの間』
*竹本真雄『燠火』
又吉栄喜『陸蟹(おかがに)たちの行進』
目取真俊『署名』
*『うらそえ文芸』第5号
日本平和学会「戦争と文学」分科会
又吉栄喜「海の微まど睡ろみ」
目取真俊「群蝶の木」
大城立裕「水の盛装」
新川明『沖縄・統合と反逆』上
新川明『沖縄・統合と反逆』下
久志芙沙子「滅びゆく琉球女の手記」
*てふてふP「戦い、闘う、蠅」
日本・沖縄・ドイツの国際シンポジウム
「文学」と「映像」再論
全国で売れる沖縄本
又吉栄喜「落とし子」
「現代思想」臨時増刊号
崎山多美「水上揺籃」
大城立裕「クルスと風水井」
目取真俊「希望」
大城立裕全集
最終回
船越義彰「小説遊女たちの戦争」
学術系
オキナワの少年試論マイナー文学の視座から
「滅びゆく琉球女の手記」論
堀辰雄事典三項目
沖縄戦とメディア
PDF版リンク(鏡花研究)
雑文
RPG−BEST5
バラライカ研究
沖縄文学と方言
国際シンポ「複数文化の接触」にむけて
ブンガク研究の時代?
倉庫
第二倉庫
まなざされる沖縄/生きられる沖縄
ウルトラマン研究
0〜10
ウルトラマン略年表 ver.2.2
11〜20
金城哲夫研究文献目録ver.2.1
21〜29
金城哲夫論序説
「全人教育」および小原氏に関するメモ
金城哲と沖縄ー「ウルトラQ」を中心として
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思考実験 [全222件]

久々に・・・  (71)

最後の日記から1年半ぶり・・・・

ちょっと近況報告すると、今年から大学の教務部長というものになった。
忙しすぎ・・・・(涙)

 ページそのものが半分落ちかけていたので、急遽書き込んだわけだが、これからもそうそうは書き込めそうにありません。


Last updated 2006/11/20 10:24:58 PM
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2005/05/27

国語教育について(3)  (25)

ネットで「夏の葬列」を検索すると、案外好評である。「鬱になった」というような予想される感想も無い事はないが、おおむね最後のオチが印象に残った、他のも読みたくて文庫本を買った、などというものが多い。そうか。山川の文庫本がまだ残っているのは、こういう層に支えられているのだなあ。などと感心してしまうのであった。教科書が読書意欲をかき立てるなどというのは滅多にないと思われるので、この点は重要であろう。

 だが、ネットにわざわざ感想を書くような層は、非常に読書好きだと思われる。もしかすると大半の生徒はうんざりしたか、「戦争の悲惨さがわかった」などいうお利口さん型の感想を強いられたのかもしれず、何とも言えない。今度中学校の先生に聞いてみよう。

 さて「夏の葬列」は「戦争」以外にも、教科書編集者が好む、「どうしようもない状況」と「人間の暗部」がセットになっている。このうち特に「人間の暗部」は、近代文学史が非常に好んだモチーフなので、必ずしも教科書編集者の責任ではないかもしれないのだが、「夏の葬列」を教わった生徒は、今度は高校で「羅生門」を読ませられる。あるいは大岡昇平の「野火」。むう。人間という存在は極限状況では、道徳もヘッタクレもないのだなあ、と繰り返し教える意味が、私にはよくわからない。

 「どうしようもない状況」系は他に魯迅の「故郷」や、葉山の「セメント樽の中の手紙」、「高瀬舟」。「人間の暗部」系では「こころ」。非常に巧妙に書かれているため、つい豊太朗の苦悩に目を奪われがちだが、実は女性に全然誠意のない「舞姫」。「走れメロス」については「実は暗い作品だ」などという見方もあるのだが、これはプロパーの議論であり、教科書採用の文学作品としては珍しく前向きな作品とみて良いように思う。

 例えば芥川なら「羅生門」より「手巾(はんけち)」がいいと思うし、中島なら「山月記」よりも「名人伝」の方が、高校生としては面白いのではないか?「檸檬」よりは「Kの昇天」のほうがいくらか面白いと思うし、鴎外なら「寒山拾得」とか・・・あ、これは「支那」という表記があるから駄目なのか?

 もしかしたら暗い作品を読ませた方が、思春期においては効用があるという理論でもあるのだろうか?それともつまらなくとも学校では「名作」といわれるものを読ませるべきだ、ということなのか?小説のおもしろさに目覚めて他の教科を勉強しなくなるといけないから・・・まさかね。(いつかまた気が向いたら続く)


Last updated 2005/05/27 9:01:37 PM
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2005/05/25

「夏の葬列」(国語教育について(2))  (5)

  山川方夫という作家がいる。この人は数回芥川賞の最終候補にもあがっており、直木賞候補にもなる、というマルチプレイヤーなのであるが、夭逝したため(享年35歳)結局両賞とも受賞できずに、事実上文学史から消されかけている人物である。戦後文学の専門家が『三田文学』の編集者として、江藤淳他を育て上げたという点で記憶に残る程度の小説家であろう。

 が、その一方彼の作品のひとつである「夏の葬列」は、読んだことがある国民人口で、芥川の「羅生門」までいかなくとも、梶井の「檸檬」ぐらいに匹敵する、国民文学になりつつある。というのは70年半ばから現在まで、多くの教科書の中学2年次教材として採用されているからである。そしてこの作品はしばしば児童生徒にとって「最も印象に残った教科書の小説」になりつつある。一般的に「羅生門」はともかく、漱石の「こころ」などは中高生にはつまらないと思われるし、鴎外の「舞姫」は意味すらわからなかったというケースもあるので、教科書以外生涯小説など読まない、という層にとって、人生で一番印象に残った作品という可能性すらある。

 あらすじは、

 戦後かなりたって、主人公が久しぶりに故郷を訪れる。彼は戦時中、米軍の機銃掃射を受けたのだが、そのとき近くに年上のひろこさんがいた。ひろこさんは、主人公を守ろうと近づいてくるのだが、彼女は白いワンピースを着ていた。この色は目だって標的になると思った主人公は、彼女を突き飛ばしてしまう。そこに機銃掃射。ひろこさんは血まみれになる。その後どうなったのかよくわからないが、彼女を殺してしまったのではないか、というのが主人公の心の重荷であった。

 帰郷した主人公はある葬列と出会う。その遺影を見たところ、明らかに年齢のいったひろこさんであった。なんだ、つい二、三日までは彼女は生きていたのか。主人公はほっとする。あの時死んだのではないのだ。俺は人殺しではないんだ。

 しかし住民と話した主人公は真実を知る。葬列の遺影は故人の若いころの写真であり、実際はおばあさんであった。そのおばあさんは戦時中「ひろこ」という娘を失い発狂した。そのまま苦しんで生き続け、とうとう息を引き取った。ひろこさんはやはり「あの時」死んだのである・・・・

 むう。一応専門家のくせに、おれはあらすじが下手だな。まあ、申し訳ないが、こういった作品である。

 私自身の中学時代この教材は無かった。この作品に出会ったのは、大学の教え子の教育実習である。中学校でこのテキストを渡され、得意の速読でこの作品を読んだ私は愕然とした。ちょっと、全然救いが無いんですが・・・
 実はその通りであり、この作品は夏休み直前恒例の、「戦争って悲惨です」のコーナーに位置づけられている。まあ夏が来れば、鵜飼や地域の夏祭り同様の年中行事として、こういう作品を読むことになっているのである。「やっぱ戦争って悲惨ですよね。何の救いもありません」これがこの単元の結論である。
 しかし私はこの作品のテーマが、反戦だとは到底思えなかった。たまたま極限状況の一例として「戦争」が用いられているのであり、主なモチーフは主人公の自己正当化への欲望であり、その挫折ではないのか。
 さらに「戦争」をモチーフだとした場合、この作品は面白すぎるのであり、同時に細部の作り物めいた設定が気になる。戦時中に真っ白なワンピースを着た少女などありえたのか?とか、そんなに親しいなら主人公はひろこさんの母親に会っているはずであり、写真を見た瞬間直感的に、ひろこさんではなくその母親の葬列だということは自明ではないのか・・・など。

 初出を調べて全ての疑問が氷解した。この作品の初出は『ヒッチコックマガジン』であり、当時山川は、この雑誌に毎号「親しい友人たち」シリーズとして、毎号ショートショートを連載していた。「親しい友人たち」というのはおそらくこの分野の先駆者であるロアルド・ダールの「あなたに似た人」に由来すると思われる。
 当時の山川はいわゆる「文学」ではなく、通俗的なストリーそのものの意外性、面白さに関心を移していたのである。「夏の葬列」とは一種の知的ゲームであり、結末の落ちにこそその命がある。これを実際にあった出来事であるかのように、教育現場では教育している(続く)。
 
 


Last updated 2005/05/26 3:40:20 AM
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2005/05/24

国語教育について(1)  (3)

 教育基本法の問題だと、どうしても政治思想がらみになり、実名で書くのはストレスが高い。で、教科教育。が、一言断っておくと、文学と国語科教育は似て非なる全くの別ジャンルであり、あくもでも素人の立場からの発言である。

 どうも最近「国語力」の低下が問題になっているようである。映像メディアのせいとか、教養主義の崩壊とか、いろいろあるのだろうが、少なくとも1960年代生まれの我々の世代だって相当にテレビづけだったのであり、なかなか単純には言えないということなのだろう。

 その中の一つという事なのだと思うが、やはり場当たり的な教育行政、というのは批判の対象になる。何年か前に、教員免許制度の大きな改変が行われた。先生になるためには、「教職科目」と「教科に関する科目」というのがある。この割合を大きく変えた。原因は学校の荒廃である。荒れる学校に対応するために、教職関係の科目を増やし、「教科」は後回しでいいという事になった。例えば文学史は「古典」と「近代」でそれぞれ通年、計8単位だったのが、今では半期ずつの4単位である。これはあとになって気付いたのだが、半期制の場合「夏休みの宿題」というのが出せなくなった。

 もしかすると「ゆとり教育」の見直しのように、教科教育の再評価とかいって、またシステム変更があるのかもしれないが、そうなったらそうなったで現場としては混乱し、数年の間、不本意な授業しか出来ない可能性が高い。ようやく慣れた、と思ったら制度改正では、いい教育など出来るはずがないのである。

 教科書問題というと「歴史教科書」という事になるのだろうが、国語教科書もすごい。低学年ならともかく、高学年になってもまるで絵本である。言語からイメージを形成するのも読解の重要な要素なのである。あのようにカラー図版が多くては、どういう能力を伸ばしたいのか不明である。
 さらに現在ではあらゆる教科で、OHPだの、ビデオだの視聴覚教材の活用が推進されているようである。確かに児童生徒の受けはいいだろうし、ある領域を理解させるための手っ取り早い方法だろう。しかしそのたびごとに国語能力を削減させている。一般的な視覚メディアの普及以前に、学校教育の視覚化も問われねばならない。(つづく)



Last updated 2005/05/24 8:12:51 PM
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2005/05/18

「主権者」について  (14)

 教育基本法改正に反対している人の意見を読んでみたが、いずれの場合もぬけ落ちているのが「国民主権」という観点である。以前書いたものと重複になるが、もう一度確認するならば、民主主義とは「人民の、人民による、人民のための」政治、という事であろう。このうちおいしい「人民のための」の部分だけを強調し、「人民による」という責任を回避しよう、というのが、反対論者の国家観のようである。

 改正反対派は多くの場合、憲法改正にも反対しており、極端な場合「憲法改正に繋がる国民投票法案」にまで反対している。仮に憲法改正案が国民投票まで行き、そこで改正案が否決されたら、現行憲法はとてつもない権威を持つ事になるのである。なぜ国民によって選び直す事にまで、反対するのか?数年前までは、改憲の議論をすると軍国主義者あつかいであった。
 理由は簡単である。護憲派と呼ばれる人の多くは、国民をこれっぽっちも信頼していない。愚民達がこの「神聖ニシテ冒スヘカラサル」憲法を改正することを恐れているのである。

 「心の強制」というのも、反対派が良く主張することである。既に書いた通り、私は「愛国心」を学校現場で指導する必要はないと考えているが、教育の本質とは強制である。例えば反対派の多くは「平和教育」に熱心であり、「平和を愛する心」は強制していいのである。これではダブルスタンダードであろう。しかも「平和教育」に熱心な教師ほど、「人間は生まれながらに平和を愛する心を持っている」などと主張する。それなら学校で教える必要はないであろう。

 学校は登校時間と下校時間とを強制している。授業中はおしゃべりしてはいけないのである。なぜか?それは秩序を愛する心は自然には育たないからである。しかし社会生活を営む上では欠く事の出来ない資質である。だから小さいうちから「強制」しなければならない。もう何度も書いたが、儀式での一般的な立ち居振る舞いを理解する上でも、国際儀礼を学ぶ上でも、卒業式では起立しなければならない。

 現在一部の小学校では、低学年から性交の仕方を、図解や人形付きで教えているようである。唖然としてしまう。情報過多の現在、性教育は必要だ、という事であるが、それなら学校では、安易な性交渉のリスクを徹底して教えるべきであろう。

 秩序の強制は重要であるが、消極的な感は否めない。さらに責任ある主体、「主権者としての自覚」というものを、義務教育のいずれかの段階で指導すべきだと思う。「国が悪いから、社会が悪いから」などという意気地なしにしてはいけないのである。「強制いやいや」などというだだっ子みたいな大人は論外である。国や社会は国民が作り出すものであり、反体制などというのは、民主主義国家においては国民の敵である。

 もちろん理想論に過ぎない、という批判もあるだろうが、私は教育の話をしている。指導したからといって、全員が高い意識を持つとは限らないが、現在の教育は児童生徒達に、自由だ個人だと、社会に対する責任・国家に対する責任を回避させる方向にあるように思われる。自分を主権者として自覚していれば、パンツを見せながら歩く女子高生もいくらか減るだろう。「髪の毛を染める自由」などという間抜けな主張も減少するだろう。「よりよい国旗国歌」を議論するのは当然自由であるが、日の丸、君が代いやいや、などという無責任な教師はいなくなるだろう。

(この種の話題は、多分当分書きません)


Last updated 2005/05/18 9:16:19 PM
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2005/05/13

「公共心」について  (2)

 さすがに50年以上もたつとがたが来てしまって、そろそろ改正すべき時期が来ている憲法であるが、結構いいことも書いてある。

第十二条【自由・権利の保持義務、濫用の禁止、利用の責任】
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 法律も教育同様、ほっておけばやらない・もしくはやっちゃうようなことを制御するのであり、例えば人は殺人を犯す恐れがあるので殺人罪というものがある。「全て国民は、必要な食事を取り、性欲を満たさねばならない」などという法律は無いのである。
 この十二条は権利や自由を乱用しかねない人間というものを想定しているいい条文であるが、憲法の全ての条文のうちこれほどないがしろにされている条文も無い。

 西欧の場合衰えたとはいえ、神様がいる。自由といいつつ、それを制御する倫理というものが存在しているのである。ルース・ベネディクトをまつまでもなく、日本においては、それが公共心、古い言葉で言えば「世間」「恥」であった。西欧文化においても尊重されるパブリックであるが、日本においてはまさに倫理の命綱である。しかし「進歩的文化人」はいう。他人の目を気にするな、世間体を気にするな。まさにモラルハザードである。

 実を言うと「世間」は、それしかないので当たり前であるが、今なお日本で生きている。例えば現在JR西日本に対するゴルフだのコンパだののバッシングは「世間」によるものである。社長はもうどうしようも無くペコペコしているが、「当社は社員の個人の尊厳を重視しており、勤務時間以外の個人の自由は最大限尊重している」といってくれよ。そうすれば「個人の尊厳」だの「個人の自由」の現在における行きすぎた面があらわになるだろうに。

 


Last updated 2005/05/14 3:00:03 AM
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2005/05/12

「愛国心」について(2)  (5) 

 私が「愛国心」の成文化に反対する理由は、せっかくすばらしい答申を提示した中教審案の焦点がぼやけてしまう、と考えるからである。

中教審答申概要
http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/what/w008.htm

 確かに答申には「日本の伝統・文化の尊重、郷土や国を愛する心と国際社会の一員としての意識の涵(かん)養」という内容が書かれている。この中で「日本の伝統・文化の尊重」の部分は重要だと思うが、先に述べたとおり、郷土や国を愛する気持ちなど、ほっておいても芽生えるのである。教育というのは、ほっておくと芽生えにくい、しかし重要な事を教えるものである。

 中国が愛国教育を徹底するのは理解できる。なぜなら現在のかの国は、ほっておくと反体制が芽生えかねないような国家体制であり、絶えずギリギリと洗脳しなければもたないと思うからである。日本はあのような民度の低い国ではない。愛国教育など不要だと考えるのが、真の愛国心であろう。
 これに対して「伝統・文化の尊重」は、ある程度教育現場で指導しないと関心が芽生えにくいものである。私のように日本文化の伝統に通暁している父親はあまりいないので(ウソ・笑)、ぜひ学校教育で重要視すべきだろう。この点に関して沖縄は若干複雑な問題を持つのであるが、今回は触れない。

 答申の中で最も重要なのは「社会の形成に主体的に参画する「公共」の精神、道徳心、自律心の涵(かん)養」という部分だろう。今の教育基本法には、明らかに「公共」の観点が欠けており、一条の「勤労と責任」八条の「良識ある公民」というような文言があるものの、その内実は明示されていない。道徳は個人任せというのが実情であり、これが現在の教育の荒廃を招いているのは明らかである。
 ネットで教育基本法改正に対する反対意見を検索すると、最も多いのが「国の教育現場に対する統制が強まる」というものである。ギャハハ、「国」の主権者って誰よ?

 これだから左翼は退潮するのである。我々国民はこの国の主権者なのである。すなわち「国家」とは我々なのである。「国の統制が強まる」???本当にバカである。北朝鮮みたいな体制ならともかく、我々は総理大臣の首を飛ばす権利すら持っているのである。主権者たる我々は、国家に対する最終的な責任者である。「国が悪い」????。責任者はあんたである。(タイトルを変えて続く)

 

 



Last updated 2005/05/13 3:09:23 AM
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