川田アナの訃報を聞いて
「ビッグショー・三浦洸一」の感想は明日にさせていただいて、今日は大真面目な話を。「何でかなあ…」「もったいないなあ…」元TBSアナで、現在はフリーで活躍していた川田亜子アナウンサーの自殺の一報を聞いて、最初に出た言葉はこれだった。私は川田アナと同学年で、生まれも1ヶ月しか違わない。同じ昭和54年の早生まれ。同世代の、それもマスコミで華々しい活躍をしていた人が、29歳ばっかで、自らの命を絶ってしまった…というのは、本当に辛い。最初に口をついて出た「もったいない」という言葉だが、これには、2つの意味がある。ひとつは「まだまだ活躍できたのに惜しいな」という意味。もうひとつは…男性的な、スケベな目線での言葉になってしまうかもしれないが、美しい女性が自ら命を絶つ、ということが、とにかく「もったいない」という意味。不謹慎な言い方になってしまうかもしれないが、ガラスの工芸品や、美術品が、ふとした事故で壊れてしまったような…そういうような印象を受けたのが、正直な感想だった。別に私は、川田アナのファンでも何でもないが、木曜夜中の稲垣吾郎の「Goro’s bar」も見ていたし、日曜日の朝、出勤前に見ている「がっちりマンデー」にも出ていたから、ブラウン管越しに姿を見ることは多かった。確かに凄い美貌とスタイルの持ち主だったが、何というか、「高飛車キャラ」みたいなのが妙に鼻について、そういう目で見ていることが多かったと思う。だから、正直あんまり、いい印象がなかった。しかし、そういうキャラを返上して、報道の世界で活躍したいと、TBSを辞めてフリーになったのが去年の4月。…順風満帆そうに見えていたのに、一体、何をそんなに悩んでいたんだろう?でも!悩みの内容が何にせよ、あのブログを読めば、誰がどう読んだって、そういう状況になるかもしれないって、どうして事務所や周囲の人間が気付かなかったのだろうか?今の人間は、もう一歩踏み込んで、人の感情を汲み取る事が出来ない、って誰かが言ってたが…。マネージャーでも誰でもいいから、誰かがそばについててあげれば、話を一歩踏み込んで聞いてあげれば、もしかしたら、こんなことは起きなかったかもしれないと、私は思う。私が、川田アナのブログの中で、いちばん身を切られるような辛い思いで読んだのは、以下の文章だった。「一番苦痛であります。昔は本を読んだりお茶をしたり、ぽーとしたり。楽しかったのに…今はせつないです。豪華なホテルのロビーで優雅に幸せそうにしている方々を眺めながら、移りゆく景色に胸がきゅーとしめつけられます」…本当に悩んでいたんだろうなあ。その悩みは誰にも言えない事なのか判らないが、誰にも言わずに、独りで自分の中で抱えて込んでいたんだろう。…だからって、死ぬのが、いちばんベストな解決方法だとは、私は全く思えないのだが…。当人は今、満足してあの世に行ったのだろうか。…でも、やっぱし自殺だけはいかん!どんなイバラの道が来ようとも、大風が吹いて飛ばされそうになっても、歯を食いしばって、生きて、乗り越えていかないと、人間やってる意味がない!誰だって社会に出れば、ものすごい大きな壁にぶち当たるときが必ずある。その壁は、ちょっとやそっとの力で押しても、ピクリとも動かない。でも、箱根の寄木細工のように、人生って意外なトコをちょっと動かすと、いとも簡単に壁が開いて、先に進めるシステムになってると私は思う。だから川田アナも、生きてさえいれば、今がどんなに絶望的(?)な状況でも、絶対這い上がれるはずだったんだけどな…。才能があるからアナウンサーになれたわけだし、あれだけの美貌だから、早くからテレビに出られたわけだし、チャンスなんざ、これからいくらでもあったはずなのに…。土曜日の夜にテレビに出ていた人が、たった3日で、すでにこの世にいない、というのが本当に信じられないことだ。とにかく、嫌なことから逃れられて、穏やかな心境になれたのだろう…と思いたい。心からご冥福をお祈りいたします。