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「昭和四十七年四月二十八日」の訓諭について 昭和四十七年七月十二日 注・昭和四十七年七月十九日、猊下が浅井に手渡された訓論についての解釈文 正本堂は今や完成間近に迫っている。 正本堂建立の趣旨は正しく広宣流布達成の願望のもとにその工を進めて来たのである。 然し広宣流布は仏勅の「我滅度後後五百歳中広宣流布於閻浮提」であるから、一閻浮提に広宣流布するのは甚遠広大で、相当の長年月を要することであろう。或いは近き将来急速に達成するかも知れないが、我々の凡智に於ては推知することは出来ない、ただ仏智に依る外はない。 我が戒壇の大御本尊は本門事の戒壇の根源なる故に、戒壇の大御本尊まします所は事の戒壇である。 即ち戒壇の大御本尊が御宝蔵に安置せられていた時は、御宝蔵が本門事の戒壇であったのである。 終戦後創価学会により信徒の増加を来し広宣流布ヘー歩前進せるにより、昭和三十年十一月二十三日戒壇の大御本尊が奉安殿に安置せられて、奉安殿が本門事の戒壇となったのである。 さらに本宗の信徒が、驚異的に倍増し広宣流布の達成へ一路邁進し続けているが、正本堂建立完成の時は戒壇の大御本尊を安置し奉るのであるから、正本堂は現時に於ける本門事の戒壇となるのである。 しかし、一期弘法付嘱書、三大秘法抄の事の戒壇は甚深微妙の事の戒壇で、凡眼の覚知の外にあるのであろう。 我が大日蓮華山大石寺が建立せられてより本門寺の戒壇建立を実現せんとすることは、本宗緇素の大願であったのである。
正本堂は今ただちに本門寺の事の戒壇ではないとしても、少なくとも大石寺建立後六百八十二年にして、信徒は日本国内のみならず世界の各国に同志を得てその数は、にわかに教えることは出来ない。即ちそれだけ広宜流布せられ流行中に於ける相当の広宣流布達成とも云えるのである。故に正本堂は一期弘法付嘱書、三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なりと申す所以である。 正本堂は未来広宣流布達成の暁の本門寺の戒壇を願望したところの大殿堂ではあるが、未だ広宣流布達成とは申されないほど謗法の徒が多い、故に安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉ると申したのである。 - 正本堂が完成し戒壇の大御本尊ここにましまさば、此の処即ち本門事の戒壇であれば、現時の人々は此処に於て懺悔滅罪し、即身成仏の本懐を遂げ、さらに一歩を進め謗法を折伏して一閻浮提に広宣流布の流溢することを僧俗一結して今日より新たに決心すべきであ る。 昭和四十七年七月十二日 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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