関東八十八ヶ所というニセモノ札所
すごい衝撃的なタイトルの日記を見つけてしまった(@_@;)関東八十八ヶ所というニセモノ札所この札所の一寺院の副住職の方が書かれただけに余計に衝撃的(*^_^*)かつて、札所が粗製乱造された時代がありました。仏教が注目を浴び、四国遍路がブームになり、人々は狂ったように四国へ向かう。四国を制覇すると、西国・板東・秩父・小豆島・・・果ては北海道まで争うようにして、次々と納経帳に朱印をいただき、掛け軸を完成させる。そんな時代に、新しい霊場が次々と創設されました。当然のことながら、人々は新しい霊場へ向かうだろう。そんな甘い期待は見事に裏切られました。古くから作られている霊場はそれなりにインフラ?が整備されています。札所にはトイレ、納経を書く人、駐車場、それらの整備を古くからの札所は徐々に整備してきているのだが、新しい霊場を開くにあたっては、すべて一から始めなければいけません。それも各寺院の自己負担です。普通の寺院にとって少なくない負担を敷いて、それに対する見返りはあるのか?躊躇するのは当然で、既設で間に合わせて将来的に整備しようと考えるのは普通のことです。しかし、お参りに来る人はどうだろう?そんな寺院の台所事情など考慮してくれない。失望して、二度とお参りしないと誓う。先発の四国・西国をはじめとする霊場郡が多くのリピーターに支えられているのとは対照的であす。かくして、閑散とした境内に、申し訳程度に札所であることを示す案内板などを残して、札所は普通の寺院に戻ってしまう。この関東八十八ヶ所霊場もそのひとつのようです。しかし、この筆者の書き方には異議を述べたいと思います。まず、四国霊場はそれほど大したものではないということです。この方は関東の方なので、四国に対して思い入れがあるようでが四国在住者からすると、こんなに篤く四国霊場を思っていただけるのに四国札所の対応はなんだと言いたいですね(*^_^*)リピーターのお遍路さんで、札所の文句を言わない人は皆無?に近いです。それほど納経所の対応は悪い。特に、納経所の納経を書く机の上で「犬」を歩かせている56番札所「泰山寺」個人の納経は売店で書かせる2番札所 極楽寺この二つは特に問題です。個人の納経は寺で書かんとか、納経を書く机の上に犬を載せるなど言語道断。ちなみに「泰山寺」は指摘したら逆切れされた。この二つは今後、お寺をお参りしても納経は受けん(*^_^*)ちょっと感情的になってしまいましたが、四国霊場などこの程度です。持ち上げてくださるのに申し訳ない限りです。さて、四国霊場が歴史で明確になるのは、17世紀の半ばころそれから400年も経っていません。弘法大師が札所を作ったというのはあくまで伝説。「弘法大師が四国では誕生していない」とも言われるこの頃、ほとんどの札所は弘法大師と縁もゆかりもないとも言えます。ある意味ではニセモノ札所と言えるでしょう。そのニセモノ札所が400年近く経ったら、それなりの形を持ってきている。何故なのか?そこが信仰の不思議なところです。お参りする人が霊場を作ってきたのです。関東八十八ヶ所も寺院は受け入れ態勢が整っていないかもしれません。しかし、一人でも二人でもお参りする人がいることを考えてほしいと思います。信仰する人が札所を作っていくのです。そのことを考えて、関東八十八ヶ所も今は不完全でも400年計画で札所の形を整えるぐらいの構想で運営をお願いしたいものです。(*^_^*)