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テーマ:今日のこと★☆(104564)
カテゴリ:古典シリーズ
今日は大鏡より南の院の競射をお送りいたしましょう。
このときは藤原道長と藤原伊周の仲が悪かったんですね。 この話から道長VS伊周の政権争いが垣間見えます。 このとき伊周は帥殿と呼ばれていました。 これは伊周が左遷されて太宰権帥(だざいごんのそち) と呼ばれるようになったことから帥殿と呼ばれるようになりました。 一方道長は「この殿」や「入道殿」と呼ばれていました。 本文と訳を載せておきます。 <本文> 帥殿の、南の院にて、人々集めて弓あそばししに、この殿渡らせたまへれば、思ひかけずあやしと、中の関白殿思し驚きて、いみじう饗応しまうさせたまうて、下臈におはしませど、前に立てたてまつりて、 まづ射させたてまつらせたまひけるに、帥殿、矢数いま二つ劣りたまひぬ。 中の関白殿、また御前にさぶらふ人々も、「いま二度延べさせたまへ。」と申して、延べさせたまひけるを、やすからずおぼしなりて、 「さらば、延べさせたまへ。」と仰せられて、また射させたまふとて、 仰せらるるやう、「道長が家より帝・后立ちたまふべきものならば、 この矢あたれ。」と仰せらるるに、同じものを中心にはあたるものかは。 次に、帥殿射たまふに、いみじう臆したまひて、御手もわななく故にや、 的のあたりにだに近く寄らず、無辺世界を射たまへるに、 関白殿、色青くなりぬ。 また入道殿射たまふとて、「摂政・関白すべきものならば、 この矢あたれ。」と仰せらるるに、はじめの同じやうに、的の破るばかり、同じところに射させたまひつ。饗応し、もてはやしきこえさせたまひつる 興もさめて、こと苦うなりぬ。父大臣、帥殿に、 「なにか射る。な射そ、な射そ。」と制したまひて、ことさめにけり。 <口語訳> 帥殿が、南の院で、人々を集めて弓の会をなさった折に、 この殿(道長)がお出ましになったので、思いもよらない不思議な事だと、中の関白殿はお思いになり驚いて、たいそうおもてなし申し上げなさって、(道長が帥殿よりも)低い身分でいらっしゃったが、前に立て申し上げて、先に射させ申し上げなさったところ、帥殿は、 矢数であと二つだけ(道長よりも)劣っていらっしゃった。 中の関白殿、また御前にお仕えしている人々も、 「後二度だけ延長なさりなさい。」と申し上げて、延長させなさったのを、(道長は)心やすからずお思いになって、「それならば、延長なさい。」と仰って、また射なさろうとして、仰っしゃるには、 「道長の家から帝・后がお立ちになるはずならば、この矢当たれ。」と 仰っしゃったところ、同じ当たるにしても、 何とまあ真ん中に当たったことですよ。次に、帥殿が射なさるのに、 たいそう気後れなさって、手も震えるためでしょうか、 的の近くにさえ寄らず、とんでもない方向違いをお射になったので、 関白殿、顔色が青くなってしまった。 また入道殿が射なさるのに、 「(私が)摂政・関白するはずのものならば、この矢当たれ。」と 仰っしゃったところ、初めの矢と同じように、的が破れると思われるほど、 同じところに射さなさった。ご馳走までして、 もてはやし申し上げなさったことも興ざめとなって、 気まずくなってしまった。父である大臣は、帥殿に、 「なぜ射るか。射るな、射るな。」とお制しになって、 座がしらけてしまった。 口語訳を見ると弓の会にしても、 政権争いが垣間見えているのが分かります。 それだけ執着心があったのでしょう。 藤原氏が栄華を極めた時代でも政権は我が物だという お家騒動も激しかったのでしょうね。 道長派とか伊周派とか派閥も出来ていたんでしょうねぇ~。ぇ [今日の余談] 今日は委員会で生徒総会の議案書を製本していた時に・・・。 どうやらアニメらしき音楽・・・。 「みなさ~ん元気ですか~??それではいってみよ~!!!!」 みたいなかけ声から始まり・・・。 「ミコミコナース、ミコミコナース、生麦生米ミコミコナース、 ミコミコナース、ミコミコナース、かえるぴょこぴょこミコミコナース・・・」 なんて歌が始まったわけです。 そしたら一斉に委員たちが、 「なんでこの場に及んでミコミコナースなんだよ~」 なんて言い出しちゃいまして、僕もこんな時にビックリしましたよ。 なんで知ってるかって言われれば 友がそういうものに詳しいわけですよ。ぇ でも作業してる時に流して欲しくなかったなぁ。 あの後いろいろ談義が始まったわけですよ。 アニメ談義、鉄道談義・・・。 いやぁたのしかったぁ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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