大胆な結論
最近、恋愛について考えることがあって、ふと閃いた結論がこれ。「恋愛経験が増えると、面食いになる」逆だろ? と思われた方、ある程度正しいです。 でも私、40を過ぎた今になって、妙に面食いになってきたのです。子供の頃は、外見だけ見て、やれあの子が好きだとかなんだとか楽しんでいた。それが大人になると、外見がいくら良くても中身が伴わなきゃどうしようもない…と気付く。それが、もっと経験を積むと、中身がどんなでも、まあそれなりに対処出来るようになっている自分がいて、はてさて自分はどんな中身の子が好きなのだ? と、疑問符。趣味嗜好のことでも当てはまる。似た趣味嗜好の人と一緒に居た方が、恋愛はうまくいく。しかし、色んな知識がたまってくると、別に違った趣味嗜好の人と付き合うのも、刺激的で良いじゃん? みたいな、余裕? 相手の得意なことを教えてもらっちゃおう、という気持ちが出てくるので、まあ、好きになればイイさ…と。でもって、誰を好きになるかというと、この世に女性という美しい生命体を創造した神に感謝したくなるような、顔とか声とかスタイルとか、逆立ちしても男には真似出来ないものを持った人を好きになる訳です。べつに全部美しくなくても良い。声だけむちゃくちゃ美しい人が居たらそれも良し。でも、一番分かりやすいのは、顔でしょうね。顔は一人一人みんな違うから、個性という形で飽きさせない魅力が出やすいです。私は結構頭でっかちな人間で、何でも論理的に考え、分析してしまう。恋愛においては、男と女の思考方法の違いに始まり、時にはあまりにも分かりやすい人間の欲求とか、見えてしまうとそこで相手に対する“神秘”は終了してしまう。神秘がなくなると、恋愛は冷めて行きますね。でも、外見や声、その他五感に訴えた魅力、しかも私のセンスでそれが“人間の神秘”にあたるものであったらどうでしょう? その“神秘”は解明されませんね。 肌が何故?艶やかに光っているのか…など、医学的生物学的には解明されても、その人にそれが備わった理由や、人間という生命体をその形に決めた理由、それをつばめが美しく感じた理由、どれも答えの無い神秘では無いでしょうか?よく「そのうち飽きる」とか「年取れば変わる」なんて無粋なことを言う人が多いんですが、その人はそこまで深くその造形を愛さなかっただけでしょう?…と私は思います。年取って変わっても、ずっとその人の持つ個性って残りますね。面影は一生のものです。面影があるだけで一生愛しつづけられるくらいになりましょうよ。私はそう思います。もしかしたら今日の日記は誰かに喧嘩を売ってるのか?と思われる内容だったかも? そういう意味で“大胆な結論”とさせて頂きました。私は最近…面食いです。