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あけやんの徒然日記

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あけやん2515

あけやん2515

2020年02月11日
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カテゴリ:野球
​​ プロ野球南海(現ソフトバンク)で捕手兼任監督を務め、ヤクルト​、阪神、楽天でも指揮を執った​野村克也​(のむら・かつや)さんが11日午前3時半​、​虚血性心不全​ため死去した。84歳だった。京都府出身。​【日刊スポーツから引用】​

 ​ボヤキのノムさんこと、野村克也さんがお亡くなりになったとのこと。​南海ホークスへテスト生として入団したところからスタート、テスト生といえば将来性を買ってということが含まれていると思いますが、実際は壁用(つまりブルペン捕手)としての採用だったそうです・・・。
 
 さて、野村克也さんの輝かしい球界での歴史として思いつくのは「再生工場」。プロ野球に入ってくる選手というのは、それだけの力があって入ってきているわけだからその使い方次第でもっと活躍できる、という考えがあったのかもしれません。
 例えば、江本孟紀さんの場合は、入団した1年目のオフに東映フライヤーズから南海へ異例の移籍。江本さんの話では野村さんから「東映では0勝4敗だったけど、南海に入ればふた桁は堅い。だからエース番号をつけてがんばれ」と言われて全身に電気が走るくらい感銘を受けたとのこと。背番号16をつけた江本さんは背番号と同じ16勝をあげてリーグ優勝に貢献したわけですが、野村さんは江本さんの小気味いいテンポと強気なピッチングという才能を見抜いていたのかもしれません。
 また、その江本さんを1975年オフにトレードで出して獲得したのが阪神タイガースのエースだった江夏豊さん。先発完投が投手の華と考えていた江夏さんを「これからの野球は先発・中継ぎ・逃げ切り・抑えという分業の時代になる。だから抑えの分野で革命を起こそう」と持ちかけ、その「革命」という響きを江夏さんが感じ取って球界を代表するリリーフエースにまで仕立て上げました。当時の江夏さんの力では先発は無理でも、その類まれな投手術という才能を最大限活かして試合後半の山場で火消しに使おうと考えたのでしょうね。

 ほかにもヤクルトスワローズの監督になってから広島東洋カープの主軸打者だった小早川毅彦さんを獲得。当時は力が落ちていたと言われていた小早川さんを開幕戦のスタメンで起用、当時難攻不落と言われていた読売ジャイアンツの斎藤雅樹さんから3連発のホームランを放つというこれ以上ないというインパクトを見せました。
 また阪神の監督時代には、千葉ロッテマリーンズで打者に転向していた遠山昭治さんを獲得。左のサイドハンドの投手として復活させて、当時の読売の強打者松井秀喜さん対策で起用、あのゴジラ松井がキリキリ舞する光景は他球団ファンとしてもスッキリするものでした。

 あと野村さんで印象に残っているのが
相手の投球の癖を読む、あるいは配球の癖を読むということを早くから実践していたということ。ヤマハリではなくて相手が何を投げてくるのか、どういった傾向があるのかということを頭に入れておくけば、いくらでも対処ができるということだったと思います。これはご自身の経験でそれを深められたと思うのですが、その根底は1962年鶴岡監督が成績不振で休養(その後復帰)時に代理監督を務めた蔭山ヘッドコーチの考えだったと何かで読んだ記憶があります。また昭和40年代の阪急の強打者だったダリル・スペンサーもそのようなことをしていたというのを聞いて、ご本人もその考えに間違いはないと確信、それが後年のID野球につながっていったのではないかと思います。

 ただ、冒頭に書いた「ボヤキ」という部分、野村さんの特徴でもあるこの部分が私は好きになれませんでした。『無視、賞賛、非難』と言われており、正しくは「無視されて三流、賞賛されて二流、非難されて一流」とのことですけど、ボヤくのはその選手が一流であるからということなんでしょう。でも、私に言わせれば、非難されるような選手を起用している監督の立場はどうなんだ? っていうことなんですよね。そこは棚上げ?見ないふり? 
 それと、南海の監督を追われた原因というのがあの猛妻の存在。それをうまくコントロールすることができなかったのに、選手をボヤくなんてありえないかと。選手だって、ボヤきたいだろうね。
 
 ほかのところでも取り上げられていると思いますが、選手や監督として輝かしい成績であったのは事実です。WBCの監督を務めて欲しかったというコメントもありましたけど、個人的にはそれはなくてよかったんじゃないかなって思っています。

 最後に野村克也さん、お疲れ様でした。 





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最終更新日  2020年02月11日 22時51分42秒
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