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カテゴリ:旅行(日帰り含む)
2022年のGWは、とりあえず今日が最終ということで、今日は買い物に行っただけでした。今年のGWも近場で過ごしただけでしたが、それでも行ってみたいところがあって5月1日の夕方に思い立って出かけました。場所は大阪府柏原市の玉手山公園、かつては玉手山遊園とよばれていたところです。玉手山遊園は、1908年に開業した歴史ある遊園地で私も幼稚園の遠足で行ったことがあります。ただ、どんな遊園地だったかは覚えていません。確か実家に幼稚園の卒園アルバムがあったと思うのですが、そこにいくつかのスナップ写真で見ただけですけど、主に幼稚園児や小学校低学年向けの遊園地だったのではないかと思っています。
そんな玉手山遊園も1998年5月に閉園となりましたが、1999年3月に現在の玉手山公園として柏原市が管理することになったとのことです。 玉手山公園へは、近鉄大阪線河内国分駅もしくは近鉄南大阪線道明寺駅が最寄になるのですが、JR大和路線の高井田駅からも行くことができます(高井田駅から河内国分駅まで歩いて約10分)ので、私は高井田駅から河内国分駅を越えて歩くことにしました。 この写真でいうと、写真奥の方に緑の木々が見えますがだいたいあのあたりになります。河内国分駅からしばらくすると上り坂になりまして、ゆっくり上っていきます。昔からの住宅地のようですが、その上の方は結構大きな家が建ち並んでいました。監視カメラがたくさん取り付けられた物々しい家もあって、「何かあるのか、この家は?」という感じでした。 そのあたりを過ぎると、今度は下り坂になります。その途中にコミュニティバスのバス停がありました。その名称は「玉手山公園前」となっていますが、実際の入り口はまだこの先になっていました。歩きながらちょっとわかりづらいかなと思ったのですが、案内看板がいくつか設けられていて迷うことはありませんでした。今はスマホのマップ機能もあるしね。 ようやく到着しました。高井田駅から約30分歩きました。 この形が昔の玉手山遊園とイコールかどうかはわかりませんが、意外と広いと感じました。 この場所は中央入口となっていましたが、これ以外の東入口と南入口があります。駐車場もありますが、台数は少ないようです。なお、私が幼稚園の時は観光バスで来ていると思うのですが、どこに停めてどんなルートで行ったのかなってね。私が幼稚園のころだから1973年、もう50年近く前ですからね。覚えているわけないのですが・・・。 このような芝生の広場が中央入口にありまして、おそらくこういうところにもかつては遊具があったのかもしれません。今は、幼稚園児が喜びそうな「おうち遊び」ができそうな遊具がありました。私の娘もこういうのをとても喜んでいたなぁってね。 子どもが書いた似顔絵のモニュメントもありました。こういうのを見ると、小さな子供向けの遊園地であることを感じますね。 昔の飛行機の格納庫のようなかまぼこ屋根の建物には、「おたのしみ館」と書かれており、かつては屋内で楽しめる遊具があったのかもしれません。今は、遊具の倉庫になっているようでした。園内には、山の上の方にも遊具などがあるので行ってみました。 山の上の方に展示館があって、そこには1998年まで使われていた案内看板が残されていました。 こういうのは真っ先に廃品として処分されてしまうだろうけど、ここではにぎやかだったころを思い出させるように展示されていました。 どんな遊具があったのか全く覚えていないので、この「チェーンタワー」が何だったのかわかりませんけど、もしかしたらバケット状の椅子にチェーンがついていて、中心に回転するタワー状のものに接続されていてぐるぐると回転するヤツかな? 確か今でもひらパーであったような記憶が・・・。 「出口」の表記も複数残しているんですね(笑)。 玉手山遊園には、こじんまりとした観覧車があったそうです。覚えてないなぁ・・・、さすがに幼稚園の遠足では観覧車は乗せてもらえないもんね。 その観覧車は残念ながら閉園時に解体されたようですが、その観覧車のドアが展示されていました。できれば、その観覧車のゴンドラそのものであればよかったんでしょうけど、置き場がないか・・・。 玉手山遊園として最後の営業は、1998年5月31日だったそうです。 写真の下に写っているのは、前出の「おたのしみ館」の屋根かな。そうすると、その上あたりに観覧車があったのかもしれませんね。 ちなみに、その展示の中に2000年時点の「レジャーランドのうつりかわり」という資料が展示されていました。なかなか興味深くて、「遊園地」「テーマパーク」「ウォーターパーク」「水族館」「動物園・植物園」とテーマごとにいつ開業したのかというのを紹介していました。それによると、玉手山遊園は「遊園地」の部門の中では1853年に開業した東京・浅草花やしきに次いで二番目の1908年に開業したことが書かれていました。そこに書かれている遊園地などの名前をみていると、今ではすでに廃止されてなくなったところがあって、懐かしさとさみしさを感じました。 玉手山遊園で使われていた案内看板以外にも展示品があって、この神輿は柏原市大県の神輿で1898年に作られて2002年までの100年以上使われたものだそうです。他に、日本国内の民芸品や化石なども展示されていました。 それから、山頂の方には「後藤又兵衛の碑」がありました。私は日本史はあまり得意じゃないのですが、この玉手山のあるあたりは大坂夏の陣の合戦があったそうで、後藤又兵衛もその際に活躍した武将だったとのことです。すみません、そのあたりは「大坂夏の陣」で調べてください・・・。 さて、高低差のある園内を歩いて見つけたのが、この「ちびっこゲレンデ」。この日は時間が過ぎていたし、午前中雨だったせいもあってちびっこはいませんでした。このちびっこゲレンデのある場所には、かつて50mの長さを誇る滑り台があったそうです。いつくらいからその50mの長さの滑り台があったのかはわかりませんが、かなり高低差のある場所ですから子どもだったらかなりのスリルのあるものだったのかもしれませんね。 最後に展望台へ。このような屋根のある休憩スペースがありました。 そこからは、大阪平野が一望できました。 ちゃんと案内看板もありました。 ちなみに、ここは今年初めにアマチュア無線でつながった人と話をしていた時に、「旧玉手山遊園のところにロケーションのいい場所がある」ということで、約50年ぶりに行ってみようということで今回訪問したのでした。 高さはあまりないものの、遮るものがないからアマチュア無線で波を出すにはよさそうだなぁって思いました。 帰りは、近鉄南大阪線道明寺駅から帰りました。 緑の山が見えるあたりが玉手山公園になります。道明寺駅からの方が若干近いようですね。 それにしても、約50年ぶりに行きましたけど、当時の記憶が全くないし私の娘が生まれて間もない時期に閉園になっているので、どんなところだったのか思い出すことはできませんでした。それでも、今は柏原市が整備して運営しており、しかも入園は無料で維持されているので、何かと大変かと思いますけど小さな子どもの楽しめる公園として引き続き維持してもらえればと思いました。この日も、幼稚園児よりも小さな子供がたくさんやってきていましたからね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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