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カテゴリ:俗に言うエッセイ。もしくは日記。
本当はこんなことをこのブログに書く気はなかった。何故なら自分にとってブログとは日頃の悩みやストレスの捌け口だなんてものではなかったからだ。
この話をするためにはまず友人らと映画を撮影する企画があったことを記さなければならない。企画者は俺だった。元々この企画については昔からあがっていた話で、最近暇だしこの機会に撮影するかという軽いノリから当初は始まったのである。 さて、話は少しそれるが今まで自分が始めた企画は大概企画倒れになっていた。その理由は自分が途中で面倒になって企画の進行を投げ出してしまうことにあった。さて、調子にのって映画のメンバーを収集していくといつの間にかメンバーは男女合わせて15人を越えていた。その時、あー今回はさすがに企画倒れには出来ないなと思った。 脚本は自分が作った。くだらない内容だったが、パソコンで打ち上げることには本当に苦労した。また、撮影場所探しや打ち合わせは俺とカメラマンとで頑張った。一度、メンバーの大半に顔合わせ程度で打ち合わせの収集をかけたことがあったが、その打ち合わせはその10倍以上の回数にのぼる。 途中、メンバーの編成が変わったりした。このままでは脚本と食い違ってしまうので、急遽追加メンバーを収集し、そしてなんとか撮影までこじつけた。 正直、何度投げ出そうと考えたか分からない。しかし、今回だけは投げ出しちゃ駄目だと自分に言い聞かせ、本当に頑張った。これが完成したらさぞ感動することだろうなと思った。 さて、撮影の日。俺は模試を控えていたので撮影に遅れて参加することになっていた。企画者であり、監督という位置に立っている自分が出られないことがどう影響するか分からないので、全ての指示を予め出しておき、代理の監督まで設けておいた。今自分に出来ることは全部したつもりだ。はっきり言って監督はいなくても大丈夫だとカメラマンが勇ましいことを言っていたので、ここまでくればもう成功するに違いないと考えていた。 さて、この話はここから面白い展開になる。撮影場所が使えない状態だったので、メンバーらは撮影そっちのけでボーリングに行ったというのである。 撮影場所が使えない状態だった時どうするのかという指示も当然出していた。ボーリング?どういう意味だそれは? その後、メンバーの一人から撮影場所は撮影しようと思えば撮影出来る状態にあったという話を聞いた。そして、ボーリングの案を出した人物はこともあろうか監督代理だった。 さらに細かく聞くとつまりこういうことだと知った。監督の趣味に付き合わされているのに監督が来ないのはおかしい。何で監督が来ないのに撮影をしなきゃならないんだ。 カメラマンはやっぱり監督は必要だったなどと訳の分からないことをぼやいた。 当然、カメラマンもボーリングに行った一人だ。 また、監督代理は「俺は止めた」とほざいていた。堂々とそんなことがぬかせるとは将来が有望だ。 自分はあの日、出来ることは全てやりきったと自負できる。遅れることに対して負い目を感じていたから、余計万全の対策を整えていた。これ以上何をすれば良かったんだ? それでも俺は企画者としてメンバー皆に謝罪のメールを送った。皆、楽しかったからいいよ、などと返してきた。ふざけるな。一体お前らはどういう立場にいるんだ。 映画の件については初期段階でメンバーにはやめたいならやめてもいいと言っていた。なのに今さら趣味に付き合わされているだと?てかそもそも映画撮影とか俺の趣味じゃないから。 何故お前らは謝りもしなければ悪びれる素振りすら見せないんだ?別に大人数で犯した一人に対する罪なら無視しても良いのか?なら大人数に裏切られた一人の気持ちは一体どんなものだと思う? 何で監督がいないのに撮影しなきゃならないんだだと?俺が一番行きたかったに決まってるだろ。お前らがボーリングに行くだけのために何回打ち合わせしたと思う?どれだけ時間をさいたと思う?ボーリングに打ち合わせがいるのか?脚本がいるのか?お前らは何気なく映画の撮影は今年もするのかと聞いてきた。しないと言ったらまた企画倒れかと笑った。そんなに笑えるか?気持ちのリセットなんて、そんなに簡単にいく訳ないだろ。 そんなことがあってから、俺は映画関係者には未だに不信を抱いている。元のように信頼したいけど、それではやっぱり納得出来ない。表面上は普通通りを装っているが、どこまで出来ているか分からない。 時折何がなんだか分からなくなることがある。気持ちのリセットは思っていた以上に至難の技らしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.03.08 13:52:47
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