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カテゴリ:芸術
虹の上をとぶ船 総集編I 昭和50年(1975) (1)大鳥に乗って星空をとぶ子どもたち (2)太陽に向かって飛ぶ鳥の群れ (3)三つの太陽 (4)海辺の森と花 虹の上をとぶ船 総集編II 昭和51年(1976) (1)海神が現れる (2)サソリと白い鳥の争い (3)星空をペガサスと牛が飛んでいく (4)花の太陽から花が降る 虹の上をとぶ船 完結編 昭和52年(1977) シリーズの中の一作「星空をペガサスと牛が飛んでいく」は、宮崎駿氏が映画『魔女の宅急便』に使用したことで知られている。森に住む画家の卵ウルスラが、友達になったキキに描きかけの絵を見せる、あの場面だ。 青森県立郷土館で開催中の企画展「青い森の宝箱」に「星空をペガサスと牛が飛んでいく」が展示されていて、それを聞きつけた坂本氏が今日、来館した。担当者があれこれ話を聞いていた時、たまたまその場を通りかかったワタシが呼ばれ、「この人、八戸市鮫町の出身ですよ」と紹介された。坂本氏は昭和31年から同55年まで、25年の長きにわたって八戸市の教育現場に身を置いた。初任地の八戸市立鮫中学校には昭和38年まで居て、現在も家があるんだとか。 八戸市立湊中学校養護学級の担任になったのは、昭和45年から。「青森県に来なければ教育版画はやってなかったかも」と語る坂本氏は、力強いコトバの持ち主だった。「学校は容れ物。先生と生徒を一緒に容れておくと、何かが起きる」「生徒にとっては、版画を作っている間が大切。そこに成長があるからで、できあがった作品は、足跡とか残滓のようなもの」「『虹の上を飛ぶ船』は、隠しておいたのに世に現れたのだから、それ自体が力を持っているのだろう」と、穏やかながら確信に満ちた物言いが、強く印象に残った。 「星空をペガサスと牛が飛んでいく」については、とにかく生徒たちには良い材料を使わせたいと思い、高級和紙(鳥の子紙)や石版に用いる平版用インクを、わざわざ手配したのだとか。30年以上経った現在でも色落ちが全くないのは、そういう理由だ。「版画は、刷りの前と後では、絵の向きが違う。自分のイメージが逆転する驚きがたまらない」と聞かされ、その斬新な発想に打たれたことである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019年08月02日 21時03分54秒
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