ブレハッチ来日、数論 Rafał Blechacz、 Number theory algorithm_ story (4417)2019.11.9
Rafał Blechacz came to Japan again. It's almost like Chopin's coming. When a delicated body heads to the piano, a strong hammer is dropped. The tremolo in Adagio is so beautiful and impressing. The audience, fascinated by his music, attends all concerts.
A word in English, fantastic! amazing!, brilliant!, incredible!, all adjectives are not enough. A little dissatisfied,NHK Symphony Orchestra has not yet invited him .ブレハッチがまた日本にやってきた。ショパンの再来ではないかとおもうほどショパンに似ているのだ。貴公子のような楚々とした体躯がピアノに向かうと強烈なハンマーが打ち下ろされる。さめざめと泣くようなトレモロはこの世の者と思えないほど美しい。彼の音楽に魅せられてしまった聴衆は全てのコンサートに足しげく通う。英語で一言、ファンタスティック! いやアメージング、ブリリアント、インクレディブル・・あらゆる形容詞をもってしても足りないのである。ちょっと不満なのが、NHK交響楽団との共演はまだ叶えられていない。
NHK交響楽団がまだ彼を招待していないことに少々不満が残る。
■今週の1枚
岩手県・大槌漁港
大雨のあと毎年のルーチンとして岩手県を訪れた。天気の良い日で、この波止場でお湯を沸かしたりしながらラーメンを啜る。
目次
徒然の記その1 横浜美術館
徒然の記その2 ブレハッチのピアノ協奏曲
徒然の記その3 山手線半周walk
徒然の記その4 「数の女王」読了
徒然の記その5 犬の躾
徒然の記その6 坂道探訪-備忘録
徒然の記その7 音楽教室の練習
徒然の記その8 WBSS
徒然の記その1 横浜美術館 2019.11.4(月・祝)
■横浜美術館開館30周年記念 オランジュリー美術館コレクション「ルノワール と パリに恋した12人の画家たち」9/21(土)~2020.1/13(月)
人伝てに招待券を貰っていたので、コンサートに行く序に寄ってきた。久々の横浜美術館。JR桜木町からは徒歩900m。地下鉄のみなとみらい駅からは200mほど。後者は駅が大きいので出口を間違えればすごく歩かされてしまう。橋本からはJR一本で行ったほうが安いが、徒歩を考えると後者に決定するのであろうか。
こちらは、美術館に行く場合は大体が家から”健康マラソン”で40kmほど走って向かうので運賃を気にしたことはない。今日は2股を掛けているので正装で臨み、運賃が安い桜木町から歩いて美術館へ。
チケット売り場は長蛇の列。休みの日であったので、子供連れも多い。皆、ボードを持って何か筆記している。Kidsを美術館に取り込む作戦は成功しているようだ。イヤホンも積極的に子供に貸し与えたり。なかなか微笑ましい風景である。
オランジュリー美術館が改装のため常設展示されている絵画がどっとやってきている。なにせ4人のコレクター:ギヨーム・アポリネール(1880-1918)、ジャン・ボルテル(1883-1950)、ポール・ギヨーム(1891-1934)、ジュリエット・カーズ(ドメニカ)(1898-1957)が精力的に蒐集した作品がオランジュリー美術館に集められている。計13画家で70点くらいの作品が一堂に集められているのだから見ない手はない。
13画家の生誕地を付して記すと、アルフレッド・シスレー(パリ 1839-1899)、クロード・モネ(パリ 1840-1926)、オーギュスト・ルノワール(仏・リモージュ 1841-1919)、ポール・セザンヌ(仏 エクス=アン=プロヴァンス 1839-1906)、アンリ・ルソー(仏西部 ラヴェル 1844-1910)、アンリ・マティス(仏北部 1869-1954)、パブロ・ピカソ(スペイン 1881-1973)、アメデオ・モディリアーニ(伊・リヴォルノ 1884-1920 )、キース・ヴァン・ドンゲン(オランダ・ロッテルダム近郊 1877-1968)、アンドレ・ドラン(パリ郊外シャトゥー 1880-1954)、マリー・ローランサン(パリ 1883-1956)、モーリス・ユトリロ(パリ・モンマルトル 1883-1955)、シャイム・スーティン(リトアニア 1893-1943)
といったところで、全員パリに集結している。これらの画家の作品が並んでいた。
その中で、アンドレ・ドランの「台所のテーブル」が良かったと感じた。この画家は1922-25の期間に台所の道具に魅せられてそれを絵にしているという。ある期間にあるテーマを集中して描いていくという画家がこの美術展で多かった。モチーフを絞り、何十枚も描いていくという姿勢である。参考になる。
ルノワールの「ピアノを弾く少女たち」の前では、よほど有名な絵画であるからかみんなが長時間立ち止まっていた。1912年が頂点というフォーヴィスム(野獣派)の時代に、これらの画家が「生」を営んでいたのかと思うと感慨深いものがある。ユトリノの「クリニャンクール教会」は12世紀に建てられた教会だが、その背景にサクレクールがちょこっと顔を出している。第一次大戦のあと、フランス国旗が描き加えられている。
徒然の記その2 ブレハッチのピアノ協奏曲 2019.11.4(月)
■横浜みなとみらいホールで14:00開演の「ラファウ・ブレハッチ」を、美術館に次いで駆け付けた。
演目は
・スタニスワフ・モニューシュコ:歌劇「バリア」序曲
・フレデリック・ショパン:ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 作品21
・同:ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 作品11
指揮:アンドレイ・ボレイコ、ピアノ:ラファウ・ブレハッチ
管弦楽:ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団
ブレハッチのピアノ協奏曲は2017年にモントリオールで聴いたベートーヴェンの4番以来、2年半ぶり。日本では今までリサイタル形式でピアノだけの演奏であったのに、今回は管弦楽団を引き連れての来日である。
気合が入っているのはカミさんでもう半年も前からチケットの争奪戦を行っていた。なにせ先生や友達の分など何十枚も買わねばならず、1分で売り切れてしまうためその日は厳戒状態だったのだ。
小生の席は1階C10列の12番。通路側の席で、15mほど前にブレハッチの横顔と手が見える最高の席である。カミさんは友達と肩を並べて前から4列目の12番に座っている。
ショパン(1810-1849)20,21歳の作品は、ピアノ協奏曲第2番が先で、第1番が後であったが、出版の都合で入れ替わって、後で作曲した方がピアノ協奏曲第1番作品op.11となり、先に作曲したほうがピアノ協奏曲第2番op.21になったという。
プログラムには、第1、第2となっていたが、ブレハッチの意向で作曲年代順に協奏曲2番、1番の順に演奏された。当時のショパンは、ワルシャワ音楽院の声楽科に通うコンシタンチア・グワドコフスカという女性に思いを寄せていたという。ピアノ協奏曲2番・2楽章ラルゲットの「アダージョ」こそ作曲家の純真な感情が連綿と綴られている。pppp( pianissississimo ピアニッシッシッシモ; ごくごくごく弱く)の祈る心を指一本の1mmの連打で託した。オケもすべての演奏をやめ聴き入る。あまりにも弱いため1音が飛んだのかもしれないが、さめざめと泣くような感じで2000人の聴衆がその一挙手一投足に惹きつけられる。そこにショパンが現れて弾いているかの如きである。
ピアノ協奏曲第1番の第2楽章ラルゲット「ロマンツェ」も、ノクターン風の優美なメロディーが奏でられる。全体としてはこちらの方が45分と長い曲であるが、最後は技巧を凝らしたコーダで絢爛豪華に曲を閉じる。
平野啓一郎の「葬送」に出てくるショパンは晩年の37-39歳で、画家のドラクロアから慕われたものの、ジョルジュ・サンドからは冷たくあしらわれ疲れ切ったボロボロのショパンが描かれているが、この作品のショパンは若い。
目の前に若かりし頃のショパンが190年ぶりに覚醒したかのような印象。オケも時には最弱音量で、ピアノに合わせてサロン風の上品な旋律を紡ぐ。リストとは違う雰囲気なのだ。みなとみらいホールの音響は東京芸術劇場のそれと比べて秀でているのではないかカミさんは言う。因みに11/2に東京芸術劇場での同じプログラムでの演奏会には1975年のショパン国際ピアノコンクールの覇者クリスティアン・ツィマーマンが会場に聴きに来ていたという。ポーランド人同士でお互いに刺激しあってあるようである。
ブラーボーという歓声とともに、すぐ後ろの席から大きな声で「ブラービ!」と歓声が飛ぶ。オケと独奏者にブラーボーを言ったのだ。(ブラーボーBravoは対象者によって語尾変化する。男性単数形では「Bravo!」、女性単数形の「Brava!」、男性複数形・男女複数形の「Bravi!」、女性複数形の「Brave!」)
隣の女性も「凄かった。」と目を潤ませながら呟くように耳元で囁く。2人でスタンディングオーベイションをやって拍手を送る。遅れてカミさんらも立ち始めた。会場内相当の人数が立って拍手をしている。アンコールは、ワルツ7番 op.64-2。
何ともすごい演奏であった。CDは完売。サイン会は1時間経っても終わらず、2列で並んだ人たちはドアを出て、ホール外側をぐるりと巻く凄さであった。小生はそれを横目で見ながらそそくさと会場を後にした。
徒然の記その3 山手線半周walk 2019.11.6(水)
■歩き塾「山手線ロングトレールその2」というイベントで田町から池袋まで"歩いて"きた。普段は走っているので、歩くという行為は実は苦手である。しかもガイドをしながら最後尾に気を付け、いつも人数確認を行いながらと。
浜松町を過ぎて、新橋に行く途中で、NYの街角によくある広場が出現した。ビルの色をわずかに違えて並んでいる。三角形をなす素敵な広場である。地図で調べると「イタリア街」。汐留に近く、山手線の内側でも昔は操車場があったようでその跡地にできた新しい街であるという。外国の市街を思わせる雰囲気。コンビニも一見それとは分からない。ミニショップにような洒落た外観であった。
「だいたい12人」というアバウトなカウントでずっと歩いてきたのであるが、後方から大きな声がかかった。「一人足りません!」。最後尾と人数をしっかり確認しないものだからこういうことになる。だいたい皆歩きながらお喋りをしているため必死の呼びかけにも応じないのが普通である。その時は恐らく電話が鳴ったのだろう。
「周りを見渡しても皆が居ない」と電話がかかってきたようである。当方などは機内モードで歩いているのでもとより気付かないので迷子になった者からは"失格"であろう。もう月間1GBというちゃちな契約をしたばかりにWiFi環境下でしかスマホを使っていないことが諸悪の根源である。
こちらは、谷中銀座を階段の上から見下ろしてUターンして帰っており、トレールを続けていたのであるが、はぐれた人は谷中銀座に進んでしまい迷子になったというものである。アメ横などのはぐれやすい行進は、隊列の形を「楔形」にして道の真ん中を進んでいった。すなわち先頭は1人。続いて2人。以下2人の隊列のまま、蛇のように進むと速い。ここでははぐれなかったのにと悔やまれる。
コース・・田町9:40→浜松駅→イタリア街→新橋→有楽町→東京→神田→御徒町→上野(フードコートのような場所で昼食)→鶯谷→日暮里→谷中銀座→富士見坂→西日暮里→田端→駒込→巣鴨→大塚→池袋16:12 約20kmであった。田端→駒込の間に「第二中里踏切」があり山手線唯一の踏切をもの珍し気に見学。電車が来るまで暫し待つ。
■田町駅・・中央コンコースに出る出口は、南改札と北改札。これは分かりずらい、中央北、中央南といすべきである。どちらも同じコンコースに出れるのであるが、たまたまそれが北にあるか、南にあるかの差であって、人はそこから出て、東西の出口へ向かっていく。乗降客約18万人で浜松町についで18番目というが、小生の目には、中央コンコースに吐き出される人数は8:30-9:00にかけては、1分当たり5000人とみた。物凄い数の集団が真ん中に立つ小生をかすめていく。
全員黒一色のサラリーマンスタイルである。オフィスと直結するために色彩が固定するのだろうか。
■この日は17:00から月一の旧サラ文幹事の集まりが新宿であった筈である。もうこれ以上はお腹に入らないであろうとのことで新宿駅構内で逡巡したあげくまっすぐ家に帰ることにした。
徒然の記その4 「数の女王」読了 2019.11.6(水)
■川添愛の「数の女王」(2019.7 東京書籍)を読んだ。スマホゲームなどのようなファンタジア一色の立体映像を見るような作品で、動画を文章表現で忠実に再現したような感じで今までの本とは様相が異なる。異空間に飛び込んだようで頭がくらくらする。
この”劇画”のBGMには、4日にみなとみらいホールで聴いた「スタニスワフ・モニューシュコ:歌劇「バリア」序曲」がふさわしい。この音楽を聴きながらこの小説の風景を連想していた。非常にぴったりとくる。
数論としてはなかなか深い内容で、様々な数の性格を面白い言葉で、物語としている。
・たとえば、巡回数。142857という数字をご存じだろうか。これを2倍から6倍してみよう。順番に、285714、428571、571428、714285、857142 となる。不思議なことに同じ数字が順繰りに現れるのだ。
・どの数字でも、偶数であれば2で割り、奇数であれば3倍して1を足す。これを繰り返すと必ず「1」になるというのである。10の場合は、5→16→8→4→2→1 5回で「1」、558700という大きな数では、120回繰り返すと「1」になる。31という小さな数でも、驚くなかれ106回繰り返さなければならないが「1」となる。コラッツの予測と言うものであるが、まだ証明されていないのだという。物語では、「運命数の泡立ち」という表現で、運命数(個々人に割り当てられた5~6桁の任意の数)は泡立って(=増減を繰り返しながら徐々に小さくなっていく。下図を参照。)「1」になるのだという。(558700の場合は、279350→139675→419026→209513・・・・・→1 計算途中のmaxはなんと、1,591,000 これも120回計算を繰り返せば「1」となる。)
コラッツの予測・・グラフは「558700」の場合。物語では「運命数の泡立ち」と表記される。「1」に近づいていく。
・素数(1と自分自身以外は割り切れない数 1,2,3,5,7,11,13,17・・・など)の中には4n+1という数(13,17,29など)があり、それらは、aの2乗+bの2乗で表せる。ピタゴラス素数という。13は2の2乗+3の2乗、29は2の2乗+5の2乗など。物語では運命数のなかに含まれる「刃(やいば)」として他人を傷をつけ大暴れする。
・2のベキ乗(4,8,16,32,64・・・)から1を引いた数(メルセンヌ数 3,7,15,31・・)で素数なのをメルセンヌ素数(3,7,31,127)といい、小さな数を「宝玉」、524287のように大きい素数を「不老伸の数」として物語に登場している。
・「カプレカ数」という数がある。45x45は2025であるが、これを左右にわけて「20」と「25」にする。なんと2つを足せば、45になる。297の2乗は88209(2乗した数の桁数が奇数のときは、左の部分が右よりも1つ少ない桁数で分ける)。88と209に分けて足すと、297になる。55x55もこういう性格を持つ。作中では「二乗分割復元数」として出てくる。499500という大きな数が出てくるが2乗すると249500250000となり左右を半分に分けて足すと499500に戻る。攻撃を受けても元に戻るという長(おさ)の運命数である。
・以前読んだ「博士の愛した数式」(小川洋子 2005 新潮社文庫)には、友愛数がでていたが、2つの数が特殊な関係にあるときそれを友愛数と呼んでいた。ある数の約数をすべてを加算したとき、他方の数と一致する場合で、双方でそれが成り立つ数を言う。
例えば220と284。220の約数を全部足せば1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110で284となり、284の約数を全部足せば1+2+4+71+142で220となる。
124155と100485なども。物語では主人公のナジャ(;王妃の養女)(運命数 124155)と王妃の長男リヒャルト(同 100485)の関係として現れる。
・フィボナッチ数列とリュッカ数列。1,1から始まる数列と2,1から始まる数列。前の2つを足していくだけであるが、フィボナッチ数列は1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,・・・。自然界の物の増え方と相似しているのに対してリュッカ数列は2,1,3,4,7,11,18,29・・となる。フィボナッチと性格は似ているがこちらの方が成長が早いが自然界にはない増え方をする。物語では「まがいもの」の草「リュッカ草」として登場。
・任意の数は、フィボナッチ数列の数の和で示される。ただし隣り合う数を使わずに。 1,1,2,3,5,8,13・・・を例にとると、6=5+1、53=34+13+5+1 などとフィボナッチ数列の数の和でしかも、隣り合わない数の和で表せる。物語ではフィボナッチ草から種を集めて運命数となるように必死に計算する姿が出現する。
・フェルマーの小定理がこの本の要である。nが素数であるかを判定する一つの手段で、nの約数として1以外は一致しない任意の数字aを与える時。mod(a^(n-1),n)が必ず「1」になるというのである。ここでmod(c,d)は数cを数dで割った余りを意味する。「^」はべき乗を表す。「a」を「n-1」乗してnで割ると余りは「1」。aを任意に変えてnを評価していく。どのaでも余りが「1」になればnは素数であるというフェルマーの小定理である。
ここでn=341と一見素数のような数字で試してみよう。2^340/341の余りは「1」であるが、3^340/341の余りは「56」となる。このように一見素数のように見え、底aが2の時は確かに余りが「1」であるような数を擬素数と呼んでいる。
341は実際には、11x31と分解されるため素数ではない。王妃の運命数464,052,305,161(4640億5230万5161)は彼女自身素数であると思い込んでおり最強の女王であるような振る舞いをするのであるが、このような大きな数も1,2,3,5,7と順番に素数で割っていくと、ついには4261、8521、12781という3つの素数に分解できる。ただ膨大な計算がいるため絶対の権力者として君臨していたのであるが、ついには滅ぼされてしまう。
・中に、小生のパズル学「インド数学」(HP→課外授業→インド数学)の掛け算の項目が出てきて面白い。4,899,999,991の割り切れる数を探す件(くだり)である。一目見て、これは4,900,000,000-9で表され、(70,000+3)(70,000-3)の掛け算、すなわち70,003 x 69,997という2つの数字に分解できることが分かる。物語ではそれぞれ、妖精の「メム」と「カフ」の運命数として登場する。
・面白かったのは素数発生器。「41」という素数を使う機械。「Xの2乗-X+41」・・ X=1で41、X=2で43、X=3で47・・X=40で1601。すべて素数である。物語では人工の妖精を多数作るときに使っている。
数字の攻防をファンタジー仕立てで物語にするという見たことがない手法の本であった。数字ばかりが散りばめられた難しい本かと思えばそうではない、むしろ文章のほうが多く、数字は、目立たない。しかしまだ頭がくらくらする。
徒然の記その5 犬の躾 2019.11.7(木)
■大学オケの先輩で当時はマドンナとして君臨していた女性が事業に成功し、自分史を出版した。その中で小生も遊んだことがある一匹のワンチャンの話が一章分を割いて書かれていた。そこでは目から鱗の驚くべき事が書かれていた。
4世代前に遡れるくらいの血統書付きの登録犬であったので、訓練士を生後2ヶ月から付けたという。訓練士が言うことには、犬と言うものは、昔は暗く狭い洞窟の中で暮らしていた生き物であるから、家の中でも犬小屋を与えるとそのなかで静かにしているものだと。散歩も毎日の習慣にしなくてもよく、餌も決まった時間にあげる必要はなにのだという。
規則正しく習慣づけると、それが叶わない時にワンワンとうるさく鳴くようになるのだという。あくまでも人間が中心であるべきだと。教える言葉は3語でよく、「座れ」「待て」「後(あと)へ」を完璧にマスターさせるのだと。
散歩のときは、人間と並んで歩行する犬の鼻先が人より前に出そうになたときに「後(あと)へ」と言うのだと。犬に引っ張られて散歩する図式はここではありえない。
うんちのために散歩 という図式もここではないようである。こんな賢い血統犬を飼ってみたいものである。
徒然の記その6 坂道探訪-備忘録 2019.11.8(金)
■坂道探訪(2019.10.19(土)のblog参照)での経路策定方法・・新宿区の例
参考書を元に、下記のような方法で一筆書きルートを決定して実行した。備忘録的に記す。新宿区以外の坂道もほぼ同様の手順。
1.2冊の本を参照・・山野 勝 さんの「大江戸坂道探訪 東京の坂にひそむ謎と不思議に迫る 」(朝日文庫2014)、「タモリのTOKYO坂道美学入門」(講談社2011)
「新宿区」を抜き出し子細に読み比べる。「大江戸・・」では5つのルート。「タモリ・・」は「霞坂」「梯子坂」など4地域の散策コース(一か所5kmほど)を紹介している。
2.個別ルート図の作成
ルート毎に、諸坂をGoogle Mapから探していき、Google Earthでなぞっていく。Google Earth上では、最初に「新宿区」などとフォルダーを追加しておき、ルートや目印をそのフォルダーに一纏めになるようにしておく。
坂道名を「目印」として記載していく。「計測」というツールを使ってstartからgoalまでを尺取虫のように点々で結んでいく。個別のルート図が複数できる。
この2冊に出ている地図は下が北であったり方向はまちまちで、「寺を出て最初の角を右、突き当りを左。坂道を下って・・」などと文章で表現されているので、読み解いていかなくてはならない。これが最大の難関。
3.一筆書きルートの策定
個別のルート図を俯瞰してみてrunning用に一筆書きになるような糸口を見つけていく。場合には逆向きに巡った方が能率が上がる場合も多い。
Google Earth上で一筆書きで再度トレースを行い、総km数を見る。20-30kmに収まっていれば一回のコースとしては採用。プロフィールを見て坂の上下の俯瞰図を出す。
4.クラウドにkmlフォルダー or GPXフォルダーを保存(上記は都会歩きの場合であるが、ここからは山行きのの場合と共通)。
DropBoxやOneDriveなどのクラウドにkmlフォルダー(拡張子は.kml)やGPXフォルダー(拡張子は.gpx)を保存する。
注:カシミール3Dのスマホ版「スーパー地形」用にはGPX変換ソフト(GPS Visualizer:https://www.gpsvisualizer.com/convert?output_home)を使って、gpx形式に変換して保存する。
5.Maps.MeやGeographicaにkmlフォルダーをインポートする。(DropBoxからkmlファイルをタップすると「次で開く」としてMaps.MeやGeographicaが表示される。)
或いは、スーパー地形にgpxフォルダーをインポートする。(DropBoxからgpxファイルをタップすると「次で開く」としてスーパー地形やGeographicaが表示される。)
6.実際に行動。Geographica、スーパー地形等で、トレースを開始する。実際の記録から平面距離+up総計x0.01+down総計x0.007として見做し距離を算出。経過時間で割ると1時間当たりの"平均のみなし"距離数が出るので参考にする。今は大体6-7km/時である。ガイドする場合は3-4km/時として行程表を作成。
途中参加の人たちにはこの行程表に従ってpoint、pointで集ってもらう。10分の誤差で合流できる筈である。
徒然の記その7 音楽教室の練習 2019.11.9(土)
■12/7(土)豊島区の小学校で、大学OBオケによる音楽教室が開かれる。曲目はハンパではない。ドボルザーク、チャイコフスキー、ブラームスにプッチーニの歌曲、唱歌ビリーヴ・・。ものすごい量である。10曲くらいをこなさなければならない。
A4版の楽譜では見ずらいと、今回はB4版に大きくしたものを作成した。短縮して演奏するため、何十小節かを飛ばすようにしているため蛍光ペンなどを使って分かり易くと。いろんな工夫をして新しく作り直した。
13:00集合 13:30音出しのスケジュールであるためその2時間前に家を出る必要があり、その分練習がなおざりになる。なかなか忙しい身をどう塩梅するか思案の最中である。Violaを持った時だけViolaを弾くのでは時間が足りない。日常生活の中でViolaを弾き続けるのだ。歩いているときでも姿勢を正しViola弾くイメージで進む。周囲の物音にも、聴音機能を働かせ音程を取っていく。c+(Cis)などを頭で音程をイメージし、楽譜の音符を頭に音としてイメージしていく。
手は、リズムを刻み、頭は音程を刻み、足はアンダンテで。すべてを音楽漬けにするのだ。電車ではもう座らないのだ。ダサくてやっておれない。心で音楽を鳴らすためには立っている方が楽である。ウキウキして飛んでいく。駆け足にもなる。貴方、どこへ行く?
あぁこれが”発達障害”と言われるゆえんか?
徒然の記その8 WBSS 2019.11.8(金)
■11/7夜のワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ(WBSS)バンタム級(53.5kg以下)決勝12回戦。すごい試合であった。世界5階級制覇のノニト・ドネア(36=フィリピン)とWBA&IBF世界バンタム王者の井上尚弥(26 大橋)。ラウンドの合間に、超高速映像で分析が始まる。ドネアのパンチが井上の顔面を捉えた瞬間の動画があった。あろうことか、井上の顔半分がひしゃげ、グローブが顔にめり込んでいるし、顔全体で10cmも移動しているのである。よく壊れなかったものだ。頭という物体がこんな弾力を持ったものであろうかと。60kg以上の大人が打ち合うのなら分かるが、バンタム級以下であれだけのパワーがどうして生まれるのか不思議である。
太りたいことだけを考えていたが、このままでpowerを付けたほうがよいのではないかと。目から鱗をこの試合から学んだ。ものすごい試合をありがとう。
(編集後記)
その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。
http://turbo717.ciao.jp