Stephen William Hawking,Government Demographics,The Habsburg Dynasty_ story (4427)2020.1.18
18th-19th Jan. is date of the last center entrance examination. The weather is not good, but I hope the students will do their best.
The list of government demographics(人口動態) is too large to know where to look. Data by prefecture is not needed now. I want birth year-date-data rather than age-specific-data. The site of "www.e-stat" is probably designed for professionals. In addition, the report states that corrections are underway because incorrect data has been mixed in this from prefectures. Where do I believe ?1/18-19は最後のセンター入試。天候がすぐれないが、受験生は頑張って欲しい。
政府の人口動態のリストは膨大すぎてどこを見てよいかさっぱりわからない。都道府県別などのデータは今は必要ではない。しかも年齢別のデータより生年別データが欲しいのに見当たらない。www.e-statのサイトはよほど専門家向けにつくられているのであろう。しかも都道府県から誤りのデータが紛れ込んでいるので修正作業中であるとも書いてある。どこを信ずればよいのだ。
■今週の1枚 相模原市緑区大島の図
大島には相模川の河岸断層が幾本かある。高台からの仏果山。冬に登るべき山である。
目次
徒然の記その1 竹内 薫著「ホーキング 虚時間の宇宙」
徒然の記その2 Googol:グーゴル
徒然の記その3 生年別人口動態
徒然の記その4 Viola lesson
徒然の記その5 九品仏から成城学園まで12km
徒然の記その6 第106回山谷ミニコンサート
徒然の記その7 ハプスブルグ展
徒然の記その8 円山応挙の雪松図
徒然の記その1 竹内 薫著「ホーキング 虚時間の宇宙」 2020.1.13(月)
車イスのニュートンと評されるホーキング(1942.1.8-2018.3.14 享年76歳)は、ニュートンとアインシュタインを足して2で割ったような大天才である。ノーベル賞をもらっていなかったのが不思議。 宇宙の起源や未来を予測したものの宇宙からの重力波の観測が遅れ立証に手間取っていたからだと思うのだ。2018に亡くなっている。残念なことをした。
■本「ホーキング 虚時間の宇宙」は宇宙の特異点をめぐってホーキング博士の「宇宙に始まりがあったのか?」や「宇宙に終わりが来るのか?」などを分かり易く解いた東大理学博士でサイエンスライター竹内氏の著作。先の三田(さんだ)一郎著の「科学者はかぜ神を信じるのか」(2019.7)に載っていた参考書の一つである。ブラックホールに関する数々の発言が載っている。
スティーヴン・ホーキング(Stephen William Hawking)はブラックホールの数々の動きを予測し「ホーキング放射」と呼ばれる理論を提唱。ブラックホールは非常に強い重力を持ち、あらゆる物を飲み込むと考えられているが、周囲に飲み込む物がない状態では、逆にエネルギーを放出して蒸発するという仮説だ。
初期宇宙の量子のゆらぎが、ある程度の大きさになったときに自らの重みに耐えかねて崩れてしまった可能性がある。だとすれば宇宙の極めて初期の段階で大量の「ミニ」ブラックホールが生成されたのかもしれないという。宇宙の始まりは137億年前である。小さなブラックホールは比較的軽いので温度が高く、発熱量も大きい。光り輝くブラックホールであり、今このときにも宇宙のどこかで最期の瞬間を迎えているのかもしれない。原初のミニブラックホールが夜空のどかで淡い閃光を発する瞬間が望遠鏡に記録されたならば間違いなくノーベル物理学賞を取れただろう。数々の常識を超える理論で宇宙の根本に迫るだけに検証が難しい。
ホーキング理論の多くはアイシュタイン(1879-1955 Albert Einstein 1921年・ノーベル物理学賞を受賞している。)を踏まえて発展展開し、宇宙の根源に迫った。宇宙の始まりは「点」であったのがビッグバンを起こしたのかという根源的な部分は、その「始まり」は神の創造によるものなのかという議論をも巻き起こしセンセーショナルなもので世界を沸かせたことは事実。いろんな預言を踏まえて億万長者ともなったホーキング博士の「虚時間の宇宙」は読みごたえがある。実時間で生きている我々にとって虚時間とはいったいどんなものであろうか。アイシュタインの重力理論の枠組みでは、実時間には「はじまり」があった。それがホーキングの証明した特異点なのである。二乗すればマイナスとなる世界はトリックの世界で、これを持ち込まない限り時間と空間の図面が書けないというのだ。波動関数には、虚数を持ち込むとあっさり解けることも多く、実時間の時空に虚時間の時空をズレとして持ち込むことで、宇宙の加速膨張が予測できるという。虚時間を持ち込むことで宇宙が観測可能となったという。本当は虚時間だったものがトンネルして実在してから実時間となったのではないかと。量子宇宙のインフレーションは先のblogでも述べた通りである。
『米国のアラン・グース(1947-)や佐藤勝彦(1945-)が同時に1981年に発表した論文では、宇宙の起源を次のように提唱している。宇宙が始まって10^-32sec(10のマイナス32乗sec;1secの1兆分の1の1兆分の1のさらに10億分の1)というとてつもないわずかな時間に、ごくごく小さな宇宙が10^43m(10mの1兆倍の1兆倍の1兆倍のさらに1千万倍)の大きさに膨張し、宇宙が火の玉となってビッグバンを起こしたとするのだ。経済のインフラのような現象で、量子宇宙論では、インフレーション理論とされる学説』
ホーキングの量子宇宙はこのインフレーションを予測したものである。宇宙は10^66年先まで膨張を続けるであろうと。宇宙の年齢137億年(≒1.4x10^10)の10^56倍。(宇宙の年齢の1兆倍の1兆倍の1兆倍の1兆倍の1億倍の年数)。
宇宙を論ずるとこうも天文学的な数字がいっぱい出てくる。
徒然の記その2 Googol:グーゴル 2020.1.14(火)
■上記では10^66という大きな数を示したが、10^100というとんでもない大きな数は数学的には「Googol:グーゴル」という単位を使う。冨島佑允(ゆうすけ)著作「日常にひそむうつくしい数学」(2019.7 朝日新聞社)にあった。
平易な文章で読みやすい。数の単位の一覧があったので列記しよう。
一、十、百、千、万、億(10^8)、兆(10^12)、京(けい 10^16) ここまではよく識っている。これから先がなかなか覚えられない。
垓(がい 10^20)、杼(じょ 10^24)、穣(じょう 10^28)、溝(こう 10^32)、澗(かん 10^36)、正(せい 10^40)、載(さい 10^44)、極(ごく 10^48)、恒河沙(こうがしゃ 10-^52)、阿僧祇(あそうぎ 10^56)、那由他(なゆた 10^60)、不可思議(ふかしぎ 10^64)、無量大数(むりょうたいすう 10^68)
本ではここまでであったが、netで調べると仏典に大きな数詞がいくつもあるという。
華厳経 命数の表現である。例えば、
阿婆羅 (あばら) = 10 の 1,792乗
僧羯邏摩 (そうがらま) = 10 の 917,504乗 だという。
不可説不可説転 (ふかせつ ふかせつてん) ≒ 10の37澗(かん)乗(1澗は 1,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000)なので正確には、 37,2183,8388,1977,6444,4130,6597,6878,4964,8128・・37澗 2183溝8388穣(じょう) 1977秭(じょ) 6444垓(がい )4130京(けい) 6597兆 6878億 4964万 8128)
仏典にはどうしてこんな大きな数が出てくるのだろうか不思議である。
さて、「Googol:グーゴル」に話をもどそう。これはアメリカ人数学者エドワード・カスナーの9歳の甥っ子ミルトン・シロッタが生み出した言葉であるという。10^100(10の100乗)というとても大きな数字に印象的な良い名前はないかと尋ねたところ返ってきた名前であったという。さらに大きな数を「グーゴルプレックス」とした。
巨大IT企業Googleの社名は、このGoogolの綴り間違いから来ているという。Googleの共同創業者であるラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンは、彼らの開発した検索エンジンを「BackRub」と呼んでいた。 時は1997年9月。ラリーの同僚たちは検索エンジンの新しい名前について議論をした。シーン・アンダーソンがものすごい数のデータを扱うということで「グーゴルプレックス(Googolplex)」という名前はどうかと問うと、ラリーは「それだと長いから『グーゴル(Googol)』が良い」と答えた。シーンはコンピューターでgoogolが登録可能を調べようとした。そのとき綴りを間違え「google.com」と打ち込んでしまい、それは登録可能だと出てきた。ラリーはこの名前が気に入り、ドメイン名を"google.com"として登録した。
9歳の子供のアイデアが数学者によって世界へ広められ、巨大IT企業の社名になるなんて、とても夢のある話である。これも一種のアメリカンドリームという感じがすると「日常にひそむうつくしい数学」の著者冨島佑允氏が述べている。
徒然の記その3 生年別人口動態 2020.1.14(火)
■スマホを操っているカミさんが叫んだ。「大発見した! 貴方の年齢(1944年生まれ)の人はすでに69万人もなくなっている! 」と。
さらに2018年の発表での年齢は、本当にその年の年齢なのかと?
どうも政府の人口動態調査(www.e-stat.go.jp)から同年代の人が何人くらいすでに亡くなっているかを知ったらしい。
最近カミさんのお師匠さんの旦那が亡くなったのだ。ところが葬式は11日後だという。火葬場が満杯でお葬式が出来ないのであると。なんということだ。PPK(ピンピンコロリ)でも成仏に待ち行列があるというのだ。「冬場に死ぬものではない。」と固くかたく誓い合ったのは言うまでもない。
さて年齢別に何人が生き残っているか? 団塊の世代が75歳になる2025年問題も近いことだしすこし計算してみた。
終戦前後(1944-1946の出生数)のデーターは推計だという。
生年別出生数と2018年10月1日時点の人口(年齢別のデータから生年を逆算。11月と12月分の2ケ月の誤差が生じている。単位は千人、四捨五入)
1940(S15)年 78歳 2116→ 1306 -810(生年人口からの引き算)
1941(S16)年 77歳 2277→ 1467 -810
1942(S17)年 76歳 2234→ 1534 -700
1943(S18)年 75歳 2254→ 1514 -740
1944(S19)年(人口=74433) 74歳 2274(推計)→ 1581 -693
1945(S20)年 73歳 1902(推計)→ 1312 -590
1946(S21)年 72歳 1576(推計)→ 1234 -342
1947(S22)年 71歳 2679→ 1993 -686
1948(S23)年 70歳 2682→ 2115 -567
1949(S24)年 69歳 2697→ 2148 -549
1950(S25)年 68歳 2338→ 1970 - 368・・・団塊の世代 2018年から7年後の2025年に75歳になる。
1951(S26)年 67歳 2138→ 1843 -295
1952(S27)年 66歳 2005→ 1749 -256
1953(S28)年 65歳 1868→ 1658 -210
下記単位も千人。
戦時下の1944年でも出生数は2274もあった。国民100人に対し3人が生まれている勘定である。何もないときによくこれだけ生まれたものだと感心してしまう。2018年時点で1581しかおらず、すでに693(69万3千人)も亡くなっている。
1946(S21)年の出生数は1576でボトムであり、現在では1234である。小生の年代より少ない。カミさんの世代である。もっと希少動物であるので、大事にしてあげないといけない。
出生数のピークは1949(S24)の2697(269万7千人)
徒然の記その4 Viola lesson 2020.1.14(火)
■約1ヶ月ぶりの国分寺Lesson。先生の家までは駅から15分ほど。途中、野川を渡る。面白いことに通るところがだいたい歩き塾で歩いた所を通るようになってきている。都内隈なく歩いたり走ったりしているおかげてあろうか。点と点ではなく、だんだん面として地図全体が埋めつくされていく。国分寺崖線もこの辺りから始まっているので、国分寺駅(75m)からまずは15mほど急な坂道を下るのだ。
ベルリオーズ(1803-1869)の幻想交響曲を練習。作曲年は1831年で28歳のときであるからすごいものだ。シェイクスピア劇の女優ヘンリエ・スミスソンに対する悲恋の経験があまりにも厳しく苦痛なものであったと。恋愛への苦しみ、その中に閃く恋人への憧憬、自然への逃避、神に対する祈りが曲となっている。幻想の世界で断頭台から落ちる首の転がりがVn→Va→Vc→Kbと順番にピッチカートで表されている。冒頭は魂の疲れ、漠然とした渇き、薄暗い憂鬱を表現している。Vaでいうと、 D,g,A(レ、ソ、ラ スラー)→16分休符・フェルマータ→As,G,F(ラ♭、ソ、ファ スラー)→Es Es(ミ♭、ミ♭ スラー),8分休符→C,C(ド、ドスラー)→8分休符→A,A(スラー)→8分休符、4分休符・フェルマータ、4分休符→ pizz c 8分休符 2分休符 4分休符 8分休符 arco(弓で) Es D(スラー), g,C,b(スラー)→as,g(スラー)→f,d(スラー)→es,Es(1-4の指 オクターブ)( スラー),Es,D・・となんの変哲もない易しい譜面であるが、pp(ピアニッシモ)で抑揚をつけず淡々と、オクターブの箇所はさっさと弾かず、歌うようにすこし貯めて、と弓を弾き、音を紡いでいくのは相当難しい。
随所に<(cresc.クレッシェンド)、>(デクレッシェンド)があり弓を押さえるようにして終わるのではなく、むしろ消えるように。ppの刻みの部分などViolaが背景になる部分なので、抑揚があってはならず淡い光景となるように弾く。2音ずつのスラーが音階のように続く箇所では、up時に圧をすこし掛けるようにさらに滑らず質感を出してViola的響きで弾く。
まぁ細かい指示が矢継ぎ早にでてくる。左手の指は立ち退き命令がでるまでは押さえ続けろと。小生のはバタバタと指を離すのが早過ぎるという。一定した弓speedも再度注意される。Violin的弾き方ではViolaの音は出ない。
最近、オケでViolinの人がViolaを買ったという人が居る。第一印象ではチェロのような音がしたというのだ。金属的なViolinの楽器に較べて、こちらはチェロ的な楽器なのである。楽器が喜ぶようにいい音を出して弾きたいものである。そのために少し弓のspeedを落としてみよう。限界まで落としたときでも良い音を求めていきたい。
徒然の記その5 九品仏(くほんぶつ)から成城学園まで12km walk 2020.1.15(水)
■ 本年最初の歩き塾。師走の日に下見したのとはまた別の近道を縫って、邸宅街を歩いた。朝方から天気が回復するという予報は見事に外れ、終日小雨が降る生憎の天気。昼過ぎ薄日が差した。概ね傘は必要ではなかった。
なかなかの世田谷区! 砧公園に隣接する大蔵運動公園に、400mトラックを持つ本格的な総合運動場が新調された。この資金力は、田園調布を始め、浄真寺の檀家衆、田園調布、尾山台、野毛、上野毛、瀬田、岡本といった超高級地宅地からの税収によるところが大なのであろう。もう卒倒するほどの邸宅ばかりである。
われわれ庶民はとても住めそうもない高級住宅街であった。国分寺崖線に沿っているので見晴らしが良い。いつも富士山を眺めていられるほど贅沢なリビングを持った家ばかりである。その中にあって、傑作なのが、5-6世紀の古墳が、丸い塚のような高台となってポツンポツンと残っていることだ。八幡塚、狐塚、御岳山、野毛大塚、上野毛稲荷と5つの古墳が仲良く2kmの範囲内に鎮座しており、それを住宅が取り巻く。よくぞ保存できたものだと感心。さらに私費を投じて古美術品を蒐集した美術館がいくつも。五島美術館(東急の創設者業家五島慶太の美術コレクション)、大東急記念文庫に、静嘉堂文庫美術館(三菱財閥2代総帥-岩崎弥之助・第4代総帥-岩崎小弥太 のコレクション)。崖線を何回か上り下りしながら後半は、小金井市の学芸大学近辺を源泉とした仙川の遊歩道を歩いて成城学園前まで歩行。
一番の驚きは、「この近くを通る」とLineで連絡を入れておいたご婦人が、コースの途中で手を振って迎え入れてくれたことである。豪邸の中に入れるとは夢のような感覚。認知症予防に効くというTrigonage Coffee(トリゴネージ コーヒー)を淹れてくれたりして談笑。30畳ほどもある応接間はイタリア彫刻界の巨匠ペリクレ・ファッツィーニ(1913-1987)の素描が飾られていたり知の殿堂であった。参加者の中に近くにある多摩美術大の出身者がいて話が弾む。
コース詳細-坂角度:
九品仏駅→浄真寺九品仏(9:30)→ぽかぽか広場→寮の坂→宇佐神社→伝乗寺→狐塚古墳緑地→地頭坂12.7°→階段16.2°→御岳山古墳→等々力不動尊→等々力渓谷→日本庭園等々力→玉川野毛町公園・野毛大塚古墳→野毛2丁目公園→上野毛稲荷塚古墳→馬頭観音→上野毛通り7.7°→五島美術館→富士見橋→多摩美大上野毛キャンパス→セント・メリーズ・スマイル通り(St. Mary's International School)→行善寺坂10.4°(旧大山道)→浄土宗行善寺→瀬田夕日坂8.8° →小田急跨線橋→玉川大師→慈眼寺坂→瀬田玉川神社→旧小坂家住宅(昼食12:40-13:00)→(静嘉堂文庫美術館)→岡本公園民家園→八幡神社・男坂(33°)→岡本邸宅街→松本記念音楽迎賓館→富士見百景→世田谷総合運動場→仙川沿い→成城学園前14:10 12km弱
■仙川の由来など・・従来の仙川の水源であった勝渕神社(現 仙川中域の三鷹市新川3-20)の丸池には釜の形をした湧出口が沢山あった。「武蔵国名勝図絵」によると源泉のことを釜といい、その数が多いことから千釜(せんかま)と呼ばれ、それが訛って、仙川と言われるようになったと。また、一部には、岡本あたりに仙人が住んでいたというので仙川という別説もある。丸子川、等々力渓谷を形成する谷沢川、静嘉堂緑地の北側を流れる矢戸川の3河川へは、礫間 接触 酸化法(れきかん せっしょく さんかほう)という川底に石を敷き詰めて浄化した水を配っているのだ。
その仙川も世田谷区鎌田で野川と合流し、多摩川に注ぐ。およそ野川合流ポイントまでの25kmが仙川の流域である。
■帰りに新宿へ。珊瑚の会の運営員会に参加(15:00-17:00)。
徒然の記その6 第106回山谷ミニコンサート 2020.1.17(金)
■2019.11.15(金)から約2ヶ月ぶりの山谷ミニコンサート
台東区日本堤にある「神の愛の宣教者教会」の集会場で20人くらいのおじさんやおばさんを集めて開催された。
チェロsoloとViola solo(中島美嘉作曲「雪の華」)演奏に続いて合唱タイム。(数字は詩の掲載や映画の公開年。)
「雪、たき火、ごらんよ空の鳥、君恋し1923、寒い朝1962、津軽海峡・冬景色1977、北酒場1982、雪国1986、酒よ1988、365歩のマーチ」 毎回歌の説明が入り楽しい。聴衆からも野次が飛ぶ。
太字がViolaで伴奏した曲。
今日はVn,Va,Vcの"3楽器"のみで「ごらんよ空の鳥」をカルテット伴奏したり、各曲のメロディーラインを弾いて合唱のお手伝い。大きな声で歌うとこちらも気持ちがよい。Violaなど弾きながら、口が暇なので歌うこともできるのだ。皆の声が小さいときは弾きながら歌を発する。Vcの人が驚いていた。
このViolaは良い音が出る。もっとViolaを弾く時間を家でも持ってあげなければ!
■東京の高台はどこ? 昼食時にあるご婦人から質問があった。
答えとしては、自然の山では、港区にある愛宕山で25.7m、人口の山では、新宿区の箱根山44.6m。
しかしながら地面で高いところはというと幾らでもある。山手線の内側では、六本木ヒルズ、サントリーホール裏側の丘など35mほど。
山手線の外側は・・田園都市 42.5m、世田谷区桜新町 54m、新宿副都心、バスタ新宿42m、練馬区石神井公園50m、世田谷区の国分寺崖線沿い・・ 35mなどなど。
徒然の記その7 日本・オーストリア友好150周年記念「ハプスブルグ展」 2020.1.17(金)
■カミさんの名代としてハプスブルク家600年の栄光のコレクション「ハプスブルグ展」に馳せ参じた。上野の西洋美術館で10/19~1/26まで開催されている。本人が行くつもりでチケットをgetしたのであるが、億劫になり代わってフットワークの軽い小生が「山谷ミニコンサート」の帰りに立ち寄ることにしたのだ。クリアファイルを土産に買うことだけを命じられて。
ただ無知のまま行くわけにはいかない。カミさんが昔読んでいたアーダム・ヴァントルツカ著 江村洋訳の「ハプスブルグ家 ヨーロッパ一王朝の歴史」(1984 谷沢書房)という本を借り受け俄か勉強である。彼女英、ポーランドなど特権階級の歴史ものが好きなようでどうも億万長者か貴族の邸宅を常に夢にみているのだ。
これによればスイス東南部にあるバーゼルという地域に今も残るハプスブルグ城が発祥の地である。輩出した君主は数しれず。
中心的な7名の君主が挙がっていた。 凡例・・(数字)は没年。
ルドルフ1世(Rudolf1 在位1273、1291)、マクシミリアン1世(Maximilian1神聖ローマ帝国 1519)、カール5世(1558 スペイン)、フィリップ2世(Philipp2 1598 スペイン)、マリー・テレジア(Maria Theresia オーストリア 1780)、ヨーゼフ2(Joseph2 1790 ハプスブルグ・ロートリンゲン家)、フランツ・ヨーゼフ1(Franz Joseph1 1916)、カール1世(Karl1 1922)だろう。この600年の歴史がこの本に書かれている。ヨーロッパ全土に影響を及ぼした。
悲劇としてはフランス(3世紀にわたりオーストリア・フランス間の伝統的な敵対関係、ハプスブルグ家とブルボン家の対抗意識があった。)のルイ16世と結婚したマリー・アントアネット(Maria Antoinette マリー・テレジアの娘 フランス革命でギロチンに消えた 1794)がある。
芸術理解や国民との接触で限りなく魅力を秘めている人物として6名が挙がっていた。ルドルフ4世(Rudolf4 1365)、マルガレーテ大公妃(Margarete マクシミリアン1世の娘 、フィリップ4世(1665)の母親 1611)、マクシミリアン2世(Maximilian2 1576)、レオポルト2世(Leopold2 1792)、ヨーハン大公(Johann 1859)、アルプレヒト大公(Albrecht 1895)。
第一次世界大戦勃発の契機となったのが、サラエヴォへの視察に訪れていたオーストリア=ハンガリー二重帝国の皇太子フランツ・フェルディナント大公夫婦(Franz Ferdinand 1914)が暗殺に遭ったことであったのだ。
名君もあったが堕落の君主もあり、壮絶な600年のヨーロッパ全域の歴史が絡む。
これらと、1月13日の朝日新聞の天声人語にあった、フィリップ4世(在位1631-、1665)の表現。
物憂げな瞳、青白い肌、しゃくれたあご。17世紀スペイン国王の顔貌は、全体にしまりを欠く。放逸ぶりは醜聞となり、大航海時代にあって祖父フィリペ2世が築いた植民地の版図を縮小させてしまった。財政は傾き、人口も減少したとある。
今の日本が、借金まみれと、人口減少に歯止めがかからないことを思う時、このフィリペ4世のスペイン衰退期と似ていると言及している。私たちはどんな為政者を必要としているのだろう。と結んでいる。
さて、そいう知識を詰め込んで西洋美術館をくぐった。表にはチケットを求める人たちの長蛇の列があった。
館内は人であふれていた。お目当てのコレクションなどを隈なく見て帰ってきた。圧倒される装飾品や甲冑。肖像画(ヨーゼフ2世像など)、晩餐会の絵が2点など。ウィーンの街を現在の形にした(ウィーン シュテファン大聖堂)君主フランツ・ヨーゼフ1世像も誇らしげに展示してあった。
徒然の記その8 円山応挙の雪松図(ゆきまつず) 2020.1.17(金)
■三井記念美術館 「国宝 雪松図と明治天皇の献茶」展に寄ってきた。(銀座線 上野→三越前 A7出口から1分で便利)
三井家は伊勢国・松坂の豪商であったが、「江戸持ち京商人」として京文化の担い手であった。明治になって京都から東京に遷都したとき京都の衰退を憂慮したという。そこで明治20年2月1日に京都博覧会を開催したという。円山応挙の雪松図は江戸時代に三井が描かせた絵で献茶の背景としての役割であったという。明治天皇の献茶という晴れがましい舞台に用いられたという。
雄雌の松が1本ずつ絵が描かれた6曲一双(雙そう)の屏風2隻。1隻の大きさは縦156.1cm 横362.1cm
京都新古美術会品目には、この屏風の右隻、第3,4扇が描かれている。(屏風は隻(せき)でか数え。屏風の折りたたんだ1枚1枚は扇(せん)。左右対になった2隻の一組の屏風は一双(雙)。)
茶器としては赤地金襴鳳凰文天目(あかじ きんらん ほうおう もんてんもく)が展示されていた。
日本画における白とは"無"色を意味し、背景に金か黄土色を使い描くべき白は描かないという究極の”白”である。今回は雪の部分がそれで実にうまく感じがでている。松の針葉樹の葉が線で複雑に描かれておりそれに雪がぼってりと載っている感じが非常に立体的に見えるのだ。何時間見ていても飽きなかった。
・・・これを真似てすこし竹ペンで描いてみたい。
■新渋谷駅・・銀座線が新しいホームになって広々。井の頭線への乗り換えには300mを要する。遠~い!
銀座線渋谷駅の旧ホーム。井の頭線へは、フェンスの先の先まで進み、2階までおりて迷路を進む。300m。遠くなった。
(編集後記)
その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。
http://turbo717.ciao.jp