Counterfeit Maruyama Okyo ,first Kitokiyama,Retaining the legacy of digital data_ story (4428)2020.1.25I drew a snow scene imitating the Pine Trees in Snow by Maruyama Okyo. I drew tree and snow without using outlines.There was almost no diary this week. Is that ok?
水墨画を真似て雪景色を描いてみた。輪郭線を描かず、背景色の黄土色のみによる境界線で形を形成したい。今週はこれにかかりきりになったため日記文は少ない。
■今週の1枚 turbo717雪松図習作
国宝の円山応挙の「雪松図」を倣って、竹ペンでturbo717流「雪松図」を習作してみた。
「雪松図」は、雄雌の松が1本ずつ描かれた6曲一双(雙)の屏風。雪の白は、そこに色を載せない無地を利用。
実際の制作現場を実際に見たいところである。実際の「雪松図」では、雪の白さを出すために選んだのは、背景の黄金色(今で言うパーマネント・イエロー・オレンジParmanent Yellow Orangeとディープ・イエローDeep Yellowを使用)である。先ず背景を描き、それも色調を出すために濃淡を付ける。薄い雲が流れるような感じで。その後墨汁の濃淡で松の葉っぱを丹念にひと房ひと房を、各々100葉くらいをそれも濃淡を付けて描いていったのであろうか。松の葉っぱのひと房にも影の部分をつくり全体としてぼってりと雪が積もっているイメージである。描かれた松の葉は2000枚を超える。一枚一枚丁寧にスケッチした様子。
三井記念美術館に1月30日まで展示されている屏風であるが、館内は撮影はおろかスマホの持ち込みも禁止で電子メモも取れず、さらに模写禁止という極めて厳しい取り締まり下にあり頭に映像を記憶する以外には手はない。
拙宅にある五葉松は円錐のクリスマスツリー型で風情に乏しい。枝ぶりのよい松に雪が積もらないことには始まらないのである。
よって、応挙の雪松図(当日のパンフレット)を参考に、すこし描いてみた。葉っぱは無数ではない。丹念に描けども有限の時間で描き終わる。”何も描かないところ”を絵にするという手法を初めて試作した。たいへん勉強になった。
目次
徒然の記その1 金時山23km run
徒然の記その2 最近のTVドラマ
徒然の記その3 ホホホ、ホッホホ、ホホッホ
徒然の記その4 デジタルデータ
徒然の記その5 netデータの保存
徒然の記その1 金時山(きんときやま)23km-run 2020.1.22(水)
■筑波山と同様、これだけ有名な山をいままで登っていないのが不思議。今回雪の中を登ってきた。東京の大学であればサークル活動の一環として取り上げられることも多い金時山。アクセスは大雄山鉄道の終点の大雄山駅からが便利。この駅からは大雄山最乗寺(道了尊)まで4kmの行程である。間近に迫る大きく丸い山は明神が岳(1169m)まで連なっている。一方、小田急の新松田駅からは関本にある大雄山駅を経由するか、直行便で12kmのところに地蔵堂があり、東側からの登山口となっている。今は台風19号の影響で山道はことごとく閉鎖されており、唯一足柄峠からの尾根道以外は通れない。もっとも倒木と崩落の程度によるが、概ね谷筋は荒れているはずで突破するのは至難の業であろう。
このような前知識だけで、初めての金時山登山を試みた。バス便は9時すこし前の便しかない。そこでいっそのこと新松田駅からrunningを試みた。西にまっすぐ進む道はかっての街道筋のような町の佇まいであった。酒匂川(さかわ)を渡す十文字橋を通って街道筋を行く。関本から直角に折れ、地蔵堂に向かう。標高差400mの上り道である。途中矢倉沢入口があり、川に降りることができる。反対側の矢倉岳(870m)は金時山と似ていて、ポッコリと盛り上がるお結び型の山である。独標のように覆い被さってくる。本当はこの山に登ってから金時山に行きたかったのであるが、初めての行程であるので、今回は大人しく金時山一本に絞ろうと。
さて、地蔵堂までは約2時間。バスの第1便よりは早く着く。ここから1kmほどいくと夕日の滝がある。手前で分岐路となるが、ここに通行止めの看板があり「倒木と崩落のために金時山には行けない」と書いてあった。崩落地帯でも上にう回すれば行けないこともないのであるが、谷筋が雪で覆われているためもあり、1人でラッセルは危険であろうと、ここは退散すべきであろうと判断し、足柄峠へ上り詰める車道を通ることにした。
車道に沿って「足柄古道」がところどころに残る。巡礼道のような感じでお薦め。峠からは、前日の21日であれば大快晴で富士山もよく見えたであろう。御殿場の市街地以外は雲の中。東富士演習場からの爆音が時々聞こえる。大砲がを打った時の地鳴りである。この近所だけではない。50km離れた相模原市にも時々低い地鳴りの音と震度0.5くらいの揺れがあるのだ。LINEでカミさんに連絡をとる。あまり聞こえないという。家で聞こえるときは、もっと大きい砲弾の時なのであろう。
外輪山を形成する山尾根の道は、神奈川県と静岡県の県境にある。稜線は700-800mの標高で平であった。ここに掲示板がありこの道は「富士箱根トレイルコース」であると。
なんとざっと合計すると43kmはある。最高pointは西の端の須走口五合目で、1975m。南の端が金時山の1212mとものすごいトレイルである。JR御殿場線の駿河小山駅を途中で通っているのでここを起点とすれば往復80kmのトレイルである。胸が高鳴るではないか。いつかトライしてみよう。
稜線が標高800mを超すあたりから雪道となった。カンジキを持ってきていたので助かる。真っさらなカンジキである。2008年夏に北アルプスの西穂高岳へ登るときに白出沢(しらだしさわ)雪渓で初めて使ったものであろう(この時のblog)。汚れが無いということは完全な「雪渓」で石ころなどの損傷がなかったためであろう。
金時山北側の雪道。
猪鼻砦跡からは一気に登る。高低差はおよそ500m。雪が積もった階段と無数のステンレスの梯子が立ちはだかる。頂上に12:10到着。ちょうど昼時でみんな茶店で暖を取っていた。こちらも何か汁物はないかと入りかけた途端「アイゼンはだめだ!」と叱られすごすご小屋の外へ。北側からの登山者用にマットなどを敷いて迎え入れるべきではなかったかと。客一人を逃がしたことになり機会損失である。朝から用意しておいた厚焼きのハムサンドなどを頬張り、景色を眺める。箱根の山々を眺望。台ヶ岳1044.4m、小塚山859mの向こうに噴煙が上がる大涌谷と主峰の冠ヶ岳(1409m)、神山(1437.7m)、駒ケ岳(1356m)が聳え、湖尻からの芦ノ湖が光を反射する。ちょうど雲間から太陽が顔だし暖かく頬を撫でる。見上げると青い空が広がりだした。
若者の男女3人は、コッヘルで沸かした湯でラーメンなどを啜っていた。よほど仲がよいのでろう、先ほどから笑い転げている。小屋の主が難しい顔をして傍を通り納戸を開けに来ても笑い声は絶えない。
鉞(まさかり)型のユニークな道標。
彼らに「お先に」と挨拶して、南側に下山を開始13:00。小屋のスタッフであろうか。すこし下側でツルハシで固くなった雪を砕いて均したりしていた。「ご苦労様」と挨拶。子供を籠に背負ってくるお父さんが登ってきた。子供に声を掛けると「2歳」だという。無線で連絡を取りながら登ってくる少年「やばい。上の方は雪だ。」と叫んでいる。・・いろんな組み合わせで金時山南部は賑やか。これは麓が仙石原に芦ノ湖といいった一大観光地となっているのせいであろうか。雰囲気が他の山とすこし違って映る。さらに下の方は、雪が全部溶け泥濘(ぬかるみ)となっている。もはやアイゼンは必要ではない。
950mから下部は一面の笹原となり美しい。鬱蒼としたササが生い茂る。これこそ明神ヶ岳(1169m)への雪道がきれいに一本道となって見える証である。晴れた日はさぞかしい気持ちの良い登山ができるであろう。途中仙石原へ降りる分岐点が矢倉沢分岐で、小屋が一軒残る。
富士吉田市から乙女峠を抜け小田原まで下る国道138号線は箱根裏街道と呼ばれているが、箱根登山鉄道の宮ノ下駅近辺で、国道1号線と合流する。芦ノ湖から流れる早川が峻険に流れ下る部分など変化に富んだ景観を形成する。仙石原の中心街が「仙石」という交差点である。「太郎平」や「仙石」というバス停があり不案内なものにとってはわかりずらい。この仙石原には「ガラスの森美術館」がある。一方「彫刻の森美術館」は早川右岸の二ノ平という台地にあり。箱根登山鉄道の強羅駅の手前の同名の駅から近い。
この「仙石」バス停からcamino(スペイン巡礼)友達のF氏の別荘に立ち寄る。玄関にcaminoのモホン(道標)が飾ってあった。視界240°のものすごいガラス張りの居間である。金時山から見た台ヶ岳1044.4m、小塚山859mと駒ケ岳の方向に連山が目の前に見え、パノラマのように美しい。ここから四季折々の光景をスケッチしたいものである。すすきが萌える春、ススキが揺れる秋など。道は混むため毎回大雄山方向から攻めるかな?
■行程・・新松田→12km→薬師堂→2km→夕日の滝往復→3km→足柄峠→4km→金時山→2km→仙石原 計22.6km。up・・1452m down・・802m みなし距離=22.6+1452x0.01+802x0.007=42.7km 所要7:40(14:10-6:30) 雪道3km av.5.5km/h
一般は薬師堂から足柄峠経由で金時山→仙石 8.9km みなし距離=8.9+up1171x0.01+down558x0.007=24.5km 4.3km/hとして約5H45分のコースと読む。10:00発で麓到着は16:00を目指したい。
■三太郎・・auで宣伝している三太郎とは・・金太郎、桃太郎に浦島太郎。他にかぐや姫、乙姫、鬼ちゃん、織姫、親指姫と年々賑やかになっていき面白い。
■金太郎・・実在の坂田金時の幼名である。菱形の腹掛け一つで熊や猪の待つ足柄山(=金時山)へ勇んで登ったという。相当の力持ちであったのだろう。言い伝えでは、あるとき大石を落としてしまい大猪が死んだという。この鼻をねんごろに弔ったという。金時山は別名を猪鼻山とも言う。長じて、源頼光に仕えたという。静岡県駿東郡小山町の金時神社の伝説によれば、生涯は956-1012年で、享年56歳。源頼光に仕えた京都四天王の一人であったという。神奈川県南足柄市にも同様の伝説があり、夕日の滝で、金太郎が産湯をつかったと伝えられる。
■富士箱根トレイル(全長 43km)
西から 須走口五合目→旧道→馬返し→須走温泉→大洞山→ツナ峠→三国山(1323m 山梨・神奈川・静岡の境界)→湯船山(1041m)→不老山(928m)→JR駿河小山駅→(遊女の滝→現在通行不能)→足柄万葉公園→足柄峠→金時山(1212m)
5月下旬から6月初旬にかけて立山、不老山などではサンショウバラの開花が望める。
■小倉美咲ちゃんのこと
コース上では2か所に貼り紙があった。2019.9.21に山梨県道志村 椿荘オートキャンプ場(椿4058)から忽然と姿を消した小学1年生の小倉美咲(みさき)ちゃんのことが書かれていた。身長125cm位、体重25kg位で口元右側にホクロがあるなどの特長が記してあった。あれから4ヶ月以上たつ。
キャンプ場から直線距離にして26kmほどの金時山にも貼り紙があったということは椿を中心として一円の山岳コースにも貼り紙がしてあるのだろう。大変な苦労である。あれから何回も豪雨が襲っている。本当に1日も早く見つかってくれることを祈るばかりである。
徒然の記その2 最近のTVドラマ 2020.1.23(木)
■2020年第一四半期(1月~3月)のTV番組が出そろった感じ。
・異色をつくのが「パンダドラマ」(日本TV 日曜ドラマ22:30-23:30「シロでもクロでもない世界で、パンダは笑う。」)で、川田レン(清野菜名(せいの なな パンダ役))と森島直樹(横浜流星(飼育員役))の最凶バディが社会の悪を暴く!
「やすらぎの郷」や「同・時」で、何回も役どころを変え出演している清野菜名はバク転を4回連続で行える芸能界随一の運動神経の持ち主である。横浜流星は極真空手では中学生の時世界大会で優勝しているほどの実力者で、目力がすごい。相手を読む目をもっている。この2人がタグを組むのであるから期待したい。悪や不正をやっつけるリストを持って毎回登場するのがMr.ノーコンプライアンス(佐藤二郎)で、とぼけた顔が面白い。
・「病院の治し方」(東京TV 月21:00-22:00)は平昌(ピョンチャン)五輪スピードスケート小平奈緒が所属する松本の病院・相澤病院の経営再建の実話をもとにしたドラマで見ごたえがある。経営難の病院の医療従事者やそれに通う患者はこれを見た方がよいのではないかと思うぐらいだ。東京の医大に勤めていた有原修平(小泉幸太郎)が医院長だった父の死を機に経営難に陥っている実家の総合病院を立て直すという経済ドラマであるからだ。病院の中身が見えてくる。銀行の融資部次長 倉嶋亮介(高嶋正伸)がおそらく次第に副医院長になびいていくのではないかと期待を膨らませる。
・大河ドラマ「麒麟がくる」がやっと19日(日)に始まった。天下人の座が信長・豊臣・家康と転がっていった三英傑の時代ではなく、その揺籃期にスポットを当てたいわゆる「ビギニング」の物語として楽しめばよいのだという。光秀(長谷川博己 ひろき 1977-)と信長(染谷将太 しょうた 1992-)の関係を背景に物語は進む。これに2人を繋ぐ存在の斎藤道三の娘 帰蝶(濃姫)(沢尻エリカに代わって川口春奈)が登場する。男勝りの行動派。美濃(岐阜県)が舞台ということもあり2000-2010と10年間岐阜に住んだ小生からは応援のエールを送りたい。五輪期間中は中段されるので全44話という。衣装デザイナーは黒沢明監督(1910-1998)の長女黒澤和子(1954-)が手がけた。4KTVを意識しカラフルとなっている。
・「ケイジとケンジ 所轄と地検の24時」(TV朝日系木9:00-10:00)は検事(桐谷健太 181cm 1980-)刑事(東山昌大 まさひろ189m 1988-、ただ1/23に公になった唐田えりか(22)との不倫疑惑にCM降板が相次ぐが。)主役の2人の身長合計が370cmというから大柄俳優が闊歩するドラマである。随所に笑いを挟む。アドリブかしらと思うほど。仲井戸みなみ(比嘉愛未)も身長が高くこの3人がからむシーンはなかなか迫力がある。
徒然の記その3 ホホホ、ホッホホ、ホホッホ 2020.1.24(金)
■カミさん達、主婦族の燥(はしゃ)ぎ、笑う声が、聞えてくる。
旦那を亡くした人は、さぞ落ち込んでいると思いきや。さにあらず。よいとこ3日である。さめざめと泣いていた主婦族が、「まてよ。粗大ごみが居なくなってせいせい。これからは私の時間よ! 謳歌するワ。ホホホ、ホッホホ、ホホッホ」と天に向かって手を挙げ、身軽になって街を駆けだすのだ。
宇宙のかなたに飛び去ったダンナはさぞかし悔しく、臍(ほぞ)を噛むであろうが、時すでに遅し。
例えば、医者のダンナが働いてくれている時はそれなりに評価はしていた。しかしパソコンができないこともあり勤務医から煙たがられる年となり、71歳でリタイヤしてからは、何もすることがなくなり粗大ごみと化し全くの役立たずとなってしまった。同じく、バリバリと会社で働いていてくれていた時は、上げ膳据え膳と気を使ったものであるが、定年後はゴロゴロと。毎日追い立てられる様に叩き出されゲームセンター通い。
男性の末路はこうも惨めなものであるのか。燃え尽き症候群で、町でたむろするシニアが多くなってくるのではないだろうかと、NHK総合の「所さん大変ですよ。燃え付きシニアが急増」で嘆いていた。
逆に、女性は子育て経験者ということで社会のニーズが高く、幼児教育だってお手の物である。また独自にコミュニティーを持ち、ママ友やサークル活動など地域や社会で活躍している。意識は常に外にあるのである。俄然重要度が違うのである。
男性も、社会的重要度を高めるためには、定年から何かを始めるのでは遅いのである。わが旧サラ文(サラリーマン文化芸術振興会)のように、20代から趣味を持とうと発表の場を設け切磋琢磨してきた。何をしていれば輝いておられるのか。それを継続させることができれば最高。なにか稽古事を始めるのも手っ取り早いのかもしれない。100歳まで出来る何かを。
旅行もいいが、足腰が立たなくなったときは階段の上り下りが酷(つら)い。習字などどうであろうか。写経もよいのかもしれない。好きな作家の本を読み漁るのもよいかもしれない。
ただ寡黙な作業なので、言語能力が衰えるかもしれない。朗読劇など皆と一緒に声を張り上げて行う芸はどうであろうか。
■ホホホとお互いに笑いあえるための健康の秘策・・粗食が一番。カミさんをみよ。食べなれない贅沢なものを食べるとすぐお腹を壊す体質となってしまっている。普段から安くて美味しいものを食べ続ければよいのである。ただ贅沢しなくてはならない食材もある。「塩」である。海水をイオン交換樹脂膜で生成した塩が多い中、従来の天日塩(てんぴえん)の製法で作った粗塩(あらじお)が少々高いが健康に良いのではないかと家で使っているのだ。この塩には海水中に溶存する「にがり成分」が含まれる。生命維持に関与するさまざまな「にがり成分」がバランスよく含まれているのだ。塩化マグネシュウムを摂ることにより、健康の維持・増進が図れる。また同時に料理における旨味の調整、発酵熟成、抗菌作用などがある。
具体的には、赤穂(あこう)の天日塩(てんぴえん)である。S46国内から塩田がなくなったため、現在では「赤穂の天塩(あましお)」は、オーストラリア産の塩を使い、最終工程を赤穂で作っている。
海水をまるごと塩田で天日濃縮する昔ながらの塩づくりである製塩法を継承している。まずは、オーストラリアの塩田で、2年の歳月をかけて太陽熱と風力で海水を濃縮し、天日塩(てんぴえん)と"にがり"をつくる。その後、塩の街、播州赤穂にて天日塩のソフトな結晶を残しながら、他の成分を溶かして再結晶し、粒度を調整する。そしてあえて"にがり"を差す「差塩(さしじお)製法」で仕上げている。
この塩を使うのは、ホームベーカリーで食パンを焼くときに5gを使用する程度である。1kgのパックなら200回使用できる勘定で、1年4ヶ月もの長い期間お世話になる。
■キャベツ・・葉っぱ1枚およそ30gを毎日齧るだけでよい。別にモンシロチョウになるわけではない。幼児だって小気味よくかじれるのだ。こんな楽な朝食ってないのだ。
一回も病気したしたことがないカミさんが言う。万人よ。食べなさいと。特に娘たちへ!
徒然の記その4 デジタルデータ 2020.1.25(土)
■別宅と本宅の2軒を維持し続けるのは無駄が多い。本宅一本に絞るべきではないかと以前から考えていた。ついにその思いを実行に移す時期がやってきた。双方の年齢による所が大きい。
断捨離を行うにあたり今何がどれだけあるのかを棚卸しようと考え、Excel bookを作った。家を天地ひっくり返したとき、落ちてくるものがリストupの対象となる。エアコンは落ちてこないがこれは例外として含める。
雑多な物と、箪笥やベッドなど。結婚してから10回くらいしか弾いていないお琴なども。世界の名画全集や美術文庫、植物雑誌など多数。すべて捨てて身軽になろう。
捨てる前に、アルバム類や親父の山日記などはscannerでデジタル化をしたい。スマホで写真を撮っていくのが簡便な方法であるが、高速に行わないと日が暮れる。悩ましい作業である。
CamScannerというスマホアプリも良いのであるが、パソコンからスマホを覗いてみてどこにファイルが入ってくるのかがいまだに分からない状態が続いている。クラウドかもしれないが。
知人はCDや本類をすべてディジタル化しているという。買った本でもすぐ分解して個別のページにし自動高速キャナーでHDDに取り込むという徹底ぶりである。
このHDDも内蔵型、外付け型に限らず、今後はSSD(Solid State Drive 回転体のないメモリ)へ移行するようである。CPUとの速度的なバランスで、どうしても駆動媒体は遅くジレンマを繰り返してきた業界が、ここにきて一気にSSDスタイルへ、しかも容量も何T(テラ)という形で移行していくという。回転体が無くなれば、パソコンだってスマホ同様起動時間が数秒と速くなるという。
6LDKくらいのところにある10万点くらいの品物を容積半分の部屋にいかにして詰め込むか。立ち回れる隙間とグランドピアノの置き場所を確保するためには、99%を捨てなけれなならい。新生活も断捨離の中でひっそりと過ごさねばならない。贅肉のないすっきりした生活を行う方法を今から模索する。
徒然の記その5 netデータの保存 2020.1.25(土)
■さて、この絵日記blogや下記にあるホームページ。故人となっても残す手立てはあろうか。(どうせ誰もみないのであろうが。)
月100円ほどの有料のサーバーを使っていて銀行から毎月自動振り込みされているような場合は、死亡事由によって銀行口座が閉鎖されると、自動的にサーバー代が払われなくなりアカウントは閉鎖される。 絵日記やホームページがいずれはアクセス出来なくなる。家族がアカントを引き継いだりすればokであろうが、それも未来永劫ではない。せめて数年間は引き継いで見られるようにはしたい。netにつないで公開する必要がなければ、HPにある全データをSDなどに蓄えておき、家族が引き継いでいけば、off lineとしてはデータが残せ、この世からの消滅にはならない。
小生の絵日記blogで言うと5000枚以上の画像データと17年分以上のテキスト文をどこかに保存すればよい。しかしその工数がない。これを受け負う「何らかのサービス事業」が起業されていいのではないかと思い始めている。誰かやってくださいませんか。又はだれか一緒に立ち上げませんか。
「デジタル過去帳」というサービスがあって墓石に二次元バーコードの銘板を貼り付けるサービスを行っている会社はある。スマホを翳せば、故人の写真など最低限の諸情報が得られるというサービスである。 今の場合は、何GBという膨大なデータを引き継いだり維持したりするサービスを展開できないかという議論である。Facebookには追悼アカウントなるものがあって、管理人を決めておけば移行や維持・脱退が可能のようである。そのままほっておくと誕生日通知がきてしまう恐れがあるため。
悩ましい問題が立ちはだかる。すこし熟慮していきたい。
(編集後記)
その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。
http://turbo717.ciao.jp