佐伯祐三 アトリエと公園
この花はホトトギス。 名前の由来は花びらの斑点模様が鳥のホトトギスのお腹の模様に似ているところからきているそうです。 そしてこのホトトギスは、下落合の佐伯公園で撮ったものです。 佐伯公園は、パリの街角、店先などを独特のタッチで描いた佐伯祐三(1898-1928)の佐伯の名がついた公園です。 佐伯祐三は下落合に住んでいて、アトリエが残っています。そのアトリエの前に公園が佐伯公園です。 今はアトリエしか残っていませんが、アトリエの南側には母屋がありました。大正初期の和風住宅でしたが、新宿区が買収したのち、傷みが激しかったため、80年代半ばごろアトリエを残して解体され、公園になりました。 佐伯祐三が下落合に住んだのは1921(大正10)年で、まだ目白文化村(第一文化村)が造成される以前のことです。 わずか5年間、渡仏している期間を除けばさらに短い時間しか下落合で過ごしていませんが、下落合が好きだったのか「下落合風景」とネーミングされた連作が残されています。 1926(昭和元)年から翌年にかけて描かれたもののようですが、今ではすっかり町の様子が違い、どこを描いたか分からないものもあるようです。 佐伯祐三は1926年に、健康上の理由でパリからいったん日本へ帰国していたのですが。1927(昭和2)年8月に、再度パリに向かいました。 そして、その後ふたたび日本の土を踏むことはありませんでした。 佐伯祐三はパリで旺盛に制作を続けていたが、1928年3月頃より持病の結核が悪化したほか、精神面でも不安定となり、同年8月16日、入院中のセーヌ県立ヴィル・エヴラール精神病院で死去しました。 今年は佐伯祐三が異郷パリに没して、80年です。