鎮守の森
宮脇 昭さんの『鎮守の森』(新潮文庫)を読むと、阪神・淡路大地震で「ふるさとの木」すなわち神社の森は、鳥居や社殿が崩壊しても倒れていなかった事例がたくさんあった、と出ています。 宮脇さんのいう潜在自然植生の木(その土地に最も合った木)は,防火の役目も果していたのです。 そして、倒壊した家の屋根と柱が庭木に引っかかり。隙間が出来てそこから抜け出すことができた事例も出ています。 宮脇さん「日陰になっても落ち葉が落ちても家のそばに木を植えていらっしゃったところは、木に屋根が引っかかって隙間ができ押し潰されないで命を失わずにすんだのです。」というお話もされていますが、落ち葉などで隣近所と諍いになることもあるので、こうしたことみんな知ってもらいたいと思います。 とにかく、防災という面からも木は、重要な役割を持っています。 その土地に最も合った木というものが大切で、それは、各地の神社やお寺や、古い屋敷、山の尾根、急斜面、渓谷沿いに今なお残されている土地本来の森です。 「鎮守の森」という言葉は、植生学、植物生態学の世界で国際的にも通用しているそうです。 「昔からある鎮守の森の生態系はみごとだ。土地にあって自生できる木が高木から低木,草木まで複雑で合理的なシステムを作り,伐採や管理をしなくても豊かでみごとな林を形づくり,しかも人々を地震や火災から守っている。」 神社などに見られる、樹齢500年といった木をもっともっと大事にしたいと思います。 高田馬場駅近くに諏訪神社があります。神社の由緒によると極めて古く、およそ1180年前に小野篁によって大国主命、事代主命(恵比須を祀ったことに始まるというものです。 伝説として次のよなものもあります。 <在原業平が妻と共に東国へ下った時、2人はこのあたりで道に迷って分かれてしまい、一夜を大木の下で過ごし、夫は妻を思い、妻は夫を慕い、思いが神に通じたのか、夜が明けると2人は諏訪の森で逢うことができ、森内のすぐ近くにある杉の大木下に休んでいたのであった。 これに因んで「思いの森」「恋の森」と名付けられたという。> 通常、このあたり諏訪の森と呼ばれていたようです。 そして社殿の西側にその杉の枯れた株が残っているということでしたが、分かりませんでした。 それで、境内で一番に目にしたのは夫婦楠(相生楠)でした。りっぱな楠です。