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tymermooonの日記 [全9件]
「いろも出来、借金も出来」と呟(つぶや)き、それから、ふいと語調をかえて、「何にしますか? よせ鍋(なべ)でも作りましょうか?」 と客にたずねます。私には、その時、或る事が一つ、わかりました。やはりそうか、と自分でひとり首肯(うなず)き、うわべは何気なく、お客にお銚子(ちょうし)を運びました。 その日は、クリスマスの、前夜祭とかいうのに当っていたようで、そのせいか、お客が絶えること無く、次々と参りまして、私は朝からほとんど何一つ戴いておらなかったのでございますが、胸に思いがいっぱい籠(こも)っているためか、おかみさんから何かおあがりと勧められても、いいえ沢山と申しまして、そうしてただもう、くるくると羽衣一まいを纏(まと)って舞っているように身軽く立ち働き、自惚(うぬぼ)れかも知れませぬけれども、その日のお店は異様に活気づいていたようで、私の名前をたずねたり、また握手などを求めたりするお客さんが二人、三人どころではございませんでした。 けれども、こうしてどうなるのでしょう。私には何も一つも見当が附いていないのでした。ただ笑って、お客のみだらな冗談にこちらも調子を合せて、更にもっと下品な冗談を言いかえし、客から客へ滑り歩いてお酌して廻って、そうしてそのうちに、自分のこのからだがアイスクリームのように溶けて流れてしまえばいい、などと考えるだけでございました。 奇蹟はやはり、この世の中にも、ときたま、あらわれるものらしゅうございます。 九時すこし過ぎくらいの頃でございましたでしょうか。クリスマスのお祭りの、紙の三角帽をかぶり、ルパンのように顔の上半分を覆いかくしている黒の仮面をつけた男と、それから三十四、五の痩(や)せ型の綺麗な奥さんと二人連れの客が見えまして、男のひとは、私どもには後向きに、土間の隅の椅子に腰を下しましたが、私はその人がお店にはいってくると直ぐに、誰だか解りました。どろぼうの夫です。 向うでは、私のことに何も気附かぬようでしたので、私も知らぬ振りして他のお客とふざけ合い、そうして、その奥さんが夫と向い合って腰かけて、 「ねえさん、ちょっと」 と呼びましたので、 「へえ」 と返辞して、お二人のテーブルのほうに参りまして、 「いらっしゃいまし。お酒でございますか?」 と申しました時に、ちらと夫は仮面の底から私を見て、さすがに驚いた様子でしたが、私はその肩を軽く撫でて、 「クリスマスおめでとうって言うの? なんていうの? もう一升くらいは飲めそうね」 と申しました。 奥さんはそれには取り合わず、改まった顔つきをして、 「あの、ねえさん、すみませんがね、ここのご主人にないないお話し申したい事がございますのですけど、ちょっとここへご主人を」 と言いました。 私は奥で揚物(あげもの)をしているご亭主のところへ行き、 「大谷が帰ってまいりました。会ってやって下さいまし。でも、連れの女のかたに、私のことは黙っていて下さいね。大谷が恥かしい思いをするといけませんから」 「いよいよ、来ましたね」 ご亭主は、私の、あの嘘を半ばは危(あやぶ)みながらも、それでもかなり信用していてくれたもののようで、夫が帰って来たことも、それも私の何か差しがねに依っての事と単純に合点している様子でした。 「私のことは、黙っててね」 と重ねて申しますと、 「そのほうがよろしいのでしたら、そうします」 と気さくに承知して、土間に出て行きました。 ご亭主は土間のお客を一わたりざっと見廻し、それから真っ直ぐに夫のいるテーブルに歩み寄って、その綺麗な奥さんと何か二言、三言話を交して、それから三人そろって店から出て行きました。 もういいのだ。万事が解決してしまったのだと、なぜだかそう信ぜられて、流石(さすが)にうれしく、紺絣(こんがすり)の着物を着たまだはたち前くらいの若いお客さんの手首を、だしぬけに強く掴(つか)んで、 「飲みましょうよ、ね、飲みましょう。クリスマスですもの」 最終更新日時 2006年4月14日 11時17分49秒
小奴は私の行くのを待つてゐたらしく直(す)ぐに六畳の部屋に迎へて呉れた。壁には三味線が二梃ばかりかかつて本箱の上には稽古本が二冊位のつてゐた。左の方の柱に石川の書いた短冊が一枚かかつてゐた。短冊にかかれた歌の文句は忘れてしまつたが、歌の意味は、『小奴ほど人なつかしい女はない』といふやうなことであつた。全く小奴は人なつかしい温和しい女性でまた正直な女であつた。小奴は酒に酢のものを添へて料理を出して、心から私を歓迎してくれた。 何でも小奴にはそのころ三つか四つぐらゐになる子供があつた。その子供の親は石川ではなく、小奴の前の旦那の子供であるといふことであつた。小奴の家庭は、小奴とその子供と箱屋と女中とをかねた五十ぐらゐの婆さんの三人暮しで、いふまでもなく小奴は自前の芸者として釧路でも姐さん株であつた。小奴の母親は幼少のころ亡くなつたが、父親(おや)は、そのころ、――実の父親か義理の父親であつたかよく記憶はしてはゐないが、――何れにしろ父親は釧路駅の従業員をしてゐて小奴とは別居して暮らしてゐた。小奴と逢つた翌日その父親にも停車場で逢つたが、決して裕福な暮しではなかつたやうである。 小奴は私に石川のことについて次のやうなことを話して聞かせた。 『石川さんが釧路へ来て間もなく、社(釧路新報社のこと)の遠藤決水さん達と一緒に逢つたのが、初めてで、それから始終石川さんとお逢ひしてゐましたが、初めの中は料理屋の勘定なども無理な工夫をして支払つてゐましたし、私も出来るだけお金の工面もしましたが、たうとう行きづまつて、はてはお座敦に行けばお客達から『石川石川』といつてからかはれお座敷の数もだんだん減つてどうすることも出来ないやうになつてしまつたのです。それに石川さんにはお母さんも奥さんも子供さんまであつて、お金に困りつつ小樽にゐるといふことを遠藤決水さんから聞かせられて、私は第一奥さんにすまないと思ひましたのでそれからは、心にもない不実な仕打をするやうになりました。それとしらない石川さんはその後私を大変恨むやうになりました。そこへまた社の社長(釧路新報の社長白石義郎氏のこと)さんも石川さんに意見をするやうになつたので、それやこれやで石川さんは釧路をたつ気になつたのでせう。 最終更新日時 2006年3月11日 17時51分50秒
アインシュタインはヘルムホルツなどと反対で講義のうまい型の学者である。のみならず講義講演によって人に教えるという事に興味と熱心をもっているそうである。それで学生や学者に対してのみならず、一般人の知識慾を満足させる事を煩わしく思わない。例えば労働者の集団に対しても、分りやすい講演をやって聞かせるとある。そんな風であるから、ともかくも彼が教育という事に無関心な仙人肌でない事は想像される。 アインシュタインの考えでは、若い人の自然現象に関する洞察の眼を開けるという事が最も大切な事であるから、従って実科教育を十分に与えるために、古典的な語学のみならず「遠慮なく云えば」語学の教育などは幾分犠牲にしても惜しくないという考えらしい。これについて持出された So viele Sprachen einer versteht, so viele Male ist er Mensch. というカール五世の言葉に対して彼は、「語学競技者(シュプラハ・アトレーテン)」は必ずしも「人間」の先頭に立つものではない、強い性格者であり認識の促進者たるべき人の多面性は語学知識の広い事ではなくて、むしろそんなものの記憶のために偏頗(へんぱ)に頭脳を使わないで、頭の中を開放しておく事にある、と云っている。 「人間は『鋭敏に反応する』(subtil zu reagieren)ように教育されなければならない。云わば『精神的の筋肉』(geistige Muskeln)を得てこれを養成しなければならない。それがためには語学の訓練(ドリル)はあまり適しない。それよりは自分で物を考えるような修練に重きを置いた一般的教育が有効である。」 「尤(もっと)も生徒の個性的傾向は無論考えなければならない。通例そのような傾向は、かなりに早くから現われるものである。それだから自分の案では、中等学校(ギムナジウム)の三年頃からそれぞれの方面に分派させるがいいと思う。その前に教える事は極めて基礎的なところだけを、偏しない骨の折れない程度に止(とど)めた方がいい。それでもし生徒が文学的の傾向があるなら、それにはラテン、グリーキも十分にやらせて、その代り性に合わない学科でいじめるのは止(よ)した方がいい……」 これは明らかに数学などを指したものである。数学嫌いの生徒は日本に限らないと見えて、モスコフスキーの云うところに拠ると、かなりはしっこい頭でありながら、数学にかけてはまるで低能で、学校生活中に襲われた数学の悪夢に生涯取り付かれてうなされる人が多いらしい。このいわゆる数学的低能者についてアインシュタインは次のような事を云っている。 「数学嫌いの原因が果して生徒の無能にのみよるかどうだか私にはよく分らない。むしろ私は多くの場合にその責任が教師の無能にあるような気がする。大概の教師はいろんな下らない問題を生徒にしかけて時間を空費している。生徒が知らない事を無理に聞いている。本当の疑問のしかけ方は、相手が知っているか、あるいは知り得る事を聞き出す事でなければならない。それで、こういう罪過の行われるところでは大概教師の方が主な咎(とが)を蒙(こうむ)らなければならない。学級の出来栄えは教師の能力の尺度になる。一体学級の出来栄えには自ずから一定の平均値があってその上下に若干の出入りがある。その平均が得られれば、それでかなり結構な訳である。しかしもしある学級の進歩が平均以下であるという場合には、悪い学年だというより、むしろ先生が悪いと云った方がいい。大抵の場合に教師は必要な事項はよく理解もし、また教材として自由にこなすだけの力はある。しかしそれを面白くする力がない。これがほとんどいつでも禍(わざわい)の源になるのである。先生が退屈の呼吸(いき)を吹きかけた日には生徒は窒息してしまう。教える能力というのは面白く教える事である。どんな抽象的な教材でも、それが生徒の心の琴線に共鳴を起させるようにし、好奇心をいつも活かしておかねばならない。」 これは多数の人にとって耳の痛い話である。 最終更新日時 2006年2月19日 18時8分23秒 |一覧| |