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カテゴリ:哲学的お悩み&お笑い
私には○○プランナーとか、○○コンサルタントとか、○○アドバイザーとかの肩書きもあるので、相談とかアドバイスを求められることがあります。
(拙い書き出しだ。ごく最近、使ったような気がする) 話は変わりますが、(うまい展開だ)私はこれまで、記憶できないほどのアドバイスをしてきました。 その証拠に、あまりアドバイスをした記憶がありません。 我ながら会心のアドバイスをしたという記憶はあります。 小学生と話していたときのことです。 「どんなタイプの友達が嫌いか」 と訊いたところ、 「何でも先生に言いつけるやつが嫌いだ」 と答えました。 私はそれを聞いて、 「そういうやつは先生にいいつけてやれ」 とアドバイスしました。 私は相談やアドバイスを求められることがあります。 (ごくごく最近、使った文句のような気がする) 会社の経営者や個人の専業主婦まで、 「どんなことでも相談して下さい。お金が欲しい。というのでも結構です。銀行の防犯カメラの位置を教えてあげます」 と言うのですが、実際に相談を受けることは多くはありません。 私の気持ちが通じないのは残念なことです。 相談者が訪れたら、お金の問題だけでなく、対人関係、恋愛問題などを、相談にのってもらおうと思っているのです。 きっと、私が頼りないのを見抜いているためでしょう。 それだけの洞察力があれば、いいアドバイスをしてくれるだろうに、と思うと惜しまれて仕方ありません。 訪れないくらいですから、あり余るお金を誰に託したらいいか、私に寄付したいがどうしたらいいか、といった相談をする者は皆無です。 たとえ、相談に訪れる者がいても、私のアドバイスが適切なためか、一度アドバイスをすると、二度と相談に来なくなります。 (一度のアドバイスで、完璧な対処法や対策をアドバイスするためでしょう) それでも一般的に、完璧なアドバイスは無理でも、適当なアドバイスをするだけなら、比較的簡単なことです。 結果は他人が負うのです。 いよいよとなったら、 「私のような人間にアドバイスを求めないように」 とアドバイスすればいいのです。 哲学に興味があるコンサルタントで、なおかつ会社の経営者なら、有益なアドバイスが得られるだろうと考える人がいます。 しかしこれは、 「多くの人が結婚しているから、多くの人には結婚の適性がある」 と考えるのよりも大きな間違いです。 私が見る限り、哲学者にもコンサルタントにも経営者にも、むしろアドバイスが必要なタイプが多い。 困ったことに、アドバイスが必要な人間ほど、アドバイスをしたがるものなのです。 私が何よりの証拠です。 しかし、アドバイスというものが、それほど重要な意味を持っているのでしょうか。 どんな適切なアドバイスをされても、本人にその気が起こらない限り、どうせアドバイスされた通りには行動しないのです。 かりに神様がアドバイスしたとしても、それが、 「一切の欲望を統制して、毎日の睡眠時間は3時間、毎日の勉強時間は22時間を確保すれば、必ず司法試験に合格する」 と言われても、従える人は皆無だと断言できます。 これだけ書けば、私の言葉が神のアドバイスに匹敵するほど、いかに有益かつ有用なものか、理解して頂けるものと確信しています。 悩みがあれば、私に相談して下さい。 私は相談の専門家ではありませんが、悩みの専門家です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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