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2005年12月13日
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私が不良に目覚め始めた15~6歳の頃と言えば、大学紛争と東映のヤクザ映画が巷を賑わしておりました。
歌謡界、演歌の世界ではウタダ・ヒカルさんのお母様でいらっしゃいます藤圭子さんも、この時代異常な盛り上がりを見せておりました。
そんなこんなで、学生運動家と機動隊の衝突の舞台となった新宿が、混沌とした文化の中に若者たちを呑み込んで行った激動の時代でありました。

私はこの頃、日活映画の大ファンで、渡哲也さんの無頼シリーズとか前科シリーズとかを見るため世田谷は三軒茶屋にあった中央劇場によく通っておりました。
この中央劇場は東映映画を除く他社の映画を三本立て150円で見られたのですが、たまに時代劇やちょっとお色気風なものなども入っており、ちょっとマセたガキには御用達のような遊び場のひとつでもありました。

で、何故東映は入っていないのかというと、この劇場の隣に東映の映画館があったからなんですね。だから東映はいつもロードショー公開なので、入場料が500円に跳ね上がってしまいます。
当時のガキの小遣いなんてのもの300円がせいぜいですから、映画館でコーラ飲んでスルメイカ喰って一日潰せる映画館に比べ、たった2本のロードショーで500円と言うのは貧乏人の小倅たちには高嶺の花だったわけです。

どうしてもロードショーを見たいときは、近所のパチンコ屋さんで大当たりを出すか、映画館の路地裏で学生服着た子供から無断拝借する以外に方法は無く、いずれにしても子供ながらにヤバイ橋を渡らなければなりませんでした。
ということで、この頃から東映の金看板は大人の劇場といったような固定概念がしっかりと根付いてしまっていたのでした。
しかも当時の東映映画といえば着流しスタイルの任侠モノが主流で、日活の現代ヤクザ路線と比べて少々時代掛かった爺臭い雰囲気を感じ取っておりました。

そんな不良修行真っ盛りの私がある日のこと、柔道部の先輩(恥ずかしながら私は中学生時代柔道部に所属しておりました)に連れられて新宿歌舞伎町東映に行ったのは忘れもしない12月の暮れも押し迫った雪の夜でした。
その日は、その先輩が大変機嫌よく奢ってくれて「にいむら」のとんかつなどを食った後映画でも見ようということになり、ようし今日は「東映」のヤクザ映画をみるぞ!しかもロードショーだ!二人で千円も払うんだぞ!ってなことになったのです。

ところがこの日は新作ロードショーではなく「藤純子大会」が催されていたのでした。
とはいえ、二人とも所詮は東京は武蔵野世田谷のツッパリ小僧ですから、憬れの大洗海岸の波に東映の文字が浮かび上がるスクリーン見たさに映画館に引き込まれていったのでした。

「緋牡丹博徒」

肥後熊本のヤクザの娘が父親の代を取って女親分となる痛快活劇、緋牡丹のお竜姉さんの可憐な姿に二人はドップリとはまってしまい、すっかり出来上がってしまった目のやんちゃ坊主たちは、映画館を出て雪の積もる歌舞伎町を夢見心地で帰途についたのでした。

さあ翌日から東映映画というよりは藤純子さんの大ファンとなってしまったツッパリ小僧は、目を血走らせて新聞の映画欄をくまなく点検、藤純子さんの出ている映画を片っ端から見る決意を固めたのでした。
そして遂に見つけたのです。
東映映画の垂れ流し劇場、ヤクザ映画の殿堂、東映名画劇場、東映ファンなら誰でも知っているとまで言われたかの有名な「新宿昭和館」との出会いでした。

一体何本くらい見たでしょうか?
当時のヤクザ映画の殆どはここで見たと言っても過言ではありません。
緋牡丹博徒シリーズは全編制覇、挙句は藤純子引退記念レコードなんぞも買ってしまい、ゆくゆくはその世界に行くのではないかとまで噂されたほどでした。
毎週日曜日は午前9時に起床して、第一回目の上映時間10時30分に間に合うよう身なりを整え、小銭300円を握り締めて出かけたことが懐かしく思い出されます。
結局時代の流れは東映ヤクザ路線に塗りつぶされ、日活の現代ヤクザシリーズは非常に短い命でありましたが、後年は深作欣二監督などによって再生されていくことになりました。「仁義の墓場」の渡哲也さんなんか凄かったですね。
実在した狂気のヤクザ石川力夫を演じたのですが、東映のカラーを一気に変えた名作のひとつではないでしょうか。
ちなみに、私はその後高倉健さんの「昭和残狂伝」シリーズにはまってしまい、時には銀座並木座の名画大会などにも関女(カンジョですね)の彼女などを連れて見に行ったこともありました。

しかし、思えば私の青春時代は新宿昭和館と共にあった気が致します。
残念ながら数年前に閉館されたそうですが、東映ヤクザ映画のあの熱狂の時代を知る者にとっては心惜しい閉館のひとつです。
銀幕の向こうに夢見た時代、娯楽の少ない時代のどーらくとしては庶民の身近な異次元空間だったような気がします。

「死んで貰います」流行りましたねこの名セリフ。
でも実際の映画では「死んで貰うぞ!」とかになるんですけどね。
健さんと純子さんの最高傑作はマキノマサヒロ監督の「昭和残狂伝・死んで貰います」だと思っています。
これってヤクザ映画といよりも下町人情劇みたいだったですね。
深川芸者とちょっとヤクザな板さんの恋沙汰に、料亭の後取り問題や鳶の親方と地元ヤクザの諍いなどが絡んできて、最後は唐獅子牡丹が吼える、という日本人が大好きなカタルシスですね。
でもこの時の藤純子さんの芸者姿は色っぽかったですね。
またセリフが泣かせます。
殴りこみに出かける健さんに、

「止めやしません。でも死なないで下さい。今度はあたいだけの義理と人情に生きて欲しい」

じ~ん! アホなツッパリ小僧の胸は高鳴りますね。
まあ、東京下町の心意気みたいなもんが、これでもかってくらい描かれているんですけど、やっぱり私も日本人なんでしょうね。
グッと来るモンがありました。
古くても残って欲しいものも沢山ありますね。





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最終更新日  2005年12月13日 10時17分43秒
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