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以下、1月24日の連続ツイート。
老いについて、連続ツイート開始。どうなることやら。 老いなど・1)頭皮アレルギー皮膚炎改善されず、久々に総合病院へ。 タッチパネルで診察予約表を作成。プリントアウトされた表を何気にみる。 僕の姓名のあとの括弧内に「63才」とあった。 「うそやろ!」と我が目を疑う。 老いは、自覚がないだけに、受け入れがたいのだ。 老いなど・2)子供たちの結婚は、僕にとって大変うれしいが、 新たな未知のステージ(老いる)に立たされた。 当たり前に、いつも5人で食事をしていた。 そして子供たちの部屋は物置状態。「欠ける」感覚。切なくてさみしい。 老いなど・3)63歳に変わりない。が、あらためて印刷物の「63才」を目にして、 一瞬怯んだのだ。 かって大切なものや、事がたくさんあった。 今もあるが、いつでも手放すことが出来る。 老いなど・4)お気に入りの初版の小説、高校時代から溜め込んだ、 映画のパンフレット、思い出の詰まった家族のアルバム。 それらを物として執着しない。それらは僕そのものの内にあるから。 老いなど・5)ありとあらゆる、当たり前な日常が音をたてて変化する。 「ちょっと待って」と言いたくなるほど戸惑う。 で、一番さみしいのは、バニラが徐々に白髪に覆われつつあること。 特に口周りは真っ白だ。 老いなど・6)最近のバニラは、常に僕のそばで正座し、ずっと僕を見つめている。 僕を見る眼差しも姿勢も、我が家に迎え入れた時と変わらない。 が、今年の秋に、バニラ9才、僕は64才になる。 バニラに幸ありますように祈る。 老いなど・7)永遠に続くかのような平凡な日常だが、これほど危ういものはない。 20~30年の当たり前が、一瞬になくなることもある。 だから退屈で平凡な日常を、なによりも大切にしてきた。 老いなど・8)かって、長老と呼ばれる高齢者また、ご隠居さんもいた。 が、僕はまったく成熟していないし、分別もない。 ガキがそのまま歳食った感じだ。 おそらく人は、宗教者以外悟りを開かないと思う。 僕はのた打ち回るが、僕にとっては生きている証だと確信する。 老いなど・9)死に彩られた命。神も佛も知らないが、 この世界のどこかに、たくさんの魂が集う境界があるように思う。 その気になれば、その入口を見つけることが出来るかも。 などと、妄想するのもわくわくする。 老いなど・10)いずれ、僕は死を迎え、この世界に「いなかったこと」となる。 が、世界はある。ぽっくり逝きたい、 と言う高齢者の切実さを理解できるようになった。 今少し、終りなき日常を泳ぎ続けよう。 (以上、連続ツイート終了・ありがとうございました) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年02月10日 10時42分25秒
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