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2009/12/03
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あしたばのプロフィール?私の正体幸せの羅針盤!!♪フリマ?!  愛人・恋人・友人愛・恋・友!あしたばさんに言ってみよう・・・



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○ 人生の出会いには、人の考えや計画を超えた不思議なものがあります。人を不幸に導く出会いもあれば、幸いに導く出会いもあります。よく、「人生は出会いで決まる。」と言いますが、悪い人に出会ったばかりに、その人の人生の歯車が狂ってしまい、取り返しのつかないほど不幸な人生を余儀なくされることもあります。しかし、新約聖書のヨハネの福音書4章に登場するサマリヤの婦人は彼女の人生をすばらしい幸福に導いてくださる救い主イエス様との出会いを経験したのです。

 さて、このサマリヤの婦人がどのような人生を歩んでいたかと言いますと、彼女はかつて5人の男性と結婚し、今また6人目の男性と同棲しているというような素性の持ち主でありました。彼女にとって5人の夫があったということは、どれほど結婚の願望が強かったかが分かります。そして、それは確かに幸せへの願望であり、「真実な愛」に対する渇きではなかったでしょうか。しかし、すべては失敗し、彼女の夢は崩れ去ってしまったのです。そして、彼女は今また惰性で、別の男性と同棲しているという不道徳な生活ぶりであります。このサマリヤの女性は5回の愛の告白をし、5回も裏切られたのでしょうか。そのような経験をしますと、もう誰も信じられなくなったとしても当然ではないでしょうか。

 彼女は、人間不信に陥っていた人であり、真実な愛を求めて渇いていた女性であります。私たち一人一人も、この女性のように「今度こそは‥‥」「この次は‥‥」と、魂の渇きを満たすものを次々と求めるのですが、いつも裏切られて来た者たちではないでしょうか。そして、彼女は心の中に満たされない空しさと渇きを覚えながら、人生の日陰を歩む日々を送っていたのであります。そのようなある日に、彼女の方から求めたのではない、イエス様との「不思議な出会い」がありました。イエス様が旅の疲れで、井戸の傍らで休んでおられた時に、人目を避けるようにしてその女性は井戸に水を汲みに来たのであります。その女性は空しい生活に疲れておりました。イエス様は別な意味でお疲れでありました。生活に疲れた女性と、崇高な目的の旅で疲れておられたイエス様が出会ったのです。 これは、本当に不思議な出会いです。

 さて、イエス様が「わたしに水を飲ませてください。」と彼女に願ってサマリヤの女性との会話が始まるのですが、イエス様は渇くことのない「生ける水」について語られました。そして、この「生ける水」こそ、彼女が今最も必要としているものでありました。イエス様は彼女が必要としているものをご存じでした。そして、イエス様は彼女に会って「生ける水」を与えるために、別なルートもあったのですが、わざわざこの道を通られて旅をされたのであります。イエス様が「生ける水」と言われたのは、人間の霊的な渇きを満たす「いのちの水」のことであります。すなわち、み霊による新しいいのち、「永遠のいのち」のことです。

 この井戸の水は、一時的に渇きをいやすだけですが、しかし、イエス様が与える水は、人の魂の霊的な渇きをいやし、「その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水」となるという不思議なことをイエス様は語られました。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。」と言われたように、人類は心の渇きをいやすために、いろいろなものを作り出して来ました。しかし、この種類のものでは、また渇いてしまうのです。ちょうど、喉の渇きをいやそうとして、水を飲む人のようです。人間が作ったものや、この世のものに求めても決して満たされることはないのです。

 この世が与えるどのようなすばらしいものも、例えば、それが物質的なものではなく、精神的なものであっても、人間の奥底の霊的な渇きを満たすことはできないのであります。音楽や絵画、映画、スポーツ、教養や学問、その他、高尚な趣味、人の心を楽しませるあらゆる快楽も、一時的に渇きをいやす井戸の水にすぎません。また、人間の愛情(夫婦の愛、親子の愛)ですら、人間の心の奥底の空白を埋めることはできません。このサマリヤの婦人も、何度も何度も、不幸な結婚生活を繰り返しながら、自分が寄りかかることのできる相手を求め、真実な愛を求めて来たのですがことごとく失敗して来たのです。

 人間の愛というのは、いつも「金持ちだから‥‥」「顔が綺麗だから‥‥」「いい人だら‥‥」「自分を受け入れてくれるから‥‥」と、条件付で愛する自己中心的な愛であります。ですから、状況が変われば、もう愛せなくなってしまうような弱くて脆いものです。相手にどのような欠点があっても、事情や環境が変わっても、また、自分が不利な状況に置かれても、どこまでも誠実を尽くして愛し通すという強い愛は、実にまれにしかないと思います。そして、たとえ、それが生涯の間愛し貫いてくれる人がいたとしても、それは、永遠のものではありません。ですから、人間の愛も、やはり人間の根本的な渇きをいやすことはできないのです。人は永続性のあるものでなければ心の渇きをいやすことはできません。

 イエス・キリストが与える「いのちの水」は、こんこんと湧き出る泉のように、私たちの渇きを潤すだけでなく、私たちの周囲のすべての人を潤して行くことができる水なのです。そして、この尽きることのない喜びと満足を与えるいのちの水、すなわち、み霊による永遠のいのちは、信じる者は「だれでも」受けることができるのです。どのような罪深い人も、どれほど深い渇きを持った人も、十字架で死んでよみがえられた主イエス様に信頼するなら、この永遠のいのちに至る水を受けることが出来るのです。そして、これは「神の賜物」であり、だれでも無代価で受けることが出来る救いの恵みです。

 最初は、イエス様の方から「わたしに水を飲ませてください。」と願われたのですが、会話が進むうちに、彼女は心を開いて自分の方から、「その水を私にもください。」と願うようになりました。そして、やがてイエス様を救い主と認め、救い主のことを町の人々に伝えるように変えられました。彼女のように、あなたもこのすばらしい「生ける水」をお求めになりませんか。
 


 ・・・・・hope to see you again・・・・・

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最終更新日  2009/12/03 05:02:52 AM
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