うつ病:自殺について2
※注意※僕はうつ病闘病中ですが、あくまで患者の一人であって、専門家ではありません。情報が誤っていたり、有用でなかったり、悪く影響することもあります。あくまで「素人の経験情報」としてご覧ください。それでもこれまでの闘病で得た経験や知識が、誰かの役に立つなら、うれしいです。以上、簡単な説明でした。※注意ここまで※自殺について1についてはhttp://plaza.rakuten.co.jp/vistabuena/diary/201010270004/をご覧ください。久しぶりに、うつ病関係の日記更新です。とはいえ、僕はというと状態は普通に健康な時とほとんど遜色ないレベルまで回復してると思ってます。仕事も復帰できましたし。ただし、残業ゼロや作業見学程度に規制はかかってますので本来の数分の1でしょうが。さて、ここにたどり着いた方、どんな状態でここまでこられたのでしょう。さぞ、つらい状況かと思います。これから続く文章にすがっても、何も得られるとは期待しないでください。僕にできることは「自分はこうだった」とお伝えすることだけです。半年ほど前、僕は25年の人生で最も死に近い状態にありました。肉体的に、であればインフルエンザの高熱がそれにあたりますが、それをあえて「10」と数値化するならば、確実に「100」でした。しかし、今はこうして生きていますし、それなりに普通です。僕は「自殺をしなかった」「自殺を選ばなかった」わけでは、決してありません。心の中での自殺行為の観念をカウントするならば、10回、100回どころではありません。睡眠以外のすべての時間を「死ぬためには」の思考実験に費やしていました。誇大表現でもなく、真剣に、です。自殺は行われませんでした。以下にその理由を記します。「自殺をすることが容易なことではないと理解していた」からです。僕は医学関係の人間ではありませんが、化学を学んだので、それなりに人体の知識があります。また、健康であったときに興味本位で「完全自殺マニュアル」を読んだことがあります。これらの知識があったことが、防波堤となりました。ただし、防波堤は自殺予防として作られたものではなく、僕にとっては「防波堤を乗り越えるためにはどうしたらいいか」というものでした。「確実」に死ぬための方法を、思案し続けました。そしてとうとう、確実に死ぬ方法が得られなかったのです。自殺未遂がなかったのも、このためです。もしも手元に拳銃のような確実性の高い凶器があれば、この防波堤を軽々と越えて行動に移していたことでしょう。うつ病の疾患比が男女で1:2なのに対し、自殺者数比が男女で1:3であるのは、男が「確実に死ぬ方法を選んでから実行するため」であるという仮説もあるそうです。僕の場合は、その後に処方されたサインバルタの効果がてきめんにでて、一気に状態がよくなりました。自殺は「自分で死ぬこと」ではありません。「自分に殺される」ことです。世間では冷ややかに扱われてることですが「本能に勝るほどの自殺衝動」は形容しがたい感覚だと思います。健康な人間に「1mの幅の道路をまっすぐ10m走れるか」ときけば「はい」と返答がくるでしょう。しかしその道路の条件に「高さ100mの」を付け加えたらどうでしょうか?もちろん「いいえ」という答えになると思います。・・・一方、そこでどちらも同じと感じるようになるのが、うつ病というものだと思っています。うつ病は人間がもつ危機判断能力をゼロにします。最後に。僕が自殺に揺れているとき、考えたこと。「信仰する神も持たず、信ずる宗教もないことがこれほどつらいとは」と。かといって、今も信仰する神を持たず、信ずる宗教ももってませんが。うつ病で判断能力が落ちているときは、あやしい宗教や詐欺に注意です。以上です。にほんブログ村にほんブログ村