「伊達の一本締め}
□ 「伊達の一本締め」 … 農林水産部長 伊東則夫└──────────────────────────────────── 東京事務所時代、県人会・各校同窓会等の会合の折、ご指名いただき、乾杯の発声や中締めの役を仰せつかることが多々ありました。 その際、乾杯の発声で好評だったのは、50年ぶりの新球団われらが楽天イーグルスにかけた「さあ、みなさん、この言葉を胸に明るく元気にがんばりましょう。ご唱和願います! 災い転じて 楽天とな~す! 乾杯~!」でした。 そして、手締めでは「関東一本締め」や「一丁締め」もありますが、なんといっても喜ばれたのは「伊達の一本締め」でした。これは、以前、八幡(仙台市青葉区)にあった造り酒屋の役員の方から伺ったのが最初でしたが、伊達政宗公以来の手締めの型で、慶長18年(1613年)の支倉常長ら慶長遣欧使節の出帆のときもこの手締めで見送ったといわれ、松島・円通院に代々受け継がれてきたものということでした。そして現在、仙台青葉まつりでの雀踊りの各祭連(まづら)の出発の際にも行われているとのことでした。 「いょ~っ、ポポポン、いょ~っ、ポン」のリズムです。しかし、結局、東京在勤中には、なぜ「伊達の一本締め」が3拍子と1拍子なのか、その理由は分からないまま、宮城県内にひそかに伝わるものだということで使わせていただいておりました。 先日、ようやくこの由来が明らかになりました。そのきっかけは「みやぎの魅力再発見セミナー」での伊達宗弘県図書館長との再会でした。講演後数日してから、伊達館長に電話したところ、各方面で調べていただき、最後は松島・円通院住職にまで直接当たって確かめていただきました。 それによると、「伊達の一本締め」の3拍子と1拍子の由来は、「三国一の武将」たらんとする政宗公の夢の実現の祈願を込めたもので、「三国」の三と「一」の一を掛けたものであり、家臣団の間で、いつからか会席においてこの手締めが行われるようになったものとのこと。政宗公の長女の五郎八(いろは)姫の婚儀の席でも「三国一の花嫁」ということで、この手締めが行われたそうです。 今年は、仙台・宮城デスティネーションキャンペーンの本番を迎えます。ぜひ、一人でも多くのみなさんにこの由来を知っていただき、「伊達の一本締め」を県内外に広めたいものです。☆「農林水産部」のホームページはこちら -≫ http://www.pref.miyagi.jp/nosui/