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カテゴリ:大学野球
“停滞”していたと思われる大学生活 沖縄そして日本中を湧かせた2010年の春夏連覇から4年の月日が流れた。興南高の優勝メンバーたちは各地に散らばり、中でも大学野球に進んだメンバーのうち島袋洋奨(しまぶくろ・ようすけ/中央大)、我如古盛次(がねこ・もりつぐ/立教大)、安慶名舜(あげな・しゅん/法政大)の3人が名門大学の主将という重責を任され奮闘を続けている。 中でも島袋が浴びる注目度は4年経った今でも大きい。1年春に開幕投手として華麗なデビューを飾るも、2年時には故障も経験し、3年秋では「野球人生で初めて、自分からマウンドを降ろしてほしいと思った」と話すほどの絶不調にも襲われた。そんないばらの道を歩んだ大学での歳月を、島袋はどう振り返り、いかにして前に進もうとしているのか―。 島袋のこれまで4年7季の成績をみると、11年春1勝、秋2勝、12年春3勝、秋1勝、13年春秋ともに2勝ずつ、そして今春0勝となる。通算成績は11勝19敗。高校時代の実績もさることながら、1年春にいきなり開幕投手デビューを果たしたことを考えれば間違いなく“停滞”ととらえられるだろう。特にここ2季はフォームが崩れ、制球力を大きく乱し、試合を作ることさえできない試合も多々あった。 後輩からも慕われる優しく、真面目な男 高橋善正・前監督時代を含めコーチとして4年間を通して島袋を見てきた清水達也コーチは「1球の重みだとか、勝ちに対する神経を使い過ぎているかなとは思いますね。大学はリーグ戦ですから、相手に癖など相当研究もされましたし、注目度が高いということでいろんな人の目が気になって、背負い過ぎているなと感じることもあります」と話し、「人が良すぎて真面目なんです」と付け加えた。 「人が良すぎる」「優しい」というのは、周囲の関係者の多くが口をそろえる。試合に出場する選手たちは「島袋に勝ちを付けてあげたかった(負けを付けさせたくなかった)」とほぼ必ず話すほどで、ベンチ外の下級生でさえ「島袋さんは超イイ人。あれはみんな応援するよ」と他校の部員に話していることも耳にしたことがある。 試合後の取材でも、「今日はノーコメントで」と言ってもおかしくないような時でさえ、大勢のマスコミからの質問に一つ一つ丁寧に言葉を選ぶ。これは好不調にかかわらずこの4年間変わらないことだ。 その理由について「気にかけないでほしい時や感情を出したくなる時もあります。だけど、取り上げてもらえない選手もいるので、記事には取り上げてもらえることはありがたいことだと思っています」と島袋は話す。 主将としてチームの盛り立て役も 同じマンションで生まれ育ち、小学生時代のクラブチーム、そして興南高、中央大でともにグラウンドに立ってきた慶田城開(けだしろ・かい)学生コーチは、島袋が「フォームの乱れなどを誰よりも早く、開が気づいてくれる」と信頼する欠かせない存在だ。 そんな島袋について慶田城は「小さい頃から変わらないことは、やると決めたらとことんやること。あとは野球に関しては絶対に手を抜かないところですね。無理だとは思うけど、逆にやりすぎるなよと思う時もあります」と、その人間性についての信頼と心配をのぞかせる。 この手を抜かない姿勢は今春のベンチでも見られた。2部との入替戦行きがかかる最下位争いの中、不調でベンチにいることが多かった島袋だが、指揮を執る秋田秀幸監督と記録をとる水川裕介主務の横に決まって陣取り、ベンチから声を出し選手たちを盛り立てた。「高校野球では自分のことを第一に考えていれば良いこともあったが、今は違う」と島袋が語るように、新たな視点で野球を見ることも経験した。 戦国東都で過ごした4年こそ島袋にとって大きな経験 「この4年間がムダではなかったと思えることは?」と聞くと、「結果には出ていないですが」と前置きしながらも、「この東都大学野球でやれている4年間というのは、どこよりも激しい争いをしているので、その緊張感の中でリーグ戦をできていること自体が大きな経験です」そう答えた。 この4年間はおそらく本人が想像していたよりはるかに険しい道のりだったに違いない。結果だけをみればこの4年間は「遠回り」と映るしれない。だが、遠回りだとしても「遠回りでしか見えない景色」があるはず。その景色から島袋は多くのことを学べる人間性があり、それがあるからこそこの4年間は決してムダではないと言い切れているのだろう。これからも「甲子園春夏連覇左腕」という称号はついてくるが、称号だけではない目に見えないものを多く得た大学生活を過ごしてきた。 この4年間の集大成を出すべく、島袋は3日から始まる秋季リーグで、大学生活最後のシーズンに臨む。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.09.02 16:02:51
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