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カテゴリ:昭和
お気に召したら 人気blogランキングへ お台場は都心に最も近い海のレジャー・スポットです。 旧防波堤と第三台場に囲まれた海面には、海水浴ビーチ、磯釣り、ボード遊びなどの施設が作られ、海に面した陸には、様々なレストランやショッピング・ゾーンが拡がり、若者や家族連れに人気のある一大レジャー基地になりました。 今、お台場に集まる若者の多くは、1990年中頃、お台場で開催予定の世界都市博覧会が土地バブルの崩壊で中止に追い込まれたことは、多分記憶していないでしょう。 お台場は、衛星通信地球局、テレコムセンター、インテリジェントビル、国際金融の拠点などを包含した巨大な情報都市を建設する筈の場所でした。中止された世界都市博覧会は、その情報都市構想を実現するためのジャンプ台になる予定だったのです。そして、その重要なインフラの一つとしてモノレール「ゆりかもめ」が建設されたのです。 土地バブルの崩壊でジャンプ台を失い、お台場が壮大な未来都市になる計画は破綻しました。進出を目論んでいた企業は去り、先陣を切って進出した企業も梯子を外された恰好になり、中には都心に舞い戻る企業も現れました。当時、お台場に夢をかけた関係者達は希望を失いました。 お台場が巨大な娯楽の場所として今日のように生まれ変わるとは、当時の人々には想像出来なかったと思います。フジテレビやNTTなどの情報産業が、アミューズメント産業の中に混ざっているのは、開発の破綻の歴史のあかしなのです。 開発計画が破綻する少し前ですが、私は時々写真機を手にして、大規模な土木工事が行われているお台場を訪れました。少数の土木作業員の外は人影はありませんでした。当時、お台場にあった唯一の施設「船の科学館」を訪ねる人達を時々見かけるだけで、辺り一面は荒涼たるすすき野原でした。 その時、防波堤と第三台場の間の海上には強い風が吹きまくり、帆を斜めにしたウィンド・サーフィンの若者達は波立つ海面を疾走していました。疾走するサーフィンの帆は、お台場が将来レジャー・ランドとして再生することを予言していたのでしょう。 今は昔と云っても高々20年余り前のことですが、余りの変わりように驚くばかりです。その驚きの写真を二枚ご覧にいれます。 (以上) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.06.20 21:37:19
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