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東京今昔物語  (写真の世界 http://wakowphoto.world.coocan.jp/ より)

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2013.03.06
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カテゴリ:カテゴリ未分類
明治維新で東京が首都になると、首都の西の玄関口は新橋に、東の玄関口は上野になりました。新橋駅には横浜からの国営鉄道がに入りましたが、上野駅には東北に延びる民営鉄道が入りました。新橋駅には関西方面から新政府の要人達、商人達が降り立ちました。上野駅には新天地を求めて東北の農民達が降り立ちました。

やがて西からの鉄道は新橋駅から東京駅まで伸びて、新橋駅は玄関口としての役目を失いました。しかし、上野駅は、新幹線の終点が東京駅に移転する平成3年(1991)まで東北の玄関口として存続しました。上野駅は昭和の時代を通して土の匂いを残す駅として親しまれました。その匂いとは東北の縄文文化の匂いでした。

上野駅には歴史とドラマがありました。上野駅前には地下鉄の上野駅に行く地下道の入り口がありますが、その入り口は敗戦直後には焼け出されて家を失った人々の住まいでした。僅かな手荷物だけ抱えて多くの人々が乞食のように寝ていました。ここは地下鉄銀座線への通路ですから人通りは多いのですが、今でも薄暗い構造のままなので、当時の姿を思い起こすのに十分です。(写真1)
  • 1.上野駅地下道-01D 1302q.jpg
  • 写真1 地下鉄への地下道入り口

    敗戦も迫り食料品の配給制度が厳しい頃、上野のホームは闇の米や野菜の担ぎ屋で賑わいました。高度成長の頃には、金の卵ともて囃された集団就職の若者達が長い客車からホームに溢れ出ました。年配の人たちにとっての上野駅は、そのような記憶が残る駅です。

    他方では上野駅は文化の香り高い駅です。と言いますのは上野駅の裏口、公園駅はその名の通り上野公園に直結しています。公園口改札と直ぐ目と鼻の先には音楽の殿堂、東京文化会館があり、そこから少し公園内に入ると、日本でも有数の美術館、博物館、科学館などが連なって建っています。(写真2)
    2.東京文化会館-11D 1302qt.jpg
  • 写真2 東京文化会館

    2005年以降、その上野駅は大規模な改修工事が行われ、上野駅の構造が大きく変わりました。最大の変化は、上野駅の左右、即ち上野の山側とアメヤ横丁のある街側が幅広い跨線橋で繋がったことです。上野の山の文化圏と反対側の商業圏とが鉄道線路で切断されずに繋がったことです。(写真3)
    3.上野駅-06D 0804q.jpg
  • 写真3 上野駅を跨ぐ幅広い跨線橋

    上野駅の外観は、昭和初期に建設された当時の姿を残しました。明るく化粧されて、大正モダン建築を見るようにすっきりとした姿になりました。駅正面の昭和通りに面した広場には、幅広い高架歩道が縦横に張り巡らされて、地上の何処へでも自由に降りて行けます。歩行者は地上階に、自動車は地上に分離されて便利になりました。
    (写真4、5)
    4、上野駅-09D 1302q.jpg
  • 写真4 上野駅駅舎を正面から見る  

    5.上野駅前高架歩道-01D 1302q.jpg
  • 写真5 上野駅正面の高架歩道

    また、上野駅の構内も明るく改装され、高い天井の広場は東京駅とは違ったターミナル駅としての貫禄を示しています。それに構内に付設されたレストランなどもモダンになりました。薄暗かった昔の上野駅とは様変わりしました。(写真6)
    6.上野駅構内-02D 1302qt.jpg
  • 写真6 上野駅構内

    上野駅の周辺も逐次モダンに様変わりしています。上野駅から上野公園に向かう角地に、少し前まで上野百貨店「のれん会」(1階)とレストラン聚楽台(2階)が入った三階建ての古いビルがありました。ここは上野駅の不忍口を利用した人々の集うのに便利な場所でした。しかし建物が老朽化したので平成5年(2008)に取り壊されて、その跡に平成12年新しいビルの「西郷会館」が建設されました。(写真7、8)
    7.上野駅前交差点-03D 0804qt.jpg
  • 写真7 上野駅不忍口にあった聚楽台ビル

    8.上野駅前交差点-04D 1302q.jpg
  • 写真8 上野駅不忍口に竣工した西郷会館

    このビルは、場所が西郷さんの銅像の近くにあるので「UENO3153(さいごうさん)」の愛称で呼ばれますが、全面ガラス張りの斬新なデザインです。ビル正面のロッテリアの看板が示すように、和風から洋風に様変わりしました。入居する店も多くは銀座などの有名店で、泥臭い聚楽台の匂いは消えて、モダンへのイメージチェンジを果たしました。

    上野駅の大改修は、東北新幹線が上野駅を終点とせず、東京駅まで延伸したので、乗降客を上野駅に引き留めるためのものと言われます。便利で綺麗になることは歓迎ですが、他方では上野駅の歴史の記憶は殆ど消してしまいました。

    外国の首都の鉄道駅をみると、地方に行く鉄道の発着駅は必ずしも一ヶ所に集められていません。例えばパリではの列車の行き先によってターミナル駅の場所が違います。サンラザール駅、モンパルナス駅、リオン駅などは離ればなれで、それが不便だからと言ってパリ市内の一ヶ所に集めようと言う話は持ち上がりません。

    2003年、上野駅広小路口前に「あゝ上野駅」と言う歌碑が立てられました。その前に置かれたレリーフには井沢八郎が歌った歌詞が刻まれています。(写真9)
    「どこかに 故郷の香りを乗せて
     入る列車の なつかしさ 
     上野はおいらの 心の駅だ
     くじけちゃならない 人生が
     あの日ここから 始まった」

    上野駅の個性的な魅力が失われていくことを嘆いているようです。
    9.ああ上野駅-01D 1302qr.jpg
  • 写真9 ああ上野駅の歌碑

(以上)





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Last updated  2013.03.06 22:30:07
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