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明治維新で東京が首都になると、首都の西の玄関口は新橋に、東の玄関口は上野になりました。新橋駅には横浜からの国営鉄道がに入りましたが、上野駅には東北に延びる民営鉄道が入りました。新橋駅には関西方面から新政府の要人達、商人達が降り立ちました。上野駅には新天地を求めて東北の農民達が降り立ちました。
やがて西からの鉄道は新橋駅から東京駅まで伸びて、新橋駅は玄関口としての役目を失いました。しかし、上野駅は、新幹線の終点が東京駅に移転する平成3年(1991)まで東北の玄関口として存続しました。上野駅は昭和の時代を通して土の匂いを残す駅として親しまれました。その匂いとは東北の縄文文化の匂いでした。 上野駅には歴史とドラマがありました。上野駅前には地下鉄の上野駅に行く地下道の入り口がありますが、その入り口は敗戦直後には焼け出されて家を失った人々の住まいでした。僅かな手荷物だけ抱えて多くの人々が乞食のように寝ていました。ここは地下鉄銀座線への通路ですから人通りは多いのですが、今でも薄暗い構造のままなので、当時の姿を思い起こすのに十分です。(写真1)
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Last updated
2013.03.06 22:30:07
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