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カテゴリ:保護者に特に読んで欲しい記事
以前、某有名私立中学の教頭先生に
お話を伺ったことがある。 その先生は、近年の私立中ブームを 『我々のやってきた教育が評価されてきた』という点においては、 非常にうれしく、また、重く受け止めているとしながらも、 私立中に対するいわば 『公立よりもあらゆる面ですばらしい』という 万能感には警鐘を鳴らしていた。 私立中は、公立よりも特化しているのであって、 決して平均的ではない。 そういう意味では、万能感は公立よりもない。 特化している部分が子供に合わなければ、 最悪の結果を迎えることになるのだ。 また、私立は公立とは異なり、選抜されて入学してくる。 当然、能力的にも、生活環境的にも似通った生徒が多くなる。 (そうすることによって、私立側としては特化しやすくなる) もちろん学力レベルも総じて高い(ことが多い)。 にもかかわらず、そこで順位が付けられるとどうなるか? そう、最下位は必ず出るのだ。 平均以下は必ず生まれる。 ここで劣等感を持ち、埋もれていく生徒たちは、 毎年必ず出てくるそうだ。 内心、 「この子は公立へ行っていれば、成績優秀で自信を持って、 もっと活き活きと義務教育期間を送れただろうに・・・。」 そう思うことしばしばだと言う。 当然、その割合を少しでも少なくしようと、 様々な試みを行い、ケアをしているそうだが。 最後に、リクルート社の人事統括部長、 ロンドン大学の研究員を歴任して、 小泉改革の目玉、まさに鳴り物入りで 杉並区立和田中学校に民間人校長として就任し、 現在もテレビや新聞等に頻繁に出演されている 「藤原和博」先生がおっしゃっていた事。 藤原和博先生の著書である『公立校の逆襲 いい学校をつくる!』より、 ちょっと長いが、一章まるごと引用してみたい。 一般社会で長く活躍された方が、 外の感覚で教育現場を見たときの感覚は、 長く教育界にいた者の書く、 薄っぺらいものよりもはるかに現実的だ。 『私立を超える公立校』 公立中と私立中の選択について、 見逃しがちないくつかの視点を提供しよう。 まずは、経済的なことから。 私立中に子供を入れれば税金とは別に 授業料で年に60万から120万円程度がかかる。 月に5万から10万円だから、公立中に通わせながら 家庭教師や塾、あるいは子供の関心の高いスポーツ、 芸術活動にそれだけ投資するのとどっちがいいかという判断になる。 ただこの場合、お金を払って教室を選ぶのだから、 子供に合った指導者の選択が可能だ。 私立は一般に公立より教師の質が高いように 思われているふしがあるが、さて、どうであろう。 学校での教師の巡り合わせが、運、不運に左右されるのは、 公立、私立どちらもかわらない。 「私立に入れたほうが息子や娘にとって良い」 この信仰は都市部で根強い。 ところが、不思議なことに 「私立で学んだほうが、人はその人生において、 自己実現ができたり、幸せになれる」 という仮説を検証した研究にはお目にかかったことがない。 なぜなら、そんな結果を出そうとすれば、 何千人という研究対象の人間を何十年にも渡って 追跡調査をしなければならないからだ。 やればノーベル賞ものだと思うが、 そんな根気のある研究者は今後も現れないだろう。 だいたい自己実現や幸せをどう測るかも怪しいものだから。 かつて私は、世の中でオリジナルな仕事を見つけ、 ユニークな人生を生きている仲間たちを、 『人生のつくり方』(サンマーク出版)という本で 紹介したことがある。 親の遺産をそのまま引き継いだ二世、 いわゆるジュニアは省いた。 また、親がピアニストとかプロゴルファーで、 そのまま英才教育で同じ職業になったというような、 ストレートな才能の継承もなし。 フツーの人生からスタートして、 フツーじゃなくなった40代前後の人たちへの 取材を通して仕事百科を作ったのだ。 参考のために示すが、 108人の登場人物の中で、 小学校が公立の人は95%。 中学校では公立が83%。 高校になると、公立が71%で、 私立が3割程度。 小中高全部が公立だったのは、 地方出身者も多いからかもしれないが、 7割を超えた。 この結果をどう判断するかは、 読者に任せよう。 教育の能率という視点で考えると、 圧倒的に私立が優位だ。 試験によって「足きり」ができるし、 親の属性もだいたい似通ってくるから、 同質の集団が形成できる。 同質の集団にものを教えるほど、 楽なことはない。 公立の場合には多様な背景をもった生徒たちが 無試験で入ってくる。 その雑多な集団をどうまとめ、 誰にリーダーシップを発揮させ、 一人一人の持ち味をどう伸ばすかが、 教師の手腕となる。 私立よりもはるかにタフな仕事だ。 公立中学校の校長が言いたいが、 決して表に出さない事実も、あえて指摘しておこう。 それは私立の中高一貫校が いったん試験で選んでおきながら、 途中で放り出す生徒を陰で支えているのも 公立校だということ。 中には居場所のなくなった怒りを 悪さで紛らわす生徒もいるから、 落ち着いていた中学が一人の影響で、 いっとき騒がしくなったりもする。 無責任な放出をする一部の私立中学の名は、 校長会でも話題になっている。 さらに総合的に親が判断する場合、 経済的なことを抜きに考えれば、 公立校を積極的に選ぶ理由は二つあるだろう。 一つは、多様な子供たちの中で自分の子を育てた方が、 同質な中で育てるより、結果的に 「もともと雑多な世の中を生き抜くチカラ」 になるのではないかということ。 21世紀が世界的にも、お互いの異質性を認めあって 共生を成し遂げていく世紀になることは間違いない。 もう一つは、私立を選ぶことは完成品を買うことに似ているが、 公立に入れて親自身もその学校の運営にコミットしていくことは、 教育改革に自ら参加することにつながる。 他人が育てたブランドを買うのではなく、 自分で手作りする感覚に近い。 最後に予言しておこう。 新指導要領によって公立校の学力への不安が掻き立てられ、 一種の私立ブームが起こった。 実はこの事が、本来自由で伸び伸びとしているはずの 私立の教育活動を呪縛する。 何に呪縛されるかというと、 保護者の受験に対する過度な期待にだ。 特に中堅どころの私立校はこれから、 のんびりとした独自の文化を失い、 予備校並みの受験指導に駆り立てられる危機に 直面する可能性がある。 一方、公立校の最大の弱みは 校長や教師が異動すると文化資源を継承できないこと。 だから私は学校の中に作った「地域本部」の育成に力を注ぐ。 「地域本部」を学校の実質的な体の一部、 いわば足腰にすえる。 これができれば、 いにしえの私立並みの豊かな教育活動を行う公立校が出現する。 私立を超えた公立校を目指すのだ。 (引用 終わり) 疲れた(^^ゞ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.06.08 18:29:27
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