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人と動物のおはなし

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2007.09.30
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カテゴリ:カテゴリ未分類
どう考えててもおかしいと思えることは
世に数多く存在するけれど、

行政が
犬や猫を飼い始めたものの飼えなくなった人たちや
飼うのがイヤになった人たちの受け皿になっているという
今現在の状況もおかしなことだ。

飼えなくなったのであれ
飼うのがイヤになったのであれ、

自らの意思でもって飼い始めたのだから
譲渡するか殺すかまでをきちんと自分で行なって
初めて飼い主責任を果たせたと言えるはずなのでは?

世の愛護活動家およびそれに属する人たちは、
行政による殺処分には大きな関心を寄せ

行政が捕獲したり引き取った犬猫の命を救うことを
最重要課題のひとつと位置付けているように見えるけれど、

飼い主に対して自分で譲渡するか自分で殺せと言うことの方が
重要だと考えることはないのだろうか?

少し考えれば分かるはずだと思うのだけれど
毎年の犬猫の殺処分数や殺処処分法の如何が第一の問題なのではなく

飼い主にとっての終生飼養が完了した時に、
他者に頼むではなく自分で譲渡するか自分で殺せと求めない社会が
まず問題なのだと思う。

これって、小学生でも分かる理屈だと思うのですが・・・

また、「動物愛護の世界」には、
「一匹でも多くの命を救いたい」とか言うように
「命を救う」という表現があふれている。

さらには、一匹でも多くの命を救いたいので
ご支援よろしくと要望している人々もたくさんいるようだ。

けれども、他者のお金や善意をあてにして
「命を救っている私を支援してください。」と呼びかける行為も
おかしいと思える。その前に、
「自分で最後まで責任をもってやんなさい」と飼い主に言うのが筋でしょうに。

いずれにせよ、
命を救いたい行為も自己責任の範囲内、
つまり自分のお金と自分の善意が及ぶ範囲内でやるべきでは?
ペットを飼いたい者も、不幸なペットを救いたい者も
自らのお金で飼えるか(救えるか)否かがその判断基準でしょう。

個人の嗜好の範疇に属するペット飼育が
その個人でもって完結するようになれば、
「動物愛護の世界」はもっとスッキリとシンプルになると思うし、
出てくる「次のかわいそう」、「次のかわいそう」も減少するのでは?

また、ついでに言うと
例えば、毎年の各自治体による犬猫の殺処分数などの統計を
問題にしている団体や個人は多々あるけれども

各自治体に寄せられた苦情の統計に言及している団体や個人には
お目にかかったことがない。

これなども「おかしい」と思えてなりません。





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Last updated  2007.09.30 11:28:52
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