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May 16, 2007
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テーマ:Jazz(1961)
カテゴリ:Album
The 12 Year Old Genius

フィンガーティップス / スティーヴィー・ワンダー
The 12 Year Old Genius / Little Stevie Wonder


オリジナル盤発売日:1963年5月21日
レーベル:Motown

1.Fingertips [on Bongos and Harmonica] フィンガーティップス
2.Soul Bongo [on Bongos] ソウル・ボンゴ
3.La La La La [on Drums] ラ・ラ・ラ
4.(I'm Afraid) The Masquerade Is Over マスカレイド・イズ・オーヴァー
5.Hallelujah I Love Her So [Piano and Vocals] ハレルヤ・アイ・ラヴ・ハー・ソー
6.Drown In My Own Tears ドローウン・イン・マイ・オウン・ティアーズ
7.Don't You Know ドント・ユー・ノウ

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スティーヴィー・ワンダー、1963年の作品で、これが彼の実質的なデビュー・アルバムになります。
このアルバムはライヴ録音盤で、録音当時、ステーヴィーは12歳だったので、
『The 12 Year Old Genius(ザ・トゥウェルヴ・イヤー・オールド・ジーニアス)』、
日本語に訳すと「12歳の天才」というタイトルがつけられました。
(ただし、アルバム発売時は13歳になっていました。)

このとき、名前はリトル・スティーヴィー・ワンダーを名乗っています。
シングルとして発表され全米チャート1位の大ヒットになり、
彼の名を一躍世に知らしめることになった曲「フィンガーティップス」が収録されたアルバムです。
アルバムは、シングル盤「フィンガーティップス」とほぼ同時に発表され、
アルバムも全米チャート1位になりました。

スティーヴィーは、このアルバムが発売される以前に、2枚のアルバムをレコーディングしていましたが、
それらよりも2カ月近く前にリリースされました。
逆を言えば、このアルバムがヒットしたために、
以前にレコーディングされていたものがリリースされることになったということでしょう。

幼い頃から音楽を聴くことが何よりの楽しみだったスティーヴィー・ワンダーは、
ジョニー・エース、B.B.キング、リトル・ウォーター、ジミー・リードなど、
ラジオから聴こえてくる様々なヒット曲に熱心に耳を傾けていくうちに、
彼はいろいろな楽器の音を別々に聴き分けられるようになっていきました。
やがて、彼は教会の聖歌隊に入ってゴスペルを歌ったり、また、おもちゃのドラムセットやハーモニカを与えられたり、
さらに7歳の頃にはピアノも始めるようになり、ますます音楽の才能を伸ばすことになります。
8歳になった時には、すでにボンゴ、ドラム、ピアノ、ハーモニカなどといった楽器を独学でマスターしていました。
そして9歳の頃になると、近所の友達と「スティーヴ&ジョン」というデュエットを結成し、
ストリートで歌いだし、町ではちょっとした評判になります。

その評判がやがてブラックミュージックのレーベルのモータウンの社長、ベリー・ゴーディの耳にも届き、
1961年、スティーヴィーは若干11歳でモータウンのアーティストとしての契約をすることになりました。

彼に与えられた芸名は、“リトル・スティーヴィー・ワンダー”。
これは、ゴーディがスティーヴィーの演奏を初めて目の当たりにしたとき、
「すごいな、あの子は“Wonderワンダー(奇跡、驚異)”だ!」と言ったことからつけられたと言います。

スティーヴィーの天才的な音楽の才能については、モータウンの誰もが驚かされていましたが、
いざ彼を売り出そうとしたとき、どのように売り出していけばいいのか、
彼の才能をどのように伸ばしていけばいいのか、モータウンの関係者たちは悩んでしまいました。
まさに“ダイヤモンドの原石”であったスティーヴィーの才能があまりにユニークなものであったために、
それをどうやって磨き上げていけばいいのかを充分考える必要がありました。
そして、様々なセッション、レコーディングが繰り返されましたが、
彼を効果的に売り出すアイディアが見つかるまで、長い時間がかかってしまうことになります。

彼が初めてレコーディングした楽曲は、「マザー・サンキュー」。
元のタイトルは「ユー・メイド・ア・バウ」といったらしいのですが、
「11歳の少年が歌うには、あまりにラブ・ソングっぽい」という理由で変えられてしまいました。
しかも、この曲はしばらくお蔵入りになってしまい、レコーディングから3年後、
1964年、6枚目のシングル「ひとりぼっちの浜辺」のB面としてようやく収録されることとなり、
さらにタイトルも「Thank You(For Loving Me All The Way)」と変えられて発表されます。

やがて、彼は初めてのアルバム・レコーディングを行います。
タイトルは、『The Jazz Soul Of Little Stevie』。
この作品は、ハーモニカ、ボンゴ、ドラム、オルガン、ピアノなど、
あらゆる楽器を使いこなすマルチ天才少年スティーヴィーの魅力を引き出そうという企画から生まれた、
インストゥルメンタル・アルバムでした。
もともと彼が11歳のときにデビュー・アルバムとして企画されたものでしたが、
あまりに企画性が強すぎたのと、シングル・ヒットとなるような曲も見つからなかったため、
1963年7月にリリースされるまで、お蔵入りになってしまいます。

次にレコーディングされたアルバムが、『Tribute To Uncle Ray(邦題:レイ・チャールズへ捧ぐ)』という作品。
同じ盲目の天才シンガーとして既に有名だったレイ・チャールズのカヴァー集で、
同じ“盲目の天才黒人シンガー”という共通点に着目し、スティーヴィーを“第二のレイ・チャールズ”にしようという、
実にわかりやすい、ストレートな企画から生まれたアルバムですが、
この作品も、結局は1963年7月になってリリースされることになりました。

1962年8月16日、初レコーディングから1年半余り経って、ようやくスティーヴィーのファースト・シングル、
「アイ・コール・イット・プリティ・ミュージック(バッド・ジ・オールド・ピープル・コール・イット・ブルース)」が発売されます。
マーヴィン・ゲイのドラムをフィーチャーしたナンバーでしたが、ヒットするには至りませんでした。
その後も、セカンド・シングル「リトル・ウォーター・ボーイ」、
サード・シングル「コントラクト・オン・ラブ」と続けて発表されましたが、
いずれもヒットチャートをにぎわすことなく終わってしまいます。

スタジオでレコーディングした曲では、なかなかヒットを出すことができない当時のスティーヴィーでしたが、
ライヴでひとたびステージに立てば、その天才的な才能を余すところなく発揮するのでした。
スティーヴィーは人前で演奏することが楽しくてしかたなく、大きな喜びを感じていたようです。
そして、ライヴに出演すれば、すぐさま観客の心をつかみ、会場を熱狂の渦に巻き込むことができました。
スティーヴィーは、ライヴの他の出演者のマーヴィン・ゲイやミラクルズなどといった、
キャリアの豊富な先輩達よりもはるかに観客を沸かせ、彼はステージに立つたびに一番大きな喝采を浴びていたのです。

モータウンの企画するライヴの出演者は、必ず分刻みでプログラムされた台本にそってパフォーマンスをしなければならず、
持ち時間が来ればさっさとステージから降り、次の出演者にマイクを渡すというのがルールでした。
ところが、スティーヴィーはそんなプログラムなどお構いなしに、必ずと言っていいほど予定曲目をはずれ、
持ち時間が過ぎてもなかなかステージを降りようとはせず、即興で演奏を続け、
コール&レスポンスで観客を煽っては、会場全体を熱狂の渦に巻き込むのでした。

最後には、いつまでも演奏を続けるスティーヴィーを見かねたスタッフが、
彼を脇に抱えて舞台の袖まで連れてくるということになるそうです。
そんな彼のパフォーマンスに観客は喝采を送り、そこで頂点に達してしまうため、
「スティーヴィーの次に出演するアーティストは可哀想だ」とまで言われるようになりました。

そんな光景を目の当たりにしたモータウン社長のゴーディは、
スティーヴィーがライヴで生み出すこの熱気と興奮をなんとかレコードに活かすことはできないかと考え、
そこで、このライヴ・パフォーマンスをそのままレコーディングし、
「ライヴ・アルバム」として売り出すというアイディアを思いついたということです。

そうして、シカゴのリーガル・シアターでのライヴで、スティーヴィーのライヴ・レコーディングが行われます。
さらにデトロイトで行ったライヴを追加収録したのが、このアルバム『The 12 Year Old Genius』というわけです。
 
そして、ライヴでも最も受けの良かった「フィンガーティップス」がシングルカットされ、
1966年5月21日にリリースされると、瞬く間に全米チャート1位になりました。
これは、ポップ・チャートで3週連続1位、R&Bチャートでは6週連続1位という大ヒットになりました。
アルバムも同時にリリースされ、これも全米チャート1位になります。
スティーヴィー・ワンダーは13歳にして、
「全米ホット100(ポップ)」、「アルバム」、「R&Bシングル」の3チャートを同時に制覇したアーティストになりました。

結局、当時のダイヤモンドの原石のようなスティーヴィーの天才的な音楽の才能は、
さまざまな企画を考え、スタジオ・レコーディングするという従来の普通のやり方では発揮しきれなかったようです。
それよりも、型破りのスティーヴィーの思うがままに、
自由奔放に、彼のそのままのスタイルでやらせることが最もいい方法だったというわけです。
要するに、彼は生まれながらにしての、真の天才的エンターテイナーだということです。

したがって、このライヴ・アルバムは、スティーヴィーの自由奔放で型破りな天性の才能を聴くことができます。
あいかわらずやんちゃなスティーヴィーは、出番が終わったあと、
もう一度ステージに戻ってきてミュージシャンたちをあわてさせるという様子も記録されていて、
本当に“音楽大好き少年”というスティーヴィーと観客が一体となった熱気と興奮が伝わってきます。

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Last updated  May 16, 2007 06:11:31 PM
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